2008年05月23日

大堰川 三船祭                      嵐山熊彦 栗栖 基

新緑の祭りの歌をよむことも嵯峨風流の一つなるべし 

吉井 勇

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毎年、五月第三日曜日に大堰川の川面では王朝絵巻さながらの光景を楽しむことが出来る。

三船祭は昭和三年、昭和天皇御即位の大典が京都で行われたのを記念すると共に、
車折神社の祭神(清原頼業公)の御心を慰め申すために行われた。

この祭りはかつて平安朝の歴代天皇がしばしばこの嵯峨の地に行幸され、
大堰川に船を浮かべられた先例に倣ったもので、龍頭船では管絃、迦陵頻伽、胡蝶舞、
鷁首船(げきしゅせん)では献茶が行われ、扇流し、俳諧、謡曲、糸竹、書画、舞踏、
小唄、長唄、常磐津など約20艘の船が新緑の嵐山に映える優雅な舟遊びである。

まさに京雅を彷彿とさせる祭りであり、多くの芸能関係者が
芸能の神様として車折神社を信仰している。

ここで少し車折神社について、お話をさせていただこう。

車折神社は京都市内から嵐山にいたる三条通りに面して朱塗りの鳥居が目印となる。
祭神は清原頼業公で、この地は元々、天龍寺の塔頭寺院である宝寿院の領域であったが、
明治改革のときに独立して神社となった。

車折の名の由来は車前石と言う石が下嵯峨にあり、伝えによると、
後嵯峨天皇が嵐山へ行幸されたとき、この石のために御車が止まって、
牛も地面にうつ伏せになって動こうとしない為、お供の人たちが不思議に思い調べたところ、
ここに清原頼業公が祀られていることがわかり、天皇はすぐさま御車よりお下りになり
参拝されたと言う。

それからこの石を車前の石と呼ぶようになり、車折の名が生まれたようである。
この石は今も保存されていて社務所の前に置かれている。

尚、昭和三十二年十二月、天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祭神として社殿が建設され、
芸能の神様として尊ばれている。

今ではこの芸能神のほうが有名になった感はあるが、それ以前より様々な史実があるようである。

特に明治から大正にかけて京都画壇で活躍した文人画家富岡鉄斎が明治中期に宮司を勤めており、
今もその作品百点余りが車軒文庫に収蔵されている。

ここ嵯峨嵐山周辺には四季折々の自然があるだけでなく、
平安朝から連綿と続く歴史的史跡が点在し、多くの人々を魅了する。
その背景には古来より人間同士が創り上げてきた史実があり、
それを紐解くことにより、今を平和に生きるための手がかりが多く記されているように思う。

今月、第四日曜日は地元嵯峨の愛宕神社・野々宮神社の嵯峨祭還幸祭が執り行われる。
前週の三船祭とは一変して、大宮人の雅な遊びから庶民の活力が歓喜される祭りとなる。

古来より、祭りは人が人らしく生きるための風習であり、八百万の神々に感謝し
ハレとケの生活習慣を通じて自然との共生を見直す機会としてとても重要な日であった。

今日、文明と文化が混在する時代にこそ日本人の精神的な根幹を成す、
祭りを大切にしたいものである。

投稿者 academy : 2008年05月23日 23:59