ジョージ・ナカシマとイサム・ノグチ ◆ 右源太・鳥居宏行 ◆
先日、14年ぶりに、高松の桜製作所(ジョージ・ナカシマの日本における工房)と
イサム・ノグチのアトリエ(現在は庭園美術館)に行きました。
今から14年前(‘93)の事ですが、故ナカシマ(90年没)の
回顧展が大丸梅田店で開催されました。
当時、立ち上げ準備中だった貴船ギャラリーで、
ジョージ・ナカシマの作品を扱いたいと願っていた私は、
ナカシマのご遺族が来日されると聞いて、
是非お会いしたいと思い訪ねました。
ノーアポで行ったため、梅田ではすれ違いに
なってしまいましたが、大丸の担当者が連絡して下さり、
翌日、高松の桜製作所でお会いすることができ、
それがきっかけで作品を扱う事ができるようになりました。
半日の滞在でしたが、アメリカPA州のニューホープにある
工房を訊ねる事を約束して帰路につきました。
その後何日か経って桜製作所を再訪した後、
イサム・ノグチのアトリエに行きました。
ここはノグチが、環境そのものが、
芸術のインスピレーションの源泉になること願って製作した、
全体がひとつの大きな「地球彫刻」となっています。
もとは丸亀にあった商家を移築したイサム家の居間の、
障子べりの一段下がった所に、
ナカシマを思わせる木のテーブルがありました。
卓上に、グラスの輪染みを二つ三つ見つけて、
ノグチの魂がそこにあるような気がして、
とても嬉しかった事を覚えています。
今回、高松を訪れる事になったのは、
知人から、讃岐うどんツアーのお誘いがあったからで、
その前日は東京に居ました。
(去る6月のコラムでご紹介した、二コルさんを描く
鶴太郎さんの写真を撮った日)
その日鶴太郎さんは、仕事で四国から
帰ったばかりだと仰っていました。
あの後、夜中までご一緒させていただいた私は、
渋谷区松濤からタクシーで羽田へ向かい、
翌朝、高松行きの便に乗りました。
空港に出迎えて下さったのは、
地元で飲食店を多数経営されている方でした。
参加者は、案内役を買って出て下さった
飲食店オーナー、建築家、華道家、
店舗プロデューサー、某有名企業社長秘書の方々と
私の計6人でした。
讃岐うどんには以前から興味があって、
今回の企画ももちろん楽しみにしていました。
4件ハシゴして、満腹になったところで、
連れていってもらった所が、
桜製作所と、イサム・ノグチのアトリエだったのです。
予期せずの再訪でした。14年前、緊張して訪れた時と
ちっとも変っていませんでした。
桜製作所の会長も、庭園美術館の館長も、
いまだお元気で活躍されていました。
そして、やっぱり、あの輪染みもそのまま残っていました!
その時、館長が仰るには、高松県庁ビルに展示されている
ノグチの彫刻が、他の場所に移設されようとしているとの事。
県庁ビルを設計したのは同行の建築家です。
「ノグチの彫刻は、あそこに置くようにと設計したのだから、それは困る!」
館長も「県の為に、破格でお譲りした物なのに!」
全員で「それはアカン!」ということで、県に働きかけることになりました。
阻止できるといいのですが・・・
その日の夕食は、案内役を買って出て下さった方のお店でイタリアンを頂きました。
大正時代に建てられた、お茶室もある古い民家を改装した、高松でも話題のお店でした。
食事中、お店の人から、「昨日、鶴太郎さんが来られました」と聞いてびっくり!
二次会のシガーバーのカウンターで、14年前の事を思い出して、
感謝の気持ちで一杯になりました。
04年には念願の、宿泊客室「ナカシマとノグチの部屋」を作ることができたのも、
突然訪問した私に温かく応対して下さった、ナカシマのご遺族と桜製作所の皆様、
ノグチの居間を見せて下さった館長、大丸の担当者様のおかげです。
それと、讃岐うどんツアーに誘って下さった皆さん、ありがとうございました。
ナカシマとノグチのアトリエに再訪できたのも、
彫刻移設の事を建築家が知る事ができたのも、鶴太郎さんの事も、ありがたいし、
また、偶然ってあるもんやな~と思って飲んでいると、
桜の社長が、「今日(5月24日)はナカシマの誕生日なんや・・・」と教えてくれました。
写真①
‘93年 貴船ギャラリーのナカシマ作品(ベンチ・コーヒーテーブル、
ダイニングセット)とイサムの“あかり”
写真②
‘04年 右源太宿泊室(洋室)のナカシマ作品(ベンチ・コーヒーテーブル、
ダイニングセット、キャビネット)とイサムの“あかり”
写真③
‘04年 右源太宿泊室(和室)のナカシマ作品(ラウンジチェア・
サイドテーブル、キャビネット)とイサムの“あかり”
投稿者 academy : 2007年10月06日 23:58