2007年11月30日

美濃焼                           杢兵衛 寺田慎太郎

今月の初めの日曜日(うちの定休日です)に岐阜県多治見のある陶器屋さんまで
志野、織部、黄瀬戸といった所謂「美濃焼」を見に行きました。

この辺の焼物がうちの店にはあまり無く、以前より欲しいと思っていた中、
多治見に私好みの店を見つけることが出来たので、
家族にはぶつぶつ言われながらも強引に連れて行きました。

この店の特徴は兎に角、桃山時代の本歌を
忠実に写しているものにこだわっているところです。

つまり作家名で器を選んで頂きたくないということから、
値段表示があっても作家名は表記されていません。
そこでこちらから「誰の作品ですか?」と問い掛けて素直に作家名を教えてくれません。

今回三点購入したのですが、結局口からは作家名を聞いておらず
箱の中に入れてくれた作家紹介の紙で初めて作家を知りました。

黄瀬戸は、薄く轆轤が引かれており、縁が輪花に型取られ、
見込みは蕪文様が線刻され、3ヵ所ほどに美しく胆ぱんが浮かび上がっており
所謂「油揚手」となっています。見た目以上に軽く成型されていて非常に使い易いです。

志野は、轆轤で成型されてはいるものの口辺を四角く成型し直している筒向です。
胴部分には塁座が付けられ、沢潟や檜垣紋が鉄絵で描かれ、
柚子肌が良い景色となっています。非常に白さが美しく、温かみのある作品です。

織部は所謂「鳴海織部」です。
鳴海織部の赤い部分は普通の土と赤土を繋ぎ合わせて作られており、
決して色を塗ったのではありません。非常に技術の高い仕事だと聞きます。
これは舟形向付で型押しで作られたものです。
今回私が一番心を奪われたのがこの作品です。

これら全ての器に共通するのは、非常に使い勝手が良いことです。
そして私の求めていたことこそこの使い勝手です。
個性の突出した作品で無く、職人による熟練の技こそ私の求めていたことです。

私が大変大事にしている本に「向付」ばかりを取り上げて記載したものがあります。
古染をはじめ古九谷、唐津、備前など色々載っていますが、やはり中心は美濃焼です。
そして今回購入した器の本歌が全てこの本に載っています。

片道二時間かけて多治見まで行ったかいがあったと
非常に満たされた気分で帰りの途に着いたのですが、
車の中では何故か居心地が悪かったです。

投稿者 academy : 23:58

2007年11月28日

おふらんす 第三話                     木乃婦 髙橋拓児

皆様、長らく待たせいたしました。肝心の料理の話です。

やはり、シャトーコルディアンバージュはボルドーという土地柄もあり、
魚は、ソーヴィニヨン・ブランの若草の香り、コクのある風味に合うように、
そして肉はカベルネ・ソーヴィニヨン、メルローの杉の香り・燻し香、
プラムやカシスの風味に合うように構成されていました。

料理の食材はボルドーの河口で獲れる魚介類、山の茸や野菜を巧みにアレンジし、
テロワールを見事に表現されていました。

具体的に言いますと、まず初日は、「たまちゃん」、男前のダミエルと一緒に
前菜を作らせて頂きました。

「フォアグラのテリーヌと桃のコンポート」を立体的に表現したものや
「鱸のカルッパッチョ ソージャソース 擬似コーン添え」、
それからエスプーマやエマルジョン、アルギン酸を使ったアミューズなどです。

擬似コーンは、コーンのエスプーマを液体窒素で固めたものです。
長方形に模られた鱸とコーンをソージャソースで食します。
テクスチャーのバランスと少しエスニックな風味が印象的でした。

実際作るときには、ソースを真っ直ぐ引いて完成なのですが、
簡単そうで実はなかなか引けない。
う~ん、自分がもどかしい!

さりげなくダミエルの様子を見ると、ソースを引く位置の真上に目線を置き、
右手を左手で押さえながら、脇を締めて、体の体重移動で引いていました。

なるほど! 同じようなイメージで何度か白のプレートでやってみると、私にも出来ました。

それが出来るようになったので、次の日は下処理から完成まで一連の流れをさせてもらいました。
「その引き方が出来るようになったら、今度は強弱をつけてごらんよ。」と言われました。
つまり、クレッシェンド、デクレッシェンドです。

こんなん困難や!」たまちゃんだけが笑ってくれた、惨めな2日目でした。

3日目の厨房研修は、ポワゾン、あっ違った、ポワソンです。そこでは・・・つづく。 

投稿者 academy : 23:54

2007年11月24日

聖護院蕪                           萬重 田村 圭吾

本日は冬の京野菜の代表格、聖護院蕪についてお話させて頂きます。

江戸時代中期に近江の国から持ちこまれた近江蕪の種を聖護院地区で栽培した所、
土壌の影響でしょうかしていた蕪が丸型で大型になったのが聖護院蕪です。

江戸後期には「東山」の名が記されていて、これが聖護院蕪であろうと推察できます。
この時期に蕪を材料に千枚漬けが作られてからは一層生産が盛んになりました。

栽培時に「肥料食い」なのが農家にとって難点だとか。
色白の肌つやで粘りがあり、甘味と軟らかなのに歯ごたえがあるのが特徴です。

関が原附近を東西の境として、大き目の蕪の在来種と、ヨーロッパ種の小蕪に分かれますが、
全国各地に様々な品種が存在するのは、日本人が古くから蕪を愛してきたからでしょう。
 
栄養価はジアスターゼをはじめとする消化酵素を含み、消化促進や胃もたれを解消します。
アブラナ科の蕪はグルコシアネートという肝臓が発ガン物質を解毒する働きを助ける成分や
無毒化する成分も含みます。

投稿者 academy : 23:58

2007年11月23日

十勝・帯広紀行 その2                   嵐山熊彦 栗栖 基

前回に続き、十勝・帯広紀行 美食・美湯礼賛のお話をさせていただきます。

11月の入り京都はどこも紅葉狩りを楽しむ観光客で賑わいます。
しかし最近の紅葉の色づきは残念ながら地球温暖化現象の影響なのか、
子供の頃に見た原色の絵の具を塗りつけたような鮮明さは無く、
ぼやけた洗朱のような色が大半で色づき半ばで枯葉となるような木々が多いように思います。

日頃、嵐山の景観を目の前に仕事しておりますので、この季節、
日増しに山肌が色濃く変化していく様子を楽しんで観察しているのですが、
近くで見る里の紅葉はお世辞でも綺麗とは言えないのが現状です。

このような現状が少なくとも半世紀以上続けば、
日本だけでなく世界的に歳時記がズレ込むだけでなく、
自然のバイオリズムが均衡を保てず、地球はとてつもなく危機的な状況を迎え、
人間という動物も生存の危機にさらされることになるでしょう。

と、言うように現実を直視すればするほど自然環境の未来は絶望感が付きまとい、
1世紀前の自然環境を取り戻すためには1千年以上の月日を要すると
論じられている現状を踏まえれば、自然回帰と言う世界人類の希望が
見えにくくなってきているのは事実です。

しかし、ここ十勝・帯広の大自然はそんな我々の不安や悩みを払拭して、
明日への希望と活力を与えてくれるのに申し分のない自然環境が残っており、
人間と自然が共生する事の重要性を全世界に発信しています。

そこで今回は、十勝・帯広にいくつも点在する温泉の中から、
現地の人にも余り知られていない秘湯をご紹介しましょう。

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帯広市からおよそ車で1時間、ここは人間よりも野生動物が先住する森、
そんな一角に秘湯“鹿の湯”があります。

話を聞けばこの秘湯は町営らしく、夏のシーズンが過ぎれば管理人も誰一人いなくなり、
我々が訪れた時はまさに貸切り状態、川のせせらぎを聞きながらまわりを見渡せば、
京都より1月早い北国の紅葉が楽しめ、途中で仕入れた缶ビールを片手にいつ尽きる事も無い、
自然への礼賛。まさしくここは文明などほど遠い癒しの森であり、
初めて訪れた場所にも拘わらず、子供の頃、近所の川で遊んだ情景を思い起こさせるような、
とても懐かしい空気が流れていました。

翌日、我々は新たなる美湯を求め帯広市から一路およそ2時間以上かけて、
北の大地に悠然とそびえる大雪山山系の麓、十勝川の上流に位置する
ヌプントムラウジ温泉を目指し出発しました。

我々が目指す秘湯はまさに北海道のヘソに位置するところで、
その周辺は大雪山国立公園の広大な自然が広がり、
目的地に到達するまでに目に映る風景は、10月の北海道とあって
山々すでに色づきはじめており、あと1週間もすれば、
見事な錦秋の粧に変わることを想像できる素晴らし眺望でした。

帯広滞在中は終始、快晴に恵まれこの日も快適なドライブ日和で目的地まで無事到着と思い気や、
国道をそれて山道に入るや否や、突然の悪路となり、まるでラリーレースにでも参戦したかのような
状態で、途中、崖崩れが起こったような場所を通り抜け、ようやくたどり着いた秘湯は、
まさに天然のオアシスとして地元の人や、山岳人に愛されている露天風呂でした。

十勝川上流に位置するこの河原は、何処を掘ってもすぐに温泉が出てくる、
まるでこの一体は床下暖房で一面覆われているような地域で、
浴槽のすぐ横で源泉が湧き出て温泉玉子など手軽に作れるぐらい随所に湯煙が立ち上がり、
時間さえあればテントでも張って、一日中、周りの景色の移ろいを眺めていたい
心境に駆り立てられる場所でした。

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今回の旅行で現地を案内してくださったS氏とそのご友人には、
言葉では言い表せないくらいのおもてなしをいただき、
我々は人間が生きていくために不可欠な物、普段、
文明社会で生活する人が忘れてしまっている大切な物を思い出させていただきました。

時として自然は人に対し暴虐を振舞い、またその一方で人を癒してくれる
古来より人が生活する場所には常に、精霊が宿る鎮守の森が回りに点在し、
人はその恩恵に感謝し、また畏怖の念を抱き今日まで生きてきたのです。

21世紀に生きる我々はとって、環境破壊による過ちはとてつもなく大きい。
しかしその現実を真摯に受け止め、千年の月日をかけて
自然環境の改善に着手するプロジェクトが今、動き出しているのです。

今を生きる者として、少しでもエコロジカルな生活を望むことが、
我々の重要な責務であると痛切に感じ、このたびの経験を次代に生かしていきたいと思います。

投稿者 academy : 23:56

2007年11月22日

藤森小学校 5年1組 味覚教育      料亭旅館 清和荘 竹中 徹男

11月22日木曜日、つまりブログ担当の当日、
地元藤ノ森小学校の「味覚教育」授業がありました。

地域食育委員会にはもう入れて頂いて久しいのですが、
お恥ずかしながら私が主体となる授業はこれが初めてでした。

事前に担任で学年主任のk先生とお話をして、先生の方から指導案を提示して頂きました。
学習の目当ては「出し汁を味わいすまし汁を作る」と言う物です。

他のモデル校では3年生あたりでする「味覚教育」ですが、
当校では今までほとんど「食育」に取り組んで居らず、
給食献立に書かれてはいるのですが、ほとんどの生徒は見て居らず、
父兄も一部の方が見るぐらいでしたので、ほとんど初心者マークの学校でした。

そこで、今までの「昆布だし」や「かつお出し」を味わうだけでは物足りないと思いましたので、
私なりにいくつかの工夫をしてみました。

まず第一に、出汁の事を語るときに、幸いこの夏教育委員会の方々と研修させて頂いた
「礼文島視察」の画像や、他のメンバーから頂いた「かつお研修」の画像、
そして出汁を引く画像を私の店で撮影した物などを交えて、
おもしろおかしくパワーポイントにまとめる事にしました。

その中には、昆布が太陽の恵みをいっぱい受けている様子、
採っている方々の苦労、礼文島の大自然の様子、
かつお漁船の苦労、その加工風景と掛かる時間と手間、
出汁を引くポイントなどを盛り込みながら、「五味」と「旨み」の話しも出来るように作りました。

お陰様で生徒も大変興味を持って聞いてくれ、
自然の偉大さや、それぞれが命を持っている事を感じてくれたようでした。

また、「昆布だし」「かつお出し」「合わせ出し」の飲み比べをする事はもちろん、
各テーブルで出汁を引く実習をしてもらい、
その香りや、旨み、出来たての美味しさを感じてもらいました。

その上、有る一定分量の塩と淡口醤油を渡して
「各テーブルで味見をしながら、好みのお加減ですまし汁をつくって下さい」ということにしました。

大変興味深かった事は彼らが大変慎重にかつ真剣に味付けにこだわってくれた事です。
お加減が良いとか悪いとか、みんなでワイワイしながらも、気に入ったお加減にしてくれたようです。

そこで、あらかじめ用意した豆腐と若布を入れたお椀を回し、
おすましにしてもらいました。

それまでは出汁も勝手に味見をしていたのですが、
この時ばかりは「みんなが揃ってから」の合図を出し、
お箸を手に「いただきます」の声も高らかに「めっちゃうまい!」
「ほんまにええ臭いや!」などの感嘆の声と共に、一気に飲んでしましました、
中には好き嫌いが激しく、豆腐が食べられない子供もおりましたが、おつゆは全部飲んでくれました。

残ったおつゆを参観していた関係者や父兄にも飲んで頂き、
「本当に美味しい」と教室内がなんだか「温かい空気」に包まれました。
これが「家族団欒」の原点だとみんなが感じてくれたような気がします。

野生の肉食動物は獲物を捕らえると、ボスがまず一番に美味しい内臓を食べ、
ついで下の物が争うように残りを食べると聞いています。
力のない物は食べる事が出来ず、生きながらえる事が出来ない物もあるでしょう。
しかしながら、人間は同じ食べ物を分かち合い、喜びを感じ、
いろんな会話を楽しみながら食事をします。

まさに「共食?」です。

そうする事で仲間意識や愛情が育まれ、豊かな生活や文化が育ってきたのだと思います。
(文化が行き過ぎて戦争や、自然破壊も産まれていますが・・・)

我々日本人もこの「共食」を忘れているのではないでしょうか?
食卓にはナイターのテレビが放映され、子供が嫌いな物を残そうが、
お箸の使い方が下手だとか、学校でいじめにあって顔色が優れないとか、
何のサインも見逃し、挙げ句の果てに会社帰りが遅い為子供は
一人で好きな物だけを好きなように食べている、
「躾」もなにも合った物ではありません。

私たちの商売も、余り子供と一緒に食事はする時間はありませんが、
その分何かで取り戻すような「仕掛け」も必要でしょうし、そう努めるべきだと感じています。

今日お越しになったA企業のN氏によりますと、この会社は合わせ調味料をはじめ、
食品関係の仕事をされているのですが、その開発者が、夜遅くまで仕事をし、
家族とも食事をせず時間が遅いと言って「出し」も引かずに料理をするどころか、
時間がないとコンビニのお弁当ですませるそうです。

こんな事ではこれからの日本にとって良い商品は出来ないかも知れないとお話しされておりました。

また、我々が取り組んで居る「出し」は「ハレ」であり
その企業が作る合わせ調味料は「ケ」で有るべきだともおっしゃっておりました。

つまりはこれからの日本には古来より伝えられてきた「ほんまもん」が必要だと言う事でしょうか?

今日の興奮さめやらぬまま、徒然にしたためてしまいました。
お許しあれ!(前回渡米中につき抜けお詫び!)

投稿者 academy : 23:37

2007年11月21日

ホスピタリティーって、、、                美山荘 中東 久人

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近く美山荘のホスピタリティーについて話をさせて頂く事になったのですが、
ホスピタリティーって日本語に訳すと我々の業界では“お持て成し”となります。

“お持て成し”と一言で言ってしまえば簡単なのですが、
“お持て成し”とは学際的で社会貢献度の高い実学的な事で身近過ぎて
人に説明するのが非常に難しい事柄なんです。

あまりにも例がありすぎて、どんな事?って聞かれてもそれを具体化することは逆に
やぼったくなってしまうような気がしますね。

“お持て成し”とは目に見えない部分があって初めて目に見える形へと
反映してゆく訳ですから見えない部分を頑張れば頑張るほど持て成しの質が上がる訳です。

その見えない部分は その人自身の事になるのだと思います。

例えば、お持て成しとは こうこうこうやってこうやればお持て成しになるのですよって
伝えるとしましょう、それを聞いた人がその通りにやっても持て成しにはなりませんよね?

持て成しは、自分以外の人間に その人の性格
そしてそのタイミングで持て成しの仕方は変わってくるのですから、、、

もし“持て成し”という事を学問として理論的に完成させるのであれば、
すべての学問の学びが必要となってくるのではないでしょうか?
それが完全な学問となりしかも大学の4年間で習得できるのであれば、
複雑で瞬時に結果を求められる現代において、自立、対等、連帯、創造など
様々な人間間や組織間の摩擦をなくす事が可能になるであろう。

それほど“お持て成し”とは簡単なようで頭で考えると難しいのです。

私は賢くないので、“お持て成し”を“個々の内面に存在する思いやりの精神の表れ”と捉え
個々の精進に任せると簡潔にまとめ、一瞬一瞬を集中し意識してゆく精神力の強さを養う
事を皆さんにお勧めしようと思います。

その精神力があれば、持て成しに必要な事柄をなんでも勉強できますもんね、、、

投稿者 academy : 23:18

2007年11月19日

気づき                       山ばな平八茶屋 園部晋吾

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「一文字菊、見はったことある?」と、とある料理屋の会で、
隣に座られた先輩から言われた。

どんな菊かわからなかったので、「いいえ」と答えると、
「めったに見られるもんと違うし、ついておいで。」と外に連れ出されました。

何でもその菊は、皇室のご紋章になった菊だということ。
御紋章菊とも言われるその花は、一重の大輪で16枚の花弁をもつ。

皇室の菊の御紋は、見たことがあるけれど、こんな菊を見たのは初めてだった。

「来るときにも、何鉢かあったで。」と、先輩。

ずいぶん恥ずかしいことながら、来る道すがら、菊展があって、
いろんな菊があるな、見事だなと見ていたものの、
一文字菊は、まったく印象に残っていなかった。

帰り道で見てみると、確かに十数鉢、その菊はあった。

知らないということを知るというのは、とても大事なことだ。
けれど、「見えてても見えず、聞こえてても聞こえない。」

かつて、別の先輩から言われたことが、頭をよぎる。

つまり、自分にそれを見る意識があるかないか。
しかし、ありがたいなと思うことは、先輩の一言。

先輩は、その菊を知っていて、私は知らなかった。
そして、知らない私に、そのことを伝えてくださった。

自分だけ知っていて満足していては、何も伝わらないまま、
そのことを知っている人は、どんどんいなくなっていく。

日本料理も同じこと。
知っている人が、伝えていかなくてはならない。

ただ、大事なことは、伝え手側が意図した事を、
受け手側が受け取るアンテナを持っているかどうか。
一方通行になっては、これもまた、意味がない。
知らないと見えないものもたくさんあるということを改めて知った。

投稿者 academy : 23:54

2007年11月17日

ナパ                              瓢亭 髙橋義弘

先日、アメリカのカリフォルニア州ナパに行ってまいりました。
ナパはブドウ畑が一面に広がり、木々が紅葉し、とてものどかなところでした。
たくさんのワイナリーがあり、食が豊かな街だそうで、
スーパーの野菜や果物など、食材の豊富さと言ったら半端じゃありません。
オーガニック栽培はここから広まっていったそうです。

そのブドウ畑の真ん中に、料理のハーバード大学と呼ばれる
The Culinary Institute of America (CIA)という学校があります。
そこで、たくさんのレストラン経営者やジャーナリスト達を対象に、
「The Rise of Asia」というイベントが行われました。

中国やインド・タイやシンガポールなど、アジア各国からたくさんのシェフが集い、
料理のデモンストレーションや料理教室が行われ、屋台形式で料理を提供するなど、
とても活気のあるイベントでした。
その中で、私もJapanチームの一人として参加してきました。

私が今回担当したのは、“だし”だったのですが、
屋台形式で一口吸い物を提供したところ、
こんなコメントをいただきました。

Its amazing!
Absolutely dericous!
Fantastic!
そして、Unbelievable!

とっても好評だったようです。
英語は話せませんが、単語はわかります。

具は、蓮根団子にきのこ・水菜・柚子という簡単なもの。
昆布・カツオ節・柚子以外は、現地で用意してもらいました。
蓮根団子は、さっと焼いたホタテを手でほぐし、
すりおろしたレンコンとあわせて団子にして油で揚げたもの。

団子を揚げながら、透明のクリアーカップに入れ、
温めた吸地を加えて提供しました。

他の国々は、ココナッツやニンニク・香辛料など、インパクトが利いた料理が多く、
初めは、だしの味がぼやけてしまうのでは、と不安でした。
でも皆さん何気に一口飲んでみて、
“えっ”と言う驚きの表情とともに、
先ほどのうれしいコメントをいただきました。

他国のシェフにも好評だったようで、
一度食べたシェフが他のシェフを連れてくることもよくありました。

日本人はアツアツの吸地をすすりながら飲むのは慣れていますが、
アメリカの方は、やはり食べにくそうでした。
そんな様子を見ていたので、吸地の温度を少し下げ、
口をつけにくい方にはプラスチックのスプーンで食べてもらいました。

すするというのは、空気を含ませながら温度を下げ、風味が倍増する、
だしを味わうには最適な食べ方です。
でもそれを強要してはいけないと考え、
自由に召し上がっていただきました。

シンプルなのに味わい深い。
日本料理にはそんな要素がたくさんあります。
料理に奥行きがあるんですよね。
歴史や文化・技術といった確かな人の営みを感じ取ることができます。
今回は、少しでもそんな日本料理の特徴を
アメリカの方やアジアの方々に感じ取っていただけた
良い機会になったと思います。


イベントのほかには、ワイナリーを回ったり、
現地で有名なレストランを訪れたり、
とても有意義な時間を過ごすことができました。

アメリカの中でも地域によっていろいろあると思いますが、
様々なことを吸収し、ひとつの融合性を試みる
ナパの素晴らしい食を感じ取ることができました。

帰り際には、現地で人気のあるハンバーガー屋さんに寄ったり、
ワインやチョコのお店をまわったり。
ハンバーガーは、じっくり焼いたパンがサクッとして香ばしく、
ピクルスがいい感じで効いてて、しっかりかぶりついてきました。
ナパに一軒しかないというチョコレート屋さんのチョコは、
スパイシーだったりケーキ仕立てだったりと、
パッケージもかわいく細かい仕事が素晴らしかったです。
(甘さも控えめでびっくり!)

ちょっと失礼な言い方かもしれませんが、
予想もしていない、とってもおいしいハンバーガーとチョコでした。
今度行ったらまた食べたいっすね~。(笑)
たぶんNYとも少し違った、
ゆったりとしたアメリカの風景を満喫することができました。


書ききれないほど良い刺激を受けることができたこの事業については、
追々メルマガでも掲載予定です。
また見てくださいね。

投稿者 academy : 23:30

2007年11月15日

霜月                              菊水 髙橋 正人

ここ2、3日でぐっ、と寒くなりましたね。
これで遅れ気味だった紅葉が進むと良いのですが。

最近はメディアなどの情報が早くて毎日のように
桜の開花情報、紅葉情報などとTVなどで流されるので
京都への観光客も一時に集中するようになってきました。
確かに春は桜、秋は紅葉と言うのは一番季節感を楽しむには
良い方法なのかもしれませんが別に季節と言うのは
桜や紅葉だけで感じるものではないと思うのです。

私たちが提供する日本料理の世界には食材の旬、
そして器や掛け軸など、いろいろなところで季節感を大切にしています。
そう言う、「設え」と言ったものでも季節(四季)を楽しむことが出来るのではないでしょうか?

今月11月は「霜月」と言う言い方をしますね。
11月頃になると朝は霜が降りるところもあります。
冬の京野菜の中には霜が降りることで美味しくなっていくものもあるそうです。
食の中にも季節を感じて味わっていただきたいと思います。

投稿者 academy : 23:53

2007年11月14日

松茸不作                            修伯 吉田修久

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毎年思うことですが、本当に松茸というのは日本の食材の中で
最も人気のある食材の一つだと思います。

最近では6月にはもう早松が出回り始め6月から11月の始めまで味わうことができます。
もう松茸の季節は終わりましたが今年の松茸は香りが乏しかったように思います。

朝早くに市場の競りに出かけ100箱くらいある松茸を片っ端から香りを嗅ぎましたが
香りのあるものは10箱もないくらいでその香りのない松茸が
キロ10万という単位で競り落とされる状況を見てるとちょっと不思議な気分になりました。

毎年滋賀県から送ってもらう松茸も今年はなく、
松茸山の人も今年は台風がないから松茸の菌が散らばらない、
だから今年は少ないって言ってました。

25年くらい前、滋賀県の浅井町と言う所で
父親が松茸山を1年間たぶん5、6万で買って
それで松茸が10キロ以上は取れてたと思います。

それを持って帰り焼き松茸にして食べようと思ってたら
おばあちゃんが半分人あげて残りはすべて松茸ご飯にして
しかもその松茸ご飯は水が多くベトベトのご飯になってしまった悲しい思い出があります。

その話をお客様にすると、皆様いろんな松茸話を持っていて、
昔はすき焼きの中の松茸は肉の代わりで子供は肉は食べれず
「松茸を食べなさい」と言われてたとか、
ゴルフ場でゴルフ中に松茸を取っていたなど今では考えられない話を皆様持っておられます。

20年でこれほどまでに変わっている状況では、
さらに20年後にはなくなってしまうのでしょうか?

昨年1Kg60万だった白トリュフが今年は不作らしく70万から始まり100万近くしています。

どれほど変わるか分かりませんが、デパートの地下の食品売り場で買い物をすると
ビニール袋を何重にも重ねて包もうとしてくれます。
近所のスーパーで買い物をするときはエコバックで買い物する事が当たり前なのに・・・。

些細なことですが繋がるっているような気がします。

投稿者 academy : 23:48

2007年11月13日

本日のぼやき その16              滋賀 比良山荘 伊藤剛治

暖冬たたり琵琶湖酸欠」 (10月27日の産経新聞のみだしより)

琵琶湖の酸欠の話しは、本日のぼやき(その8)~(その10)の3回にわたり
ぼやかせて頂きましたが、またもや再浮上でございます。

新聞によりますと、県琵琶湖環境科学研究センターの調査、発表によるもので
水深90メートルの湖底の、水中酸素濃度を観測した結果、1リットルあたり
0.3~0.4ミリグラムだった。
この数字がどの程度かというと、なんと!!
例年の10分の1
それも、昭和54年から続けている観測史上最低値だそうだ。

ほんまに大変な事になってるんです。いつもの酸素が10分の1しか無くて魚たち
は本当に生きて行けるのやろか?ほんまに心配です。

 例年1~3月にかけて「全循環」と呼ばれる現象で、琵琶湖に酸素が行きわたる。
別名「琵琶湖の深呼吸」が、通常1~2ヶ月継続するが、今年は約1週間しかできなか
った事が原因とみられている。

 「全循環」とは、以前にも書いたとうり、雪解け水などの冷たい水が川から琵琶湖に
入る。この冷たい水が、湖の表面から深層へ入る事により混合現象がおき、湖全体に
酸素が行きわたるのだ。・
今回の「全循環不十分」の原因は、やはり昨シーズンの記録的暖冬によるもののようである。

 いよいよ、「本もろこ」のシーズンに入る。「本もろこ」と言えば、琵琶湖の“底もの”の代表格である。
「モロコよ!!生き延びていてくれ!!」 
そう祈るばかりである。
                                                       合掌

投稿者 academy : 23:54

2007年11月12日

LE GUIDE CULINAIRE              梁山泊  主人 橋本憲一

このところ、週に3回ぐらいフランス料理を食べている。こんなことは初めてだ。
これも巡り合わせとおもい、身を任せている。
そして、これを機会にフランス料理を少しだけ勉強してみようと思い出した。

『LE GUIDE CULINAIRE』(エスコフィエ フランス料理)(1903年刊)
という厚さが10センチ近い料理本がある。

ジョルジュ・オーギュスト・エスコフィエ(1846~1935)というシェフが
伝統的なフランス料理をわかりやすく体系化した。

この頃、この本を読んで楽しんでいる。
たとえば、
Consomme Blanc Simple(コンソメ・ブラン・サンプル)(10?分)
 主材料 子牛のすね肉と脂身のない牛肉7?(内訳は脂身のない
     肉4?と骨つき肉3?の割合とする)
 香味料 にんじん1.1!)、かぶ900g(5~6個)、ポロねぎ
     500g、アメリカ防風200g、中くらいの玉ねぎ
     2個(200g)、クローブ3個、にんにく3片(20g)、
     セロリの茎3本(120g)
 注ぎ水 冷水14リッター
 調味料 粗塩70g
 所要時間 5時間 

コンソメの作り方について
 コンソメ・サンプルを作るには5時間くらいかけるのが普通であり、
 これは牛肉から肉汁を出すのに十分な時間である。
 その代わり、骨を未来から離し、溶解する部分を引き出すには、時間は全く不十分である。

その結果非常に重要であるが、12~15時間かけてゆっくり調理することが必要になってくる。
したがって、大きな調理場では、砕いた骨を入れ、少なくとも12時間火にかけて
コンソメを仕立てる習慣ができていった。

このコンソメは、肉だけはいった2番目の鍋に入れるのに用いられる。
2番目の鍋は4時間ほど火にかければよく、その時間は肉料理にどうしても必要な時間である。

第二の作業の時間は、肉や野菜を丸ごと用いないで、こま切れにすることで短縮することもできる。(『LE GUIDE CULINAIRE』角田明・訳 井上幸作・技術監修 柴田書店刊)

二十世紀初頭に完成度の高い料理本が出版されていたものだ。
日本料理とは手間が違う。それをちゃんと書いてある。

この本を読み終えたころには、この本の知恵でなく、
重さだけが体についているかもしれない。恐ろしいことだ。

投稿者 academy : 23:38

2007年11月11日

すき焼き屋                      懐石・宿 近又 鵜飼治二

すっかり日も短くなり、そして秋らしくなり、少し寒くなってきました。
京都の紅葉もそろそろ始まりそうです。

さて、私の母は今年86歳になり、10年前とは何もかもが老いて、
いつあの世に行ってもおかしくないという年になってきました。

とは言ってもぜんぜんぼけてもいないし、元気に現役で朝早くから夜遅くまで
若い者と一緒に調理場で働いてくれてます。
本当に有難いことだと感謝しています。

しかし10年前とちょっと変ってきたことは、耳が遠くなったせいもあると思うのですが、
飽き性なったこと、わがままになったこと、すぐに怒りっぽくなったこと、などです。
年をとると子供に戻ると良く申しますが、確かにそのような傾向があります。

実は、先日、母が突然『すき焼き』が食べたいと言うのです。
それも三島亭か、モリタ屋に行って。

この忙しいときに何を贅沢なことをおっしゃるのかと、
返事をせずにその場を過ごしましたが、家内にそのことを言うと、
さっそく肉多めで『すき焼き』を作って母に届けてくれました。

それで確かに見た目は喜んではいたのですが、
さあ、果たして母は本当にそれで満足していたのでしょうか。
贅沢ばーさんはやっぱりお金を払ってでも
すき焼き屋で『すき焼き』を食べたかったのではとふと思います。

確かにすき焼き屋の『すき焼き』はやっぱり美味しいと私も思います。
店に行く贅沢感もあるのですが、やはりその炊きかた見ることでしょうか。
家でいただくのとはちょっと違うわくわく感があると思います。

仲居さんが来て、すき焼きを作り始める。
油を引いて肉を焼き***。その間、仲居さんが場もちに何やかやと講釈を始めてくれます。
すき焼きの変遷、最近の客の傾向、店のことなど。面白おかしく。

「さあ、食べておくれやす」いいですね。
人様に作ってもらう『すき焼き』は最高です。
やっぱり、秋の忙しい日が終わったら母をすき焼き屋に連れて行ってやろうと思います。

それでほんの少しだけ『すき焼き』について書きます。

『すき焼き』と言う名称が一般的になったのは、関東大震災のあとのことだそうです。
それまで東京では『牛鍋』、関西では『すき焼き』といっていました。
牛鍋は、鍋物だから、醤油、味醂、砂糖などを水で割った【わりした】で煮込むようにする。
すき焼きは、焼き物だから、肉や野菜を焼きつけて、最後に生醤油で味付けをする。
こんな違いがあったそうです。
もちろん、現在のすき焼きにはこんな区別はありませんが。

そして、ご存知のことですが、すき焼きの語源は、
耕作に使う鉄の鋤の上で獲物を焼いたことから、
刃の部分をとりはずして鍋の代わりに使ったので『鋤焼き』という名になったのです。
それではその【鋤鍋】が【すき焼き鍋】になったのがいつごろかというと
発祥は関西からで明治の初めのころだそうです。

最初は肉だけを焼いて食べていたそうですが、
くっついたりするなど調理法や美味しさの追求で、
その後、葱や、焼き豆腐、こんにゃく、麩などを入れ【わりした】とともにいただくようになり、
そして、さらに卵をといで、それにつけて食べるようになったのです。

誰が考えたのか、確かにすき焼きは卵に浸けて食べると本当に美味しいですね。
ただ、本当の肉の味を味わおうとするならば、
これは邪道ではないかという偏屈親父もたまにいますが。

寒くなってきました。さあ、この冬、美味しい『すき焼き』を食べましょう。
皆さんは、すき焼きを、家で食べるか、すき焼き屋で食べるか、それは皆さんの懐具合ですかね。

私は、思いきって母を連れてすき焼き屋に行ってきます。
もちろん家内も連れて行かねばなりません。

投稿者 academy : 23:49

2007年11月10日

ニューヨークの秋               辻調理師専門学校 小山伸二

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10月21日、22日と、「日本料理フォーラム」が無事、実施できました。
詳細については、ほかのメンバーの方からもコメント、報告があるかと思いますが、
まずは、第一報、私なりの感想を大急ぎで書いてみます。

足掛け3年。ながい道のりでした。ニューヨークまで。

フランスのときには、私の勤務している
辻調グループのフランス校があったので、だいぶ、気分が楽でしたが、
今回は、はじめてのお相手のインターナショナル・キュリナリー・センターの皆様。

結果的には、非常に、協力的で、運営面では、当日、たいへん救われました。
ボランティアの学生さんたち、卒業生の方々、皆さんすばらしかった。

ただし、ここにいたるまで、契約だの、予算だの、企画だの、
キッチンの図面だの、あれだのこれだの、も~、いま思い出すだけでも胃が痛い(笑)。

ま、それでも、今回のNY委員会のメンバーの方々、とりわけYさんには、
ほんとうに助けていただきました。これも、いまとなっては、いい経験でした。

さて、写真の怪しいお二人。
はい、これは、秋のNY、セントラルパークでの2ショットです。
フォーラムのために、料理の皆敷の葉っぱを「拾う」べく、辻芳樹を隊長にして、
セントラルパーク探検隊を結成して、出かけて行ったのでした。

地球温暖化ということなのでしょうか、NYも暖かい日が多いようで、
木々の葉は、紅くも黄色くもなっていません。

一同がっかりするも、セントラルパークを、1時間以上、
奥へ奥へ入っていくと、わずかに紅葉している木も発見できました。

到着二日目の、準備に終われる中での、楽しい秋のNYのハイキングにもなりました。

(写真は「祇園・丸山」の丸山さんと、「いづう」の佐々木さんです)


投稿者 academy : 23:53

2007年11月08日

私の好きな言葉14                       鶴清 田中信行

今回は皆様も一度は目にした事があると思いますが、
「親父の小言」という題の言葉を書かせていただきます。

朝は機嫌よくしろ       火は粗末にするな
人には腹をたてるな      風吹きに遠出するな
恩は遠くからかへせ      年寄りはいたわれ
人には馬鹿にされていろ    子の云うこと八九きくな
年忌法事をしろ        初心は忘れるな
家業には精を出せ       借りては使うな
働いて儲けて使へ       不吉は云うべからず
人には貸してやれ       難渋な人にほどこせ
女房は早くもて        義理は欠かすな
ばくちは決して打つな     大酒は飲むな
大めしは喰うな        判事はきつく断れ
自ら過信するな        貧乏を苦にするな
火事は覚悟しておけ      水は絶やさぬようにしろ
戸締りに気をつけろ      怪我と災いは恥と思へ
拾はば届け身につけるな    小商もの値切るな
何事も身分相応にしろ     産前産後大切にしろ
泣き言は云うな        万事に気を配れ 
神仏はよく拝ませ       病気は仰山にしろ
人の苦労は助けてやれ     家内は笑うて暮せ

昔、おじいさんやおばあさんからよく言われたようなせりふでどこか懐かしく、
また納得させられる言葉とは思いませんか?
私はこの「親父の小言」を部屋に貼り、いつも見れるようにし、自分を戒めております。

投稿者 academy : 23:30

2007年11月06日

ダブル、イサム                        右源太・鳥居宏行

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「なんか、寂れた感じやなあ・・・」

クイーンズ駅に近づくと、まだ昼過ぎというのに、
商店のシャッターは殆ど閉められていた。
カタコトの英語で、駅員に訪ねる。

「ドゥ ユウ ノウ フェア イズ 
  ミュージアム オブ イサム・ノグチ?」

「?」 「アイ ドン ノウ」

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「・・・。いけずな駅員やなあ。
  まあええわ、タクシーで行こ。」

しかし、イエローキャブを3台捕まえても、
休憩中だったパトカーのお巡りさんに聞いても、
YMCAの事務員も、その辺歩いてるおっさんも、
みんな知らないと言う・・・

第一、開いているお店も無いし、もう聞ける人おれへんがな・・・

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まいった・・・簡単に見つかると思って、
住所やら電話番号を書いたメモを
どこにしまったか解らないまま、ここまで来てしまった。

(前回のブログで、高松のナカシマとノグチのアトリエに、
14年ぶりに行ったことを書きましたが、
その印象があまりにも強烈だったため、
ペンシルバニア州のニューホープにあるナカシマと、
ニューヨーク州のロングアイランドシティーにあるノグチのアトリエを、
これも14年ぶりに再訪しようと決心して、
10月初旬に渡米したのでした。)

「アカン・・・一旦インターネットの出来るところで、
  所在を調べ直そう・・・」

意気消沈してタクシーに乗り込んだ。
浅黒い肌の年配のドライバーも、ノグチは知らないというので、
マンハッタンへ行って下さいと伝えた。

「アー ユウ ジャパニーズ?」
そうですと答えると、「わしは昔ヨコハマにいた。これがそのときの彼女じゃ。」と言って
古ぼけた白黒写真を見せてくれた。
若かりし軍服姿の彼と、日本人の彼女のツーショットだった。
他にも、大砲の弾を抱えて得意げにポーズを決めた写真等も見せられて、
オキュパイド・ジャパンとしてはちょっと気分が重たくなったけど、
「おっちゃんハンサムやんか・・・」とか適当に褒めて、
和気藹々と話していたら、上着からメモが落ちた。

「住所わかった!ここ、ここ知ってる?」
「OK、近くまで行って探そう・・・」Uターンして目的地に向かう。
この辺やなあと言いながらノロノロと進むが、
私も14年前の記憶があいまいでイライラする。

「あった!あった!」やっとたどり着いた。
するとおっちゃん「ここ、一ヶ月前にも着たことあるわ・・・」

心の中で「ええかげんにせえよ!」と思いながらも笑顔で礼を言って車を降りた。
14年ぶりの感動の一瞬!!と期待して中に入ると、ちょっとした違和感を感じた。

なんと、剣持勇とのダブル・イサム展を開催していたのだ。

1950年、丹下健三指揮のもと、慶應義塾大学校舎建築のインテリアと
彫刻制作のために来日していたノグチがスケッチを描き、
剣持が製図を担当した幻のイスを、今回特別に復元していたのだ。
粋な事をやってくれるやないか!!

没してなお、世界に名を残す先達の活躍は、
日本人の誇りであり、私のやる気を奮い立たせてくれる。ありがとう!!

それにしても、柳宗理と共にジャパニーズ・モダンデザインの礎を創った剣持と
ノグチのコラボレーション企画が生み出したこの竹椅子。
なんとか一般向けにも生産して欲しいものだ。(私は買うよ!!)

写真① 今回の企画のために復元された「バンブー・チェア」
写真② 剣持勇の代表作「ラタン・チェア」
写真③ 柳宗理の代表作「バタフライ・スツール」(右源太・和室洗面所)


投稿者 academy : 23:53

2007年11月05日

食いしん坊でミーハーで                  天喜 石川 輝宗

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私、石川めはアカデミーのニューヨーク事業に参加いたしました。

今回の事業では天麩羅の講習およびランチの天麩羅を担当させていただきました。   

前回7年前にニューヨークに行ったときはまだツインタワーは健在でした。
今回はグランドゼロで手を合わせてきました。

私は食いしん坊でミーハーで人としゃべるのが大好きです。
今回のニューヨーク行きの最大の楽しみがどんな物が食べられるか又どんな人に出合えるかです。

打ち合わせのときに夕食は‘モリモト’’ウルフガングステーキ‘’ノブ‘‘ブーレー’と
聞いていたので全てインターネットで出発前に調べておきました。

‘ノブ’は2回目です。調べた結果、森本正治氏ブーレー氏共、
今のニューヨークを代表するスターシェフだということが判りました。

ここで森本氏が料理の鉄人の3代目和の鉄人で
今アイアンシェフUSA のアイアンシェフであることも判りました。
もうこの時点で私のミーハーの血が騒いでおります。

初日の夜モリモトで食事をいたしました。
驚いたことにモリモトに私の旧知が働いていたのです。
それがきっかけで森本氏と記念写真取ることが出来ました。

私の講習の時、森本氏を見て思わず’ウオー鉄人や’叫んでしまいました。
森本氏は苦笑いしておられました。

講習は全3回あったのですがこの中にブーレー氏の姿もありました。
ブーレー氏、私の天麩羅1人で2人前以上食べていた、
また油の温度調整の仕方を熱心に見られていたと後で聞き私自身非常に嬉しかったです。
ブーレー氏の店でしっかり握手と記念撮影をして帰りました。

生徒さんにシェフとよばれ非常に気持ちよく、
又Icc校のドロシー校長のマンションでのパーティーで摩天楼の夜景を見ながら
シャンパンを飲みスーパーVIP の気分も味あわせていただきました。

こんな経験が出来たのも日本料理アカデミーの事業に参加したおかげです。
また機会があればニューヨーク行きたいですね。

写真はもっとも印象に残った料理、森本氏ブーレー氏との記念写真、です

投稿者 academy : 23:50

2007年11月03日

衣替え                               岡庄 岡 豊雄

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11月に入りすっかり寒くなりました。

本来夏服冬服の変更は6月と10月ですが、今年は少し暖かかったので11月にしました。
気候が暖かい沖縄は5月と11月に衣替えが行われることが多いみたいです。

衣替えの歴史は古く、平安時代から続いているようです。
当時は4月と10月だったみたいです。

ですが江戸時代ぐらいから皆様ご存知のながれであります
6月と10月になったみたいです。

平安時代は太陰暦だったでしょうかね~?

そんなことを考えながら久しぶりに好きなチョッキをきました。
うーんまさに秋を感じますな!

あたたかいだけでなく、袖もまくれて調理にも適した服装だ!
勝手に納得しています。

夏も完全におわり、最近はビールから焼酎を飲むようになってきました。
いつも水割りですので11月から衣替えでお湯割焼酎にして、
グラスから湯飲みにしようかとずいぶん悩みましたが、
12月に入って本格的に寒くなってからにしました。

今月はグラスだけは衣替えをしないで、
お湯割焼酎の楽しみは来月にとっておきます。

投稿者 academy : 23:59