2007年06月23日

日本料理と色と観念                    嵐山熊彦 栗栖 基

日本料理は芸術である。

料理は言うまでも無く芸術作品であるが、
そのうえ皿や椀、小鉢にわたって食器を厳選。
皿まで食らうのである。

これは日本人特有の食文化であり、食器の優劣で料理の味も変わってくる。

日本人は生きるために食し、その食を文化の域にまで発展させてきた。
これについては自然と人間とのかかわり、これまでに日本に渡来した宗教をはじめ
幾多の大陸文化の影響を受けているといえよう。

そして日本独自の文化が形成される過程において、
食の世界もその時代の生活様式を背景に進化してきた。

そこで日本料理と色と観念の関係について調べてみると、
我々が食事をする時、最初に体内で味を感じる場所が
舌の表面や上アゴにある乳頭の中の味蕾という細胞群である。

味蕾(ミライ)とは舌の表面にある無数のブツブツとした突起物(乳頭)の中にある細胞群のことで、
水や唾液に溶けた食物がその細胞群を通じて大脳の味覚中枢につたわる。

赤ちゃんで245個、壮年期から老年期にかけ200個に減少、
75歳以上の老人は88個と報告されている。

つまり舌の表面において味を認知する能力は
大人より子供のほうがずっと鋭敏であるが、それだけで味を認知するのではない。

人間は発育していく過程でいろんな食物に触れ、
食することによって体感した食物の味覚を観念的にとらえ、
歳をとるにつれてそれらの味覚観念を多数蓄えることができる。
そしてそれらの味覚(甘、辛、酸、塩、苦、旨み)と
感覚(視覚、臭覚、聴覚、温冷覚、触覚)の融合により、
食物の味を認知するのである。

特に色と食の関係は、味覚を左右するとても重要な役割を持つ。

ある実験のデータによると、各々4種類に色分けしたブース(濃茶・赤・青・黄)に、
同じポットから注いだコーヒーを各人試飲していただいた。
当然、同じ味のコーヒーを試飲するので色分けしたブースではあるが、
同じような味覚回答がでてきても不思議ではない。
が、結果は濃茶のブースではコーヒーの味はきわめて濃く、
赤、青の順に薄くなり、黄では薄すぎて不味く、酸味をおびたように感じたという回答が出た。

つまり色が味覚を左右するのである。

日本料理は、元来、素材が持つ“味”を引き出し、
素材それぞれの固有色を生かして、食欲を十分に満たすもの。
すなわち生鮮をはじめ乾物にいたるまで、
それぞれが天然の固有色を損なわないで、料理できれば理想である。

その次に、別の固有色として日本料理の基本的な加熱調理法を使用することにより、
より食欲をそそる色が生まれるのである。

また、料理を賞味する環境の視空間は様々である。

それが座敷であれば、まず、はじめに室内の装飾品や内装、
庭や借景にいたるまで様々な色彩を体感し、
その後、季節の器に彩られた素材そのものの色を生かした料理をめでる。

それに加えて賞味する人の精神状態、健康状態、料理に対する知識や
個々の審美眼などその人が今まで経験してきた味覚観念など。

また、周辺の丁重な給仕、料理屋の歴史や格式、
料理人の心意気などその時空間にある無数の要因が融合されて料理の味がきまるである。

まさに日本料理が瞬間芸術であるといわれる所以である。

その姿は、時に1時間もたたない間に消え去り、再び時を経てまったく違う形や色彩で現れる。

それは森羅万象がおりなす自然の姿そのものである。

野に咲く花はただそれだけで美しい、しかしその花は、
めでる人の素養によって美しさを無限大に広げることができる。

料理の世界も同じことが言えよう、気をてらわず、
迷いのない料理はそのものずばり美しいのであり、
それを食す人がどれだけその素晴しさを理解し、
その裏にある様々な要因や作り手の人間性まで感じ取ることができるのか。

その崇高な精神世界まで上り詰めることが重要であり、
その観念が多くの自然美を芸術の域まで高めてきた一つの要因ではなかろうか。

投稿者 culin : 2007年06月23日 21:26