2007年10月30日

名画を見る                         杢兵衛 寺田慎太郎

私は絵(掛け軸)が好きです。
特に江戸時代中後期辺りに活躍した画家の作品が好きです。

私の店の周辺には数多くの骨董屋さんが点在し、
ふと休憩時間なんかに絵を見たいという欲求に駆られると
すぐさま自転車に飛び乗り見に行きます。
時間に余裕がある時は美術館に行ったりすることも多々あります。

京都という所は本当に凄い所で、何気なくお店に飾ってある絵が円山応挙であったり、
伊藤若冲であったり、池大雅であったりします。

そしてこういった絵達に呼び止められ、
中に誘い込まれて更にびっくり仰天することもまたよくあります。

奥のほうから出てくる絵の中には美術館でも
なかなか見ることが出来ないような珍品があったりします。

例えば、

世界中に数枚しかないと言われる喜多川歌麿の肉筆画であったりとか、

池大雅と妻の玉瀾の合作であったりとか、

円山応挙と与謝蕪村が鴻池家の酒宴の席で描いた画賛であったりとか、

長澤蘆雪の若かりし頃の超細密画であったりとか、

伊藤若冲の彩色画であったりとか、

青木木米の重要美術品に指定されている画賛だとか、

松尾芭蕉による画賛であったりとか。

しかもこういった絵を美術館と違って間近で見ることが出来るのです。

更にもうひとつ美術館では決して見ることが出来ないのが、掛け軸を入れる箱です。
これがまた非常に面白いもので、この辺りの絵には基本的に共箱はあまり無く
その画家の弟子が箱書きをしたり、鑑定家による箱書きが多いのですが、
以前一度だけ大雅の共箱を見たことがありこれには非常に驚き感動しました。

大事にされてきた絵は箱も丁寧に作られており、二重箱になっていたり、
更にすごいものは三重箱になっていて、中箱は真塗りで
字が蒔絵になっていたりすることもあります。

名画を見る、ということで厭なことを忘れることが出来、
私の心を癒し、仕事への活力となり得ることが私にとって大きな喜びです。
そういった絵を私の店の床の間に飾ることが出来れば、
と思うと興奮を抑えきれなくなります。


投稿者 academy : 23:58

2007年10月29日

おふらんす 第二話                     木乃婦 髙橋拓児

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先月、『おふらんす 第一話』を広報の高橋君に送ったつもりが、送信ミスで抜けていました。
読者の皆様、広報の高橋君、すいませんでした。ということで、早速、第二話の始まりです。

コルディアンバージュでは、17人の料理人が調理を担当しており、
前菜・魚・肉・デセールに完全に分かれ、それぞれにシェフ・ド・パルティ(部門シェフ)が存在します。
その上にサード、セカンド、そしてグランシェフであるティエリー・マルクスがいます。

私は、フレンチの厨房研修は、始めてですので、初日は借りてきた猫のようにおとなしく、
とても従順に、日本人研修生(フェランディ国立料理学校に通っている若き女性。)の
「たまちゃん」(写真中央ぼかし入り)と一緒に前菜を作らせて頂きました。

仕事をしながら、厨房の全体的な動きを見ていたのですが、みんな非常に動きが早い、
踊っているようです。日本料理の動きが「丸」であるとするならば、「∞」でしょうか?

ですが、みんな結構まめに短い休憩をします。
シャトーの裏に出て、一服または軽くシエスタしています。

私もちょっとシエスタ、ああ、清々しい!!
しかし、ゲストが来るや否や、戦場と化します。
大きい声が飛び交い、肉を焼く煙や、鍋を振る音が、皆の緊張感を高めます。

下手したら、後ろから撃たれそうな雰囲気です。
参戦した日本人である私は、竹槍を持ちながら手助け?邪魔?をしておりました。

無事、ゲストが満足して帰ると大勝利です。
帰る時に皆で褒め称えて握手、女性とは頬にチュッチュッをしてさようならです。

チュッチュッも含め、かなり楽しい!
半年ぐらい居たい!!って感じです。

さあ、それで肝心のティエリー・マルクスの料理は、・・・つづく。

ひっぱるなあ~


投稿者 academy : 23:47

2007年10月28日

おふらんす 第一話                     木乃婦 髙橋拓児

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ボンジュール!ジュスィジャポネ!
皆様お元気ですか?最近、めっちゃフランスかぶれの高橋です。

実は今月の初旬に、仕事の合間を縫って10日間ほど
フランスに厨房研修に行って参りました。
場所はボルドーのポイヤックにある「シャトー・コルディアンバージュ」です。
(http://www.cordeillanbages.com)

そこは、一面に広がる葡萄畑で、近隣にはラトゥール、
ピション・ラランド、ランシュ・バージュがあります。

シャトー巡り!といきたい所ですが、今回は日程も短く、
目的は厨房研修なのでレストランにびっちり貼りつかせてもらいました。

朝は8時から夜は12時頃まで厨房にいました。
シエスタは15時から3時間位あるのでスタッフの皆は苦にならないようでしたが、
私はその時間、シェフのティエリー・マルクス氏のご案内で色々な所へ連れていただきました。
貴重な体験で非常に有難かったのですが、流石に疲れました。

話は変わって、厨房に入る初日、スタッフとの初対面です。
私は、緊張した面持ちで「ボンジュール!アンシャンテ!」と握手を交わしながら、
多少にっこり♡。そこで、とっておきのお土産をご披露しました。

「お土産の『YUZU』です。」と言うと、皆は「オー『YUZU』!!$#%&*@+、
『YUZU』<?+%#!!マニフィック!!トレ、トレ、トレボン!」と
よくわからない会話をしていましたが、とりあえず感動して頂けたようです。

それをきっかけにすっかり打ち解け、料理をすることが出来ました。

コルディアンバージュには・・・つづく。


投稿者 academy : 22:35

2007年10月24日

時代祭りで感じた京の「粋」                 萬重 田村 圭吾

ここ数日すっかり涼しくなってまいりましたね。
先日22日は京都料理組合の皆さまとともに、時代祭りに参加させていただきました。

平日にも関わらず、市民の皆さまがお祭りの行列奉仕に参加されておられました。
詳しい時代祭りの話は後日、準主役がお勤めになった方からご報告があると思いますが、
今日は私が時代祭りから感じた京都の「粋」についてお話します。

その方の名前は「清水さん」(もうひとりの女性の方がたしか
そう読んでおられたように記憶しますが?)と言うお方で
私たちの着付けから食事の配給にゴミ集め、
また進行に対してのさまざま指示をだして下さっておられた方です。

それとなしに「ご主人は平安神宮の方ですか?」とお聞きすると
「いえいえ、私は普段はただのサラリーマンです。
祖父の時代から縁あってお世話をさせて頂いている関係で
私もその業を引き継いでいるだけです。
かれこれ35年くらいになりますか?」とさらりと言っておられました。

三条木屋町で信号待ちしているときに交わした会話ですが、
私は誇り高き京都人の「粋」に触れることが出来た貴重な時間でした。

江戸っ子のように「ねじりはちまき」で我先に祭りに参加する元気の良い「粋」とは違い、
「目立たんとこほどキッチリする。」また「人が大変やなあーと思うことをさらりと続ける」
これが京の「粋」と私は感じます。
自分には程遠いことですが・・・・・。

京都の人々はこうやって伝統・文化を市民レベルで皆さんひとりひとりが
守って下さっているのだと感謝の念でいっぱいになりました。

平安神宮近くまで戻ると参道の皆さんから我々に
「ご苦労さん。ご苦労さん。」の声援を頂きましたが、
装束を着ている私たちはある意味、表舞台で晴やかなものですが、
朝早くから集まり長い時間歩いた私たちと同じ時間、
いやそれ以上に「裏方さん」の方がほんとうの意味で「ご苦労様」と思います。

「縁の下の力持ち」で頑張って下さった「清水さん」と
「黄色のトレーナーの女性方(スミマセンお名前がわからず)」はじめ
他の裏方の方々この場をお借りして御礼申し上げます。
本当にありがとうござました。

最後に本日、高橋英一組合長の後ろで歩かせて頂いたので、
いろいろなお話をお伺いできました。
組合長は毎年、「供奉長」というお役をされており、
それ以前からいろいろな役をされていたようです。

「私もなんやかんや毎年歩かせて頂いて33年になるかな?」と
さらりとおっしゃる組合長にも「粋」を感じた一日でした。

投稿者 academy : 23:58

2007年10月23日

十勝・帯広紀行 その1                   嵐山熊彦 栗栖 基

今月初旬、東京のお客様S氏の執りはからいで、当店グループのN店長ともに
広大な十勝平野の中心都市として栄える帯広市を拠点に
美食・美湯礼賛の旅を敢行してまいりました。

と、言いましても事前に打ち合わせて旅行計画を立てたわけではなく、
現地に精通されたS氏の御案内のもと、ひと時の安息を求め秋風の中、
北の大地を歩いてまいりました。

取り分けて申すならば、帯広滞在中の天候はすこぶる良好で、
まさにガイドブックに掲載される写真や大雪山系の風景画の世界に引きずりこまれたような、
まさしく大自然の香りを満喫できた旅でした。

もちろん北海道は過去、幾度となく訪れておりますが
今回は別格で時間にとらわれることなく自然体のまま、
五感の気孔は常に全開で全身再生された気分に浸り、
体内の細胞は普段の何倍にも活性化していたようです。

私の稚拙な文章では到底、この大自然を礼賛する事は不可能と判断し、
これ以降は写真とその説明でお話進めていくことしましょう。

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 十勝千年の森

日高山脈と十勝平野の境界部分に位置し、芽室岳北部にあるペケレベツ岳を主山とし、
標高は275~460mで標高差180m、敷地350ヘクタール。

十勝千年の森を運営する農業生産法人「ランラン・ファーム」は、多様な動植物が
生息する自然林の育成・保全と、十勝在来の樹種の植林による本来の十勝の森の復元、
環境教育の場づくりを実践しており、千年におよぶ事業計画のもと地球環境を考え、
この森を通じて、新しい価値観を次世代に広め、人間と自然が共生する事の重要性を
全世界に発信しており山頂から見下ろす景観は必見の価値があります。

森の中にひっそりと鳥兜の花が咲いていました。
まさしく“綺麗な花には毒がある”という言葉がピッタリ!

この日のディナーは、帯広市内にある、知る人ぞ知るジンギスカンの名店、
秘伝のタレに漬け込まれた羊肉を兜形の鍋で焼き、焼きたてを一口食べれば、
瞬時に柔らかくジューシーな肉の旨みが口一杯に広がり、
今まで食べたジンギスカンとは一味ちがい、牛肉で食べる量の倍量を完食しました。

この店は女将さんが1人でお店を切盛りされ、まさしく地元に愛され、
親しまれているのが一目でわかる、とても気さくで気の行き届く、肝っ玉母さん、
お話しするだけで、とても心が休まり、明日への活力が沸いてくるような人でした。

その後、繁華街をぶらり、北の酒場は我々を暖かく迎えてくれ、
酒宴は深夜まで続き、誰も明日の予定など気に留めない、気ままな旅行初日となりました。

次回も引き続き、十勝・帯広紀行と題し、秘湯巡りのご案内をさせていただきます。

投稿者 academy : 23:51

2007年10月21日

お菓子教室                        美山荘 中東 久人

%E3%81%8A%E8%8F%93%E5%AD%90%E6%95%99%E5%AE%A4.jpg最近 私、お菓子作りに興味を持っておりまして、、、。
なぜかと言いますと、お菓子作りは明らかなる方程式があり誤魔化しがないからなのです。

材料の分量を間違えると、膨らむものもふくらまず固まるものも固まらない、
こういった感性の部分だけでは完成しない明らかなる答えが存在しています。

例えば、普段 創造している懐石料理は 最初の料理からお抹茶までトータルで構成し、
一つの形としてお客さまに満足していただきますが、
お菓子はそのもの1個で食べる人を満足させなくてはいけません。

ただ美味しいものであればレシピ本を見れば、ある程度できますが、
満足させるためにはかなりの哲学と理解をもって創造してゆかなくてはいけません。

そこで、私は本日 京都のオ・グルニエ・ドールの西原シェフが行っている
お菓子の教室に行ってきました。

結論から申し上げますと行って良かった! 回りは女性ばかりで嬉しさの反面、
違和感も少々感じましたが、頑張ってそのやさしい空気に馴染んでゆき
西原シェフの分かりやすいお菓子作りの方程式を聞いている内に、
男である事を忘れてゆきました、、、

そんな話はどうでもよいのです!

やはり実際に聞いていると料理本などをみながら作るのとは大違い、
1秒1秒に意味があり、それを理解せずに進めてゆくと結果は
ホームメイド的なお菓子になってしまうのです。

例えば、小麦粉の温度や砂糖の種類による保湿の量であるとか、
粉の混ぜ方など本当に瞬きをするのも忘れるくらい内容のあるお菓子作りの教室でした。

私が普段やっている日本料理とは違うジャンルでありましたが、
非常に“こだわり”という部分を刺激され自分自身が常に持っている
“こだわり”の幅が広がったような気がします、、、 

西原シェフ ありがとうございました。

投稿者 academy : 23:52

2007年10月19日

野生の鴨                      山ばな平八茶屋 園部晋吾

昔、ある人の講演でこんな話を聞いた。

デンマークのジーランドにある湖に、毎年飛んでくる野生の鴨の集団いた。

あるとき、その湖にとても親切な老人が現れた。
その老人は、遠くから飛んできた鴨に、おいしい餌を与えた。
鴨たちは、その餌を喜んで食べた。

秋になっても、野生の鴨は南方に向かわず、そのままその湖に残った。
苦労して、餌を求めていかなくても、そこにはいつもおいしい餌があった。
毎日が、幸せで、楽しかった。

ところが、ある日、その餌をくれていた老人が、死んでしまった。
餌をもらえなくなった鴨は、慌てて次の湖に飛び立とうとしたが、
野生をなくし、醜く太った鴨たちは、もはや飛び上がることすら出来なかった。

春先の暖かい日は山の雪を溶かし、その濁流が一気に湖に流れ込んだとき、
野生を失った鴨たちは、すべてその濁流に飲み込まれてしまった。

安住、安楽を得た野生の鴨は、数千キロを飛翔する力を失い、
自然の変化に対応できなくなっていた。

かつての日本人は、敗戦から立ち直るために、
がむしゃらに働き、奇跡の経済成長を成し遂げた。

豊かさと平和を手に入れた次の世代の日本人は、
かつての日本人がしてきたことなど気にも留めず、
当たり前のように安住、安楽の中で過ごしている。

こういう私自身もその中にいる。飼いならされて、飛べなくなるより、
数千キロ飛翔する力を持ち続けたい。

毎日、こう戒めているのだが、これがなかなか難しい。

投稿者 academy : 23:54

2007年10月17日

生きる力                            瓢亭 髙橋義弘

すでにブログでご存知の方も多いかと思います。
私事で大変恐縮ですが、先日結婚いたしました。

これまでお世話になった方々には、
より深く、そして末永く、
お付き合いさせていただきたい。
父の言葉を借りますと、
正直に謙虚にと
自分自身を戒めながら、
一生懸命がんばっていく所存です。
改めて皆様には、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

今後もどうかよろしくお願い申し上げます。


さて本題ですが、
先月、新潟の長岡にてイベントをしてきました。
「現地の食材を使って京料理を仕立てる 第5弾」

今回のメインは諸子。
京都では昔から琵琶湖の諸子をよく食べました。
子持ち諸子なんか最高ですね。

でも最近は、環境の変化とともに諸子は減少。
口にするのはほとんどが養殖です。
その諸子の養殖を新潟で始められました。


皆さん以前震災があったときに、
養殖場の鯉が取り残されたのを覚えておられますか?
実はその場所が諸子の養殖場になったんです。

その場所は山あいにあって、日本でも珍しい環境の地域です。
谷間に棚田があるように点々とその養殖の池がありました。
ところどころ、岩が落下した形跡を残しつつ、
厳しい環境の下にありました。
私はその光景を見て、人々の生きる力を目の当たりにしました。

そして、新潟を訪れる度に、仕事が円滑に進み、
現地の方々やスタッフの皆さんのもてなしもうれしく、
ここでもより深い絆が結ばれていることを改めて実感しました。


私は正直に申しまして、
料理も人付き合いも決して器用ではありません。
不器用なほうです。
それでもたくさんの方々と巡り合えたのは、
食を通した様々な交流があったからこそ。

この数日、たくさんの方々に支えられている自分を自覚しました。
そして、私もできる限り、人の力になりたい。

人が人を支える。
そして、おいしい笑顔が生まれる。


また来年もイベントを行うのが楽しみです。

投稿者 academy : 23:54

2007年10月15日

フェローシップが紡いだ絆                 菊水 髙橋 正人

先週は我がアカデミーのメンバーでもある瓢亭の髙橋義弘君の結婚式でした。

お父様は京都料理組合長で日本料理界の重鎮、髙橋英一氏ですから
京都の料理業界でも「いつ頃結婚するのやろ?」「お相手はどんな人やろ?」と
この数年、注目の的になっていました。

今年になってようやく、ご本人から結婚が決まりましたとの報告を受けて
一同、さらに「どんな人やろうなぁ」と、他人の奥さんなのに非常に楽しみにしていました。

そんな中で450人もの出席者の中で行われた披露宴、京都の料理業界はもちろんのこと、
日本中から瓢亭さんとお付き合いのある方々が出席されていたわけですが、
その途中での祝電の披露の中で、耳に留まった名前が有りました。

パスカル・バルボ、ジャック・デコレ、セバスチャン・ブラス、クリストフ・ロア、
マルティーヌ・デコレ、ヴェロニク・ブラス、マリアンヌ・コモリ、
そしてコーディネーター兼通訳をしていただいた相原さん。

昨年のフェローシップで来日したフランス人たちがお祝いのFAXを送ってくれたのです。

もちろん、我々の事業は料理文化の交流がメインですがそれをきっかけとして
日仏料理人の間での友情を紡いでいくこともまた、意義のあることだと思います。

我々のして来たことが、小さな花を咲かせた瞬間でした。
これからも、こう言った出会いと絆を紡いでいけたらと思いました。

さて、話は変わりますが来週、京都では京都の三大祭りのひとつ、「時代祭」が行われます。
料理組合では毎年、「神饌講社列」と言う、お供え物をご奉仕する行列を担当しています。

本年は、ブログのメンバーでもある、岡君が馬に乗りますので岡君ファンの方は
沿道で声をかけてあげてください。

ちなみに私も今年は別の列に加わります。鎧兜を着て歩くので分らないかもしれませんが。
今日、鎧と兜を試着しました。兜の重さに当日、平安神宮までしゃきっと歩けるか不安です。

維新志士列で兜をかぶってへばっているのを見かけたら沿道から応援して下さい(笑)

投稿者 academy : 21:32

2007年10月14日

行列のできる魚屋                       修伯 吉田修久

私の家の近所に古川町商店街という200mくらいの商店街があります。
そこに夫婦2人とアルバイトでやっている小さい魚屋があります。
そこは結構良い魚を扱っていて料理屋にも卸たりもしています。

奥さんがとっても料理が上手で曜日ごとに奥さんの手料理も販売しています。
木曜日は散らし寿司の日でその散らし寿司はとっても人気があり
早く買いに行かないとすぐに売り切れてしまいます。

具はとってもシンプルでジャコ、椎茸、蒲鉾、錦糸玉子だけなのですが、
柔らかい錦糸玉子と甘い椎茸が絶妙でとっても美味しいんです。

私もその散らし寿司が大好きで朝早くに行きますが
すぐに売り切れてしまうのでなかなか買う事ができません。

その味わいは昔食べたお母さんの味で同じものを作ってと言われても
その素朴で深い味わいはとても真似する事ができません。

昔、修行時代からその魚屋さんを知っていて料理の得意な奥さんに
賄いのヒントなど教えてもらった事もありました。
奥さんの作る若竹、肉じゃがなどは絶品でした。

旦那さんも良い人で鱧とぐじが大好きでいつも買い過ぎで
売れ残しては奥さんに怒られると言う漫才みたい事を毎日しています。

でも、良い魚が大好きでいつも新鮮な魚が店先に並んでいました。
鱧とぐじの目利きは素晴らしく必ずと言っても良いくらい開いて見ると油の入りは最高でした。

今でもたまに奥さんの味を思い出して献立のヒントにしたり、
旦那さんの教えで鱧やぐじの目利きをしていて本当に役立っています。

投稿者 academy : 23:52

2007年10月13日

本日のぼやき その15              滋賀 比良山荘 伊藤剛治

昔から残ることわざは、実に上手く本質を捉えていて、いつも感心させられますが、
“ 香りまつたけ 味しめじ ”
このことわざだけは、異議アリ!であります。
一本しめじ、大黒しめじ、等なども確かに美味いけど、私の持論は

“ 香りまつたけ 味まつたけ ”であります。

「趣味ワル~!! オマエには、しめじの控えめでこの品位の高いがわからんかぁ~」
とお叱りの声も聞こえてきそうですが、私とて、この件に付きましては、一歩も引くわけには参りません。
松茸に想い焦がれて、寝ても覚めても、寝ごと、うわ言に出てくるまで愛しているのですから。
(ちょっと大層かなぁ)
 
 山から下りたての松茸は、それはそれは素晴らしいもんです。
中でも、見た目より“ズシッ”と重い“丸もん”(開いていないツボミの事)は、ほんまに 
最高です。
手に取ると、足の部分は、柔らかなうぶ毛が立っているような感触。
考えただけで、私の全身の毛も逆立ちそうです。

 そんな上もんを、真二つに割って、炭の熾ったコンロの上へ。
なんとも言えぬ“あの香り”が部屋中に充満して
表に裏にとひっくり返して“ジュッジュッ”と松茸の汗がしたしる音がしたら、とり皿へ。
ここからは、更に至福のひと時
“イッキ”に足の先から頭の先まで“スーッ”と手で裂いてやれば、今度は貴方だけの為
に香りが開きます。(考えただけで頭がクラクラしてきた。)
そのままでも良し、スダチ塩に少し付けるも良し。
なんて極楽、極楽!!

 こんな上もんを食べて下さったお客さまの決まり文句はいつも
「あーー!!これで明日死んでもええわ~。」
「そんなん言わんと、来年もまた元気で来ておくれやす。」
                                     合掌 

投稿者 academy : 23:55

2007年10月12日

筑紫哲也さんの生還                梁山泊  主人 橋本憲一

筑紫さんとのお付き合いは、26年になる。

今年5月の連休はご一緒した。

別れた翌日の月曜日に検査入院で肺ガンと判明した。
連休中は咳が酷く、つらいつらいの繰り返しだった。

私もかっては煙草を吸っていた。

20数年前にやめたのだが、筑紫さんは私同様に
ヘビースモーカーのままこの連休までこられた。

ニュース23の中で「自分だけは大丈夫だと思っていた。
しかし、肺ガンだとわかると、喫煙との因果関係は歴然で、
なんの根拠もなくそのように考えたのが不思議だ」、ということを仰った。

「神風信仰なんだよね」、と自嘲的に仰ったのは退院祝いの席だった。

お見舞いに伺った時に、元気で退院した暁には、
筑紫さんの好物である「フカヒレ」を食う約束をした。

京都で特別に用意をして貰った手のひら大のフカヒレをほうばりながら、
元気がすっかり戻った姿に再会できたのは、うれしかった。

昨年は35年来の親友・灰谷健次郎さんを食道癌で持って行かれた。

悔しかった。
筑紫さんもまた…では、やるせない。

そして、10月8日高橋義弘さんの結婚式の夜、
筑紫さんは番組に戻ってこられた。おめでたが二つも続いた日だ。

願わくば、再発を免れ完治されて、日本料理アカデミーの運動にも理解を頂き、
協力をお願いしたいと思っている。

会員の皆様どうか完治されることをお祈り下さい。
そういう気持ちは通じるようです。宜しくお願いいたします。

尚、決して変な宗教ではございません。

念のため。

投稿者 academy : 23:51

2007年10月11日

てんぷら                        懐石・宿 近又 鵜飼治二

幼いとき、母に「今夜はてんぷらにするし」と言われると、
海老やきす、薩摩芋、南瓜などに衣をつけて揚げたもの、いわゆる天麩羅だと想像します。

「今夜はてんぷら買ってきたし」と言われると、
かまぼこ屋で買ってきたすり身を揚げた平天や牛蒡天、生姜天を想像します。

関西と関東ではそれぞれそのてんぷらの言い方が違うのは皆さんご存知ですが、
関東ではすり身を揚げたてんぷらをさつま揚げと言い、衣をつけたものを天麩羅といいます。

衣揚げの天麩羅は関東で発達した料理で、
幕末関西では、てんぷらはすり身を揚げたもので、
衣をつけた天麩羅はつけ揚げと言ったそうです。

しかし東京の天麩羅が普及して、関西では次第につけ揚げという名称が忘れられ、
天麩羅と呼ぶようになり、二種類のてんぷらが生まれたと言うことです。

明治のころ東京では薩摩の人が、大勢押しかけてこのすり身を揚げたてんぷらを
好んで食べたそうです。それで薩摩揚げと呼んだのでしょうか?

関西の天麩羅は一般的には、サラダ油を使い、白っぽい衣に揚げ、
天つゆではなく塩をつけて食べる工夫を考えました。

この関西流の天麩羅が反対に関東に伝わり今は主流となったと言うことです。

年配の江戸っ子は、昔のごま油や、かやの油で赤茶色になるまで揚げた
天麩羅を懐かしく思うそうです。

投稿者 academy : 23:57

2007年10月08日

私の好きな言葉13                       鶴清 田中信行

今回は皆さんもご存知のエジソンの言葉を載せさせていただきます。

私のどの発明も偶然の産物ではなく、不断の努力によって成し遂げられたものだ

という言葉です。

エジソンは彼のもっとも有名な発明である白熱電球について、
若い記者からこんな質問を受けました。

「電球を完成させるのに一年以上も実験し、五千回も失敗したそうですが、
そのときはどういうお気持ちでしたか?」という質問にエジソンは記者の顔を見て、こう答えました。

「五千回も失敗した? そんな事はないよ。うまくいかない五千通りの方法を
発見
するのに成功したんだからね。」と言ってます。
 
エジソンは失敗を成功への布石と考えて努力を重ねました。
その結果世界史上最も多くの発明をし、生涯に千を超える特許を取得した事で知られています。

このように自身を持ち続けた上でもっとも重要な事は、失敗を前向きにとらえる事だと思います。
失敗したからといって、失敗者ではないのです。
失敗の代償は成功の価値を理解するための「授業料」と考えればいいのです。
何かに挑戦すれば失敗するのは当然です。

本当の失敗とは、挑戦するのをあきらめる事だと私は思います。

投稿者 academy : 23:55

2007年10月06日

ジョージ・ナカシマとイサム・ノグチ             右源太・鳥居宏行

%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%B0%E3%83%81.jpg先日、14年ぶりに、高松の桜製作所(ジョージ・ナカシマの日本における工房)と
イサム・ノグチのアトリエ(現在は庭園美術館)に行きました。

今から14年前(‘93)の事ですが、故ナカシマ(90年没)の
回顧展が大丸梅田店で開催されました。

当時、立ち上げ準備中だった貴船ギャラリーで、
ジョージ・ナカシマの作品を扱いたいと願っていた私は、
ナカシマのご遺族が来日されると聞いて、
是非お会いしたいと思い訪ねました。

ノーアポで行ったため、梅田ではすれ違いに
なってしまいましたが、大丸の担当者が連絡して下さり、
翌日、高松の桜製作所でお会いすることができ、
それがきっかけで作品を扱う事ができるようになりました。

半日の滞在でしたが、アメリカPA州のニューホープにある
工房を訊ねる事を約束して帰路につきました。
 
その後何日か経って桜製作所を再訪した後、
イサム・ノグチのアトリエに行きました。

ここはノグチが、環境そのものが、
芸術のインスピレーションの源泉になること願って製作した、
全体がひとつの大きな「地球彫刻」となっています。

もとは丸亀にあった商家を移築したイサム家の居間の、
障子べりの一段下がった所に、
ナカシマを思わせる木のテーブルがありました。

卓上に、グラスの輪染みを二つ三つ見つけて、
ノグチの魂がそこにあるような気がして、
とても嬉しかった事を覚えています。

今回、高松を訪れる事になったのは、
知人から、讃岐うどんツアーのお誘いがあったからで、
その前日は東京に居ました。
(去る6月のコラムでご紹介した、二コルさんを描く
鶴太郎さんの写真を撮った日)

その日鶴太郎さんは、仕事で四国から
帰ったばかりだと仰っていました。

あの後、夜中までご一緒させていただいた私は、
渋谷区松濤からタクシーで羽田へ向かい、
翌朝、高松行きの便に乗りました。

空港に出迎えて下さったのは、
地元で飲食店を多数経営されている方でした。

参加者は、案内役を買って出て下さった
飲食店オーナー、建築家、華道家、
店舗プロデューサー、某有名企業社長秘書の方々と
私の計6人でした。

讃岐うどんには以前から興味があって、
今回の企画ももちろん楽しみにしていました。

4件ハシゴして、満腹になったところで、
連れていってもらった所が、
桜製作所と、イサム・ノグチのアトリエだったのです。

予期せずの再訪でした。14年前、緊張して訪れた時と
ちっとも変っていませんでした。
桜製作所の会長も、庭園美術館の館長も、
いまだお元気で活躍されていました。

そして、やっぱり、あの輪染みもそのまま残っていました!

その時、館長が仰るには、高松県庁ビルに展示されている
ノグチの彫刻が、他の場所に移設されようとしているとの事。
県庁ビルを設計したのは同行の建築家です。

「ノグチの彫刻は、あそこに置くようにと設計したのだから、それは困る!」
館長も「県の為に、破格でお譲りした物なのに!」
全員で「それはアカン!」ということで、県に働きかけることになりました。
阻止できるといいのですが・・・

その日の夕食は、案内役を買って出て下さった方のお店でイタリアンを頂きました。
大正時代に建てられた、お茶室もある古い民家を改装した、高松でも話題のお店でした。
食事中、お店の人から、「昨日、鶴太郎さんが来られました」と聞いてびっくり!

二次会のシガーバーのカウンターで、14年前の事を思い出して、
感謝の気持ちで一杯になりました。

04年には念願の、宿泊客室「ナカシマとノグチの部屋」を作ることができたのも、
突然訪問した私に温かく応対して下さった、ナカシマのご遺族と桜製作所の皆様、
ノグチの居間を見せて下さった館長、大丸の担当者様のおかげです。
それと、讃岐うどんツアーに誘って下さった皆さん、ありがとうございました。

ナカシマとノグチのアトリエに再訪できたのも、
彫刻移設の事を建築家が知る事ができたのも、鶴太郎さんの事も、ありがたいし、
また、偶然ってあるもんやな~と思って飲んでいると、
桜の社長が、「今日(5月24日)はナカシマの誕生日なんや・・・」と教えてくれました。

写真①
‘93年  貴船ギャラリーのナカシマ作品(ベンチ・コーヒーテーブル、
ダイニングセット)とイサムの“あかり”
写真②
‘04年  右源太宿泊室(洋室)のナカシマ作品(ベンチ・コーヒーテーブル、
ダイニングセット、キャビネット)とイサムの“あかり”
写真③
 ‘04年  右源太宿泊室(和室)のナカシマ作品(ラウンジチェア・
サイドテーブル、キャビネット)とイサムの“あかり”

投稿者 academy : 23:58

2007年10月05日

映画村                             天喜 石川 輝宗

%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%82%80%E3%81%AD.jpg先月の25日、26日とYPO という集まりの
パーティーが祇園歌舞練所と映画村でありました。

これは世界中の青年大社長様のお集まりでございます。
この会において私どもは2日間にわたり天麩羅の海老と格闘してまいりました。

また大勢のアカデミーのメンバーも1日目の歌舞練所のパーティーの屋台でお世話になりました。
2日目の映画村は私にとっては特に印象深いものと成りました。

たん熊北店様からの紹介で行ったのですが、
この映画村での立食パーティーは、外国の方にとっては
大変インパクトの強いものだと思います。

映画村のセットに屋台をしつらえての立食スタイルです。
立食パーティーの最中にチャンバラが始まるは、
虚無僧は笛を吹いて歩き回るは、手裏剣は投げさせてくれるは、
忍者や女ねずみ小僧はセットの中を飛び回るは、
仕事をしていても大変楽しかったです。

後残念ながら完売は出来なかったのですが、
残った商品を他のメンバーと物々交換しました。
こんなこと出来るのも有意義なことですね。

この映画村でのパーティーのしつらえ見ておくことは、
私にとっていい経験となりました。

写真は1日目の歌舞練所の口取りです。

投稿者 academy : 21:54

2007年10月03日

秋刀魚                               岡庄 岡 豊雄

%E7%A7%8B%E5%88%80%E9%AD%9A.jpg先月の献血の結果γGTPがなんと106あり、28回目の献血で
初めて基準値をはずし、大ショックでした。

これはいかん!!何とか好きなビールを減らさずにγGTPを減らそう!

何かないかな?おっ!さんまだ!!

さんまは栄養がたっぷり含まれています。
たんぱく質・鉄分・ビタミンA・カルシウムと、その吸収を助けるDも含んでいますので、
出来るだけ食べたいですね。

さらに、コレステロール値を下げる働きがあるうえ、
肝臓の機能の促進に繋がりますのでこれは期待できます。

とりあえず今日は秋刀魚の南蛮漬けを食べます。明日は塩焼きでたべようかな~♪


☆ さんまの選び方 ☆

目が澄んだものをえらびましょう!

秋に出る丸みをおびた形の太めのものを選んでください。

塩焼きで食べると、美味しさがよりわかりやすいですよ。

お寿司にしたいのであれば、細見の秋刀魚がおすすめですよ。

大きさや形を考えて料理をすると、さんまのありがたさをひしひしと感じますね。

どのような調理をするにしても腹がしまっていて、背中につやがあるのを選べば新鮮です。


秋といえばさんまですが、最近では冷凍技術の発達し、年中手に入るようになりました。
ありがたいですな~。

冷凍のさんまを解凍したものでも、解凍のロゴが入っている商品は、
さんまの鮮度を保ったまま冷凍しているので、生と同じくらい美味しいですよ!

投稿者 academy : 23:55

2007年10月01日

秋の実りを感じて             学校法人 大和学園 小笠原 淳

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10月に入って、朝晩の寒さも日中と比べると
ぐっと冷え込み、徐々に寒くなってきたかなと思います。

秋というと食欲の秋という言葉がすぐに思い浮かび、
色々な食材がおいしく感じる今日この頃です。

さて話は変わりますが、我が家の近所に
小さいながら小山がありまして、
その山沿いの道路には栗の木が何本か
自生しています。

通勤途中に通る道なので、
毎日それらの栗の木が目に入ってきます。

ご存知だと思いますが、栗は8月の終わりごろから
小さな栗のイガができて、だんだんと大きくなり、
9月の終わりごろから10月初旬にかけて
成熟した栗の殻がはじけ、実が落ちます。

その通勤途中の道端にも、栗(かなり小さ目)が
あちらこちらに落ちています。

もちろん車も通るので、殻や栗が踏まれて散乱しているのですが、
中にはそのまま残っているものもあります。

勝手に取ってはいけないのでしょうが、道に落ちているものですので、
先日の休みの日に、娘と一緒に掃除をするかのように、
ごく少量ですがひろって持ち帰りました。

持ち帰った栗は小さいながらもしっかりと実が詰まっていて、
どうしても食べたいと娘にせがまれたので、
栗のむき方を教えつつ、塩茹でにして食べました。

栗の味はしますが甘みはそれほど無く、
とてもおいしいというものではなかったのですが、
娘がたいそう喜んで食べていました。

食べ終わってから娘が「また来週も行こう」といったので、
「多分もうとられて、なくなってるやろうな」などといいながら、
次回の休日にまた行く予定となりました。

小さいながらもしっかりとその形・味を主張する栗を食べた娘に、
自然の秋の実りや旬について教えることができたこと、
また収穫(?)して食べた旬の味を覚えてくれたことが、
食育の第一歩だとあらためて感じた次第です。

投稿者 academy : 23:51