夏の宴 ◆ 嵐山熊彦 栗栖 基 ◆
ある日、久しぶりに知人のO氏より夏の宴と題したメールが届いた。
早速メール内容に目を通してみると、先頃、O氏ご夫妻はイタリア、フランス旅行を楽しんでこられ、
そのときに買ってこられたワインをあけるので、一緒に如何ですかと言うお誘いのご案内であった。
メールを読み終わるや否や、すぐにお互いの日程調整に入り開催日時が決定した。
今まで、こと飲食にかけては人一倍凝り性のO氏に、私は幾度となく極上のおもてなしを受けている。
或る時は客人を招き、ご自慢の畑に自家製の椅子・テーブルを持ち出し
目の前に植えてある野菜を手早く調理され、
或る時は焚き火をしながら厳選された食材をスモークし、
筍の季節は朝掘りの筍を丸のまま蒸し焼きにして食べさせる、
彼はこころの底から食の楽しみ方を熟知しているスローライフの達人でして、
日頃より料理人である私の五感に刺激を与えてくれる人物である。
そして今回のメールでは何やら格別のお楽しみとして、
お茶に関する道具を仕入れたので皆で楽しみましょう!との一文があり、
私自身ひそかに当日を心待ちにしていた次第である。
その日は夕立の気配も無く、日が西に傾きかけた頃、招かれた人がいつもの畑に顔を見せ始め
ご亭主の見繕われた美酒と酒肴が自然に振舞われ、先頃のご夫妻の旅行談義に花が咲いた。
前場では旅先でご亭主自ら足を運んで仕入れてこられたシャンパンで乾杯、
オードブルは畑の周りに植えられている果樹から黄桃と梨を生ハムと共に、
続いて事前にスモークしておいたソーセージとチーズがタイミングよく
ビールを飲み始めたころに持ち出された。
その後、場所をご亭主の本宅に移し本日のメインイベントとなる数種類のワインと
奥様お手製の酒肴でおもてなしを受けた。
愚生としても、今回の供応の演出に何かお手伝いできないものかと思案し、
いくつかの食材を準備し当日の食卓を賑すよう試みた。
内容はざっと鱧・鮑・鯵などでそれに加え先日、家族旅行で訪れた小豆島で仕入れた
ヤマロク醤油の再仕込み醤油を持参し手前勝手な演出であるが、
鱧寿司、鯵の昆布締め、鮑の残酷焼きなどをご賞味していただき、
それなりに皆さん喜んでいたようで、何とか料理人としての面目を保てた次第である。
そうして夜は更け行き、ふと気づくと私の傍らに石臼が置かれており、
ご亭主にその旨を伺うと「コレは茶臼なる物で、ようやく念願がかない小生の手元に届いたものです。
今からお茶を挽いて皆で頂きましょう!」と早速、この日のために用意されていた葉茶を
持ち出してこられた瞬間、私にもやっと先日のメールの意味が理解でき、
先ほどまでワインを楽しんでおられた客人達も、この茶臼に魅せられたかのように回りを取り囲み、
今かいまかと抹茶が挽けるのを心待ちにして、いよいよ茶臼の周りから薄緑の抹茶が、
なんとも芳しい風味と共に現れるや否や、客一同歓喜の瞬間を迎えた。
その後、各人挽き立ての抹茶をご馳走になり、その風味たるや言葉では言い表せないほどの
感銘を受けた次第である。
その日の宴は、深夜にまで及び客一同、今宵の一座建立に別れを惜しみながらも
ご亭主のお心入りのおもてなしに深謝の念を抱きつつ帰路に着いた。
愚生もあらためてご亭主の演出の力量に敬服すると共に、
自己と他者の関係について深く洞察することができ、とても有意義な時間を過ごすことが出来た。
現代の我々を取り巻く環境はとても前述したような状況とは申し上げられない、
つまり自己と他者のバランスは不均等で自己主張や自己の利便性、得失を求めるがゆえに本来、
人間が身に着けるべき心性は間違った方向に進んでいるように思われる。
自然の摂理が導くように山水も孤立しては存在できないのと等しく、
人間も孤立しては生きていけない、今一度、自己と他者の関係を見直し、
人に対する思いやり、慈悲の心を尊して、それがいつの時代にも
人間の根幹をなすべきものであると信じて、
自分自身の心をコントロールできるように精進を重ね行きたい。
夢窓疎石
山水に得失なし、得失は人間にあり
投稿者 academy : 2008年08月08日 16:11