2007年06月29日

地元の産物について                     監事 西田 隆夫

先日兵庫県の篠山市にある百合園に行ってきました。
私は野草好きなので、野草園の雰囲気を期待して行きました。

一歩足を踏み入れると色とりどりの百合がところ狭しと密生して咲いており、
聞くところによるとシーズン時は10万本が咲き乱れるとのことでした。

家内と二人で行ったのですが、全体として大変カラフルで豪勢ではあるのですが、
二人ともどこか違和感を持ちながら見ていました。
見終わってから、その違和感は何かなと考えてみました。

まず第1に西洋系の原色の濃い種類が多かったこと。
また同じ種類の百合が整然と植えられており人工的な印象をもったことにありました。
二人で自分達だったらこんな風に工夫するのにと、勝手にこの園の経営者になりきって
二人で議論していました。

ちょうど見終わったところで、露天で丹波栗の焼き栗を売っていました。
焼栗といえばすぐに思いつくのが天津甘栗であり、
比較的小粒の甘栗をイメージします。

天津甘栗はどこへ行っても見かけるものであり、
その地域でないと食べられないというものではないので、
自ら買ってまでして食べると言うことはほとんどありませんでした。

ところが、この露天で売っていた焼き栗は、
地元である丹波産の栗を使っており、
また見た目にも大粒でボリューム満点だったので、
おいしそうなイメージにつられて買って食べることにしました。
丁度時間的に3時前後でおやつの時間帯ということもあり、
大変おいしく頂くことが出来ました。

今の季節は栗がとれる時期とは外れているのですが、
それでも地元の産物を地元で食べるということのイメージが
おいしさを感じるうえで大きな影響を与えているのだということを、
改めて確認することになりました。

丹波篠山といえば、丹波栗以外にも黒豆や牡丹鍋など
郷土色豊かな食べ物が多くあります。
今度篠山を訪れるときはその産物が取れる時期に
これらの産物をおいしく食べることを目的にして訪れたいものです。

私共の住んでいる京都では、いわゆる京野菜がブームとなっています。
この京野菜は、もちろん品種として味の面で優れていると言うこともあるのでしょうが、
さらに京都のもつ雅なイメージも手伝っておいしく感じる効果が倍化されているのだと思います。

さらに同じ京都といっても、京都の雰囲気を最大限感じることができる
料亭という空間でそれを頂くことが出来れば、
正にこれ以上はないという京野菜の味を満喫することが
出来るのだろうということを改めて感じています。

投稿者 culin : 21:14

2007年06月28日

日本食が世界を変える!                  木乃婦 髙橋拓児

昨日、東京くんだりまで、ディナーイベントに行って来ました。
イベントタイトルは、『日本食が世界を変える! From New York』です。

内容は、NYより初来日した新進気鋭のアメリカン・シェフ、
クレイグ・コケツ氏が日本産の食材を用い、創意工夫を凝らした
モダン・ジャパニーズ・キュイジーヌを提供するというものでした。献立は下記の通りです。

 ・ アゴ(とびうお)とラッキョウのマリアージュ
 ・グリルした剣先いかと甘唐辛子のサラダ
 ・真鯛、大根、ブラウンバター・フォーム、ゆずと白醤油ヴィネグレット・フォーム
 ・鳥取和牛のバター煮に3種類のきのこ
 ・3種類のメロンに香辛料の塩
 ・鳥取米のライスプディングとブリュレ、酒シロップ、生姜と紫蘇のナージュ

そして、それらの料理に、国産の甲州葡萄を使ったワインが合わされていました。

ここで考えられることは、カリフォルニア生まれでNYに住まいする
日系2世のクレイグ・コケツ氏が、日本料理としてNYで出している料理を、
日本産の食材を使って日本でイベントをされたことが、企画として非常に面白いということです。

現在、NYで日本料理として認知されている境界線が分かります。
例えば反対に考えると、仮に私がNYで現地の食材でイベントをすることになれば、
今回かなり使用されたバター、オリーブ油、ワインヴィネガーを使うことは勿論、
一皿の構成比が日本:西洋=4:6になってもNY市民には
日本料理として許容範囲だと考えられますし、その方が集客に繋がると言えそうです。

今回のイベントに参加して、何をもって日本料理とするのか、
その定義付けをすることは現段階では時期早々で、
今後更に双方向的に人材及び文化交流が行われてから
こだわるべき話しのような気もしてきました。

日米料理人の創る料理の個性、いわゆるアイデンティティの交錯が、
かなり必要かとも思いました。

これはフランスとの関係についても同様で、
日本料理を海外に伝える難しさを改めて痛感した、非常にためになる食事会でした。

投稿者 culin : 21:36

2007年06月27日

鮎の塩焼き                            銀水 山岸裕明

夏の床といえば鱧と鮎。

やっぱり鮎は塩焼ですね。
蓼酢をちょっとつけて、頭から食べてもらいます。
塩をふって焼くだけの仕事なのですが、これがまた難しい。

炭火を火床の手前が高くなるように置いて、生きた鮎に串をうちます。
まず鮎の裏になる面を軽く炙って塩を立たせます。
次に表面を焼き上げます。

目が白くなったら焼けた証拠なのですが、頭から食べられるように
口の中に鮎の油が沸騰したように見えたら裏返します。
そして今度は裏からじっくりと火入れをします。

この時、鮎の頭が焦げるプチプチという音に全神経を集中させます。
鮎の油で頭の骨をフライ状態にして食べられるようにするためです。

金網に笹を敷きその上に鮎を盛り付けます。
塩をつめたホウラクの真ん中にいこった炭を置いて
竹の添え串をそこで燃やして煙が出るようにし先ほどの金網に
盛った鮎をのせて蓋をしたら、急いでお客様のところへ持っていきます。

川魚が嫌いという方も意外に多いのですが、
こうしてお出しすると食べていただけるようです。

この前、20代前半のお客様が
「鮎は燻製にしてから焼いてあるのですか?」とお尋ねになられました。

焼いている時に鮎の油が炭の上に落ちるので、
その煙が燻煙の替わりになって炭で焼いた独特の風味になります。
たぶんその方は炭火で焼いた鮎を初めて食べられたのでしょう。
鮎を大変気に入っていただき、「一生懸命に焼いてよかったなぁ」と誇らしい気持ちになりました。

投稿者 culin : 21:25

2007年06月26日

とある美術館                相伝京の味 なかむら 中村元計

先日、とある美術館へドライブをかねて行ってきました。
この美術館は田舎にあるどちらかと言えば、こじんまりした美術館です。
 
その道中休憩がてらにカフェに入りました。
このカフェは田舎の国道沿いにあり、周りは丘や山が広がり、
交通量はそこそこありますが、人はあまり歩いていないような道沿いにありました。
地元の人が入るカフェではなく遠方より来る人たちをターゲットにしたカフェのように思われました。

中に入るとまず地元の特産品などの土産物が並べられ、
その奥にセルフのドリンクのカウンターがありました。
そして右手前と左手前に硝子のショーケースに入った硝子のグラスや皿などが売られておりました。

その右奥には何故か服が展示販売されておりました。
その中にいくつか座ってコーヒーを飲むことのできる木のテーブルが
4つほどあちらこちらに置かれておりました。

このように書きますと何か凄くちぐはぐな店内を
イメージされるかと思いますが、しかし店全体は不思議とアンバランスな感じはせず、
かといって落ち着いている訳ではないのですが、違和感はなくゆっくりくつろげる不思議な空間でした。

そしてその中ではお年の頃なら60くらいのおばちゃんが一人で店の番をされておりました。
私たちはコーヒーを注文しました。

おばちゃん曰く「ポイントカードをお持ちですか?」

私「そんなもん持ってるわけないがな」と心の中で思いました。
しかしおばちゃんはとても親切にポイントカードを作ってくれました。

「○○個貯まったら1,0000円のサービス券を渡しますからね。又来てくださいね」

私(心の中)「そんなもん貯まるわけないし」

そうこうして、コーヒーをもらい、テーブルに座ってゆっくりくつろいでいたのですが、
そのテーブルがとてもアンティークな感じがして趣がありました。
椅子も洒落ていて一つ一つに違う彫り物がされています。
木肌を食い入るように全体を見ていたら、テーブルの足のところに紙が張ってありました。

「16世紀スペインのもの」と書いてありました。
「えらい、立派なものやなー、何でこのような田舎に・・」と感じました。

そして、もしやと思い他のテーブルを見ますと
皆同じように気の利いたデザインの洒落たものばかりで、
そのうちの一つは直径2メートル位の1枚の金属で出来た敷物がテーブルの上に敷かれており、
非常に細かい彫り物がされておりました。これもまた年代物のテーブルでした。

「これ何で出来ているのですか」もしやと思い尋ねました。
おばちゃん曰く「銀だそうですよ」
「えー?」なるほどまさかと思いましたが、やはりその類のもでした。

それがきっかけで、店のものをよく見回すと
先ほどショーケースに入っていたのは販売品ではなく展示品でした。
バーナードリーチ、バカラ、ボヘミア、ロイヤルコペンハーゲンの
今では売っていないアンティーク物ばかり。

「何や、凄いなー」と見入っておりました。「なんでこんなカフェに・・・」

そしてついでに服も見に行きました。
遠くから見ていた分には分りませんでしたが、
よく見るとこれらの服は色合いや,生地、デザインがなかなかよい。
それでいてものすごく安い。思わず物色して5着も買ってしまいました。
普通の半額くらいの安さでした。ここでも驚きました。

そしてその服をカウンターに行って買いました。
「はいさっきのポイントカードかしてね、判子押すからね。」
「アーラ、全部たまったわよ、じゃぁ1,0000円引くわね。」
「ほんまかいな」こんなところのポイントカードは二度と使うことはないと思っていたのに、
まさか満タンになるとは。思わずおかしくなり、そのおばちゃんと長々と話すことになりました。

よく聞くとここのオーナーは大阪に本社を持つスポーツウェアを主とした
男性ファッションメーカーの創業者だそうです。
故郷であるこの地で自身のコレクションを保存・公開することを目的に美術館を建設されたそうです。
ということで実はこのカフェの横がお目当ての美術館だったわけです。

館内は大小3つの展示室に分かれ、大展示室で常設展示として
バーナード・リーチの作品を主体に、企画展示は小展示室とドームで、
広重の浮世絵、棟方志功の版画など他の収蔵品をテーマに半年単位で行っているそうです。
海外赴任中はバーナード・リーチとも交友があったそうです。 
おばちゃんから入場券を買い入場することになりました。
「おばちゃん、入場券頂戴」と言って券を買いました。
おばちゃん「又、買ってくれるのね、ありがとね」
「今扉を開けるからね」と言って、おもむろに鍵を持ってきて、開けてくれました。

今回見たときはドーム内と小展示室は殆どピカソと棟方志功、
大展示室はバーナードリーチが主に展示されておりました。
特にピカソは晩年のものらしきものが多く展示されていました。

一通り見終えて、おばちゃんに挨拶に行きました。
「ありがとうございました、とても楽しかったです。」
「しかし、おばちゃん、無用心な美術館やな、
金塊ごと持っていくドロボーがいる時代に、こんな無用心な美術館知らんは。(笑)、
警備員の一人くらいいててもらわなあかんで」

おばちゃんはニコニコしながら「そやねー」
「喉かわいたやろう、お茶でも飲みよし」
「そやねーて、ホンマ物騒やで」てな会話をしていたら
そのカウンターの横におもむろに変わった絵がかけられていました。
「これは誰の絵?」おそらく無名な人であろうと推測する私の予想に反して
「あっ、それ、それねピカソらしいわよ」
「えー、ほんまですか?」

普通いわれのある骨董品や絵画などは奉るように大事に管理し、
一般客との距離も遠い中、こんなに無防備で親近感を抱いて
見せてくれたところは生まれて初めてでした。

おばちゃんの人柄もさることながら、非常に素晴らしい楽しい時間がもてました。
                                     
                                             感謝

投稿者 culin : 23:59

2007年06月24日

賀茂茄子                           萬重 田村 圭吾

賀茂茄子は江戸時代より日本一の茄子と言われ、
茄子の仲間でも最大級の茄子です。

起源については定かではありませんが、江戸時代初期の書物にはすでに
「鴨川東岸の田中地区で丸くて大きい茄子が栽培されていた。」と記されています。

今や京野菜と言えば「賀茂茄子」といわれるくらい、
代表各のような賀茂茄子も戦後食糧難の時代に
普通の千両なすなどの収量あがるものに栽培を変えるようにお上から指導され、
一般的には流通しなくなった時代があるそうです。

多くの他の京野菜もそうであったようですが、
多くの農家の方が影で細々と栽培し、
また京都の町衆が降り売りで売られるそれらの野菜を買い続けたので、
今日にも京野菜が残り、今の繁栄があるそうです。

その影には我々、京料理の先輩方がご尽力されたことも聞きました。
よいもの・伝統を大切にする京都人の心意気を先輩から聞いたときは感激したものです。

私も今年、家の庭に賀茂茄子の苗を植えました。
紫色のかわいい花が咲きましたが、ちゃんと実をつけてくれるかどうか?
「そんなに簡単にはできひんやろなあー。」と思いつつ、毎日見守っています。

横のキャベツはモンシロチョウの幼虫にやられてしまい、
メッシュ状態になってしまいましたが・・・・・。

現在、本家の上賀茂は基より市内・綾部・亀岡と府下全域で栽培されています。
賀茂茄子はガクが三つで、少しくぼみがあるのが特徴。
栄養素の方では、主成分は水分やミネラルで皮にアントシアニンを含んでいますが、
さほど多くはありません。

食べる事で得られる効果は、夏野菜ならではの身体を冷ます作用があり、
のぼせやすい人、高血圧の人に良いと言われています。

投稿者 culin : 20:47

2007年06月23日

日本料理と色と観念                    嵐山熊彦 栗栖 基

日本料理は芸術である。

料理は言うまでも無く芸術作品であるが、
そのうえ皿や椀、小鉢にわたって食器を厳選。
皿まで食らうのである。

これは日本人特有の食文化であり、食器の優劣で料理の味も変わってくる。

日本人は生きるために食し、その食を文化の域にまで発展させてきた。
これについては自然と人間とのかかわり、これまでに日本に渡来した宗教をはじめ
幾多の大陸文化の影響を受けているといえよう。

そして日本独自の文化が形成される過程において、
食の世界もその時代の生活様式を背景に進化してきた。

そこで日本料理と色と観念の関係について調べてみると、
我々が食事をする時、最初に体内で味を感じる場所が
舌の表面や上アゴにある乳頭の中の味蕾という細胞群である。

味蕾(ミライ)とは舌の表面にある無数のブツブツとした突起物(乳頭)の中にある細胞群のことで、
水や唾液に溶けた食物がその細胞群を通じて大脳の味覚中枢につたわる。

赤ちゃんで245個、壮年期から老年期にかけ200個に減少、
75歳以上の老人は88個と報告されている。

つまり舌の表面において味を認知する能力は
大人より子供のほうがずっと鋭敏であるが、それだけで味を認知するのではない。

人間は発育していく過程でいろんな食物に触れ、
食することによって体感した食物の味覚を観念的にとらえ、
歳をとるにつれてそれらの味覚観念を多数蓄えることができる。
そしてそれらの味覚(甘、辛、酸、塩、苦、旨み)と
感覚(視覚、臭覚、聴覚、温冷覚、触覚)の融合により、
食物の味を認知するのである。

特に色と食の関係は、味覚を左右するとても重要な役割を持つ。

ある実験のデータによると、各々4種類に色分けしたブース(濃茶・赤・青・黄)に、
同じポットから注いだコーヒーを各人試飲していただいた。
当然、同じ味のコーヒーを試飲するので色分けしたブースではあるが、
同じような味覚回答がでてきても不思議ではない。
が、結果は濃茶のブースではコーヒーの味はきわめて濃く、
赤、青の順に薄くなり、黄では薄すぎて不味く、酸味をおびたように感じたという回答が出た。

つまり色が味覚を左右するのである。

日本料理は、元来、素材が持つ“味”を引き出し、
素材それぞれの固有色を生かして、食欲を十分に満たすもの。
すなわち生鮮をはじめ乾物にいたるまで、
それぞれが天然の固有色を損なわないで、料理できれば理想である。

その次に、別の固有色として日本料理の基本的な加熱調理法を使用することにより、
より食欲をそそる色が生まれるのである。

また、料理を賞味する環境の視空間は様々である。

それが座敷であれば、まず、はじめに室内の装飾品や内装、
庭や借景にいたるまで様々な色彩を体感し、
その後、季節の器に彩られた素材そのものの色を生かした料理をめでる。

それに加えて賞味する人の精神状態、健康状態、料理に対する知識や
個々の審美眼などその人が今まで経験してきた味覚観念など。

また、周辺の丁重な給仕、料理屋の歴史や格式、
料理人の心意気などその時空間にある無数の要因が融合されて料理の味がきまるである。

まさに日本料理が瞬間芸術であるといわれる所以である。

その姿は、時に1時間もたたない間に消え去り、再び時を経てまったく違う形や色彩で現れる。

それは森羅万象がおりなす自然の姿そのものである。

野に咲く花はただそれだけで美しい、しかしその花は、
めでる人の素養によって美しさを無限大に広げることができる。

料理の世界も同じことが言えよう、気をてらわず、
迷いのない料理はそのものずばり美しいのであり、
それを食す人がどれだけその素晴しさを理解し、
その裏にある様々な要因や作り手の人間性まで感じ取ることができるのか。

その崇高な精神世界まで上り詰めることが重要であり、
その観念が多くの自然美を芸術の域まで高めてきた一つの要因ではなかろうか。

投稿者 culin : 21:26

2007年06月22日

夜型人間                   料亭旅館 清和荘 竹中 徹男

みなさん、このごろ町で「24時間営業」のお店を
良く見かけるようになったと思いませんか?

10数年前は良く有ったのですが、
このごろは余り見かけないなーと思って居たのが
ここ1~2年、本当に増えてきました。

先日テレビで見たのですが「マクドナルド」の深夜営業は店舗は閉め、
ドライブスルーだけが24時間らしいのですが、その90パーセントが黒字だそうです。
どんなお客さんが来るかというとタクシードライバーが4割ほどで、
後は夜な夜な車を飛ばす若者達が多いようです。

本当に世の中変わってきたと思う事がもう一つ有ります。
それはお正月の風景です。

20年ほど前はほとんどのスーパーや飲食店は
三が日か七日正月ぐらいまで休んでいたのでは無いでしょうか?

とにかく三が日はおせち料理とお雑煮、
それに飽きたら「カレーもネ!」なんて、テレビコマーシャルもあった位ですから・・・・。

そんな正月は電話も掛からず、一年で一番平穏な時を過ごしていたような気がします。
今は元旦から百貨店はバーゲンをして、2日から「すき焼き」や「焼き肉」なんて
家も増えているそうです。

古来日本人は正月を迎える準備を12月13日の事始めから始めました。
農耕民族であった日本人は、過酷な農作業を毎年重ねる為、
その年始めに「門松」をたて、玄関を清めて「年神様」を家に迎え入れて、
一年の農作業の安全と、五穀豊穣を祈ったのでしょう。

人生、そんなメリハリがないとがんばれ無いでしょうね!
「正月」ぐらいゆっくりおせちをつまんで「酒」をのむ!
やっぱり日本人「心」ですね~。

皆さんも、日本古来の「暦」を見直してみませんか?

投稿者 culin : 23:59

2007年06月21日

マーケティング 対 デザイナー             美山荘 中東 久人

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ここ最近 めっきり暑くなりましたね。
そんな暑い中 精神的に熱い現場に居合わせました。
とある器ブランドのマーケットティングとデザイナーの最高の点を目指す
話合いです。 市場のニーズに応えてゆきたいマーケティングとこだわり続ける
デザイナーは両極端の立場であり その感覚を近づけてゆく話し合いです。

ニーズ 対 こだわりという話から 人として 対 人としてという話に展開し
また ニーズ 対 こだわりに変わるのですが、 最初のニーズ こだわりの
喧々した感じとは かなり違っていて 最後のニーズ こだわりの話し合いでは
笑いながら かなり和んだ空気の中で進められ 物事の取り決めも 「いいじゃない」
「そうしましょう」というような言葉が どんどん出てくるのです、、、
そんな中 私といえば 欲しい結論しか持ってなかったので 冷や冷やしながら見守り
たまに接着剤を塗る役目、、、

いや~ 本当に 個々の力では極端すぎる事も 色んな要素を持ちよって精一杯出し合う事が
バランスの良い品を創り上げるんだな~ってつくづく感じました。

こんな環境で産み出される器は かなりパワーを持った物である事は
間違いないですよね、、、きっと! 早く見てみたい、、、 

投稿者 culin : 20:37

2007年06月20日

茄子                              美濃吉 佐竹洋治

6%20%E6%9C%88%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%86%99%E7%9C%9F%20_.jpgこの時期になりますと京都では
ほとんどの料理屋において夏、
秋の代表的な野菜である「茄子」を使用しており、
それらの中で今の時期において、
一番使われている食材は写真の
「賀茂茄子」であると思われます。


「茄子」はナス科ナス属、原産地はインド東部であり、
近年において、茄子の紫色の色素「ナスニン」には
コレステロール値を下げ、動脈効果を予防する
働きがあることがわかったり、
茄子の皮には抗がん作用や老化防止に
効果があるといわれている「ポリフェノール」が
多く含まれていることなどその栄養価値が
見直されつつあります。


「茄子」の品種は数多くありますがそれらのなかで下記の種類のものが
京都では多く使われていると思われます。

・賀茂茄子―――京都の北部、上賀茂、西賀茂およびその付近を特産とする品種で
           果実は正円形で肉質はよくしまり光沢のある紫色をした大果の晩
           生種である。
・捥ぎ茄子―――明治初期に京都の聖護院において栽培が始められたと伝えられ
           ひとつずつ手で捥ぎ取って収穫するところからその名がある。
           収穫は4月上旬より始まる。
・山科茄子―――捥ぎ茄子を改良して京都の山科の特産として古くより栽培されて
           いた茄子である。皮が非常に柔らかいのが特徴。
・水茄子―――大阪泉州地方独特の気候と風土でのみ育つことのできるもので果肉
          をはじめ皮までもが驚くほど柔らかいのが特徴。茄子では珍しく生で
          食べることのできる茄子としても有名。

料理法は揚げる、煮る、漬物など多々ありますが、
水分が非常に多い食材であるために胡麻油や味噌とかと相性が合います。

個人的には出し、みりん、酒、薄口に干し海老もしくは
干し貝柱を加えて炊いた料理法があっさりしていて美味かと思われます。

ところで「茄子」に関してのことわざで興味深いものがあります。
それは「秋茄子は嫁に食わすな」というものであり、
とてもポピュラーなものですが、このことわざには3つの解釈があるそうです。

一つ目は茄子は体を冷やす副作用もあるので
食べすぎは体に良くないという親切心からきたもの。

二つ目は秋茄子は種が少ないので子孫繁栄につながらないといった
いわゆる縁起をかついでの気遣いからきたもの。

そして三つ目は「あまりにも美味なので嫁に食わせるのは勿体無い」という解釈。

どの解釈が適切なのかはわかりませんが
三つ目の解釈を実行できる方は今の時代いないのではないでしょうか?

投稿者 culin : 20:56

2007年06月19日

人と自然と7                    山ばな平八茶屋 園部晋吾

「庭を眺めながら食事をするのと、山の中でまわりを眺めながら食事をするのでは、
何か違いがあるのでしょうか?同じような気がするのですが。」

「それはぜんぜん違うね。」 庭師の方は、こう言われた。

「山の中で見るものは、まさしく自然そのもの。
それに対して、庭は自然をわざわざ取り入れているのだから人工的な自然。
本来、無かったものをわざわざよそから持ち込んでいるから、
言ってみれば不自然かもしれんね。」

「なぜ、わざわざ自然を持ち込んだんでしょう?」

「あらゆる生物の中で、人間だけが文明を持ち、どんどん自然を遠のけるようになった。
気がつけば、周りにほとんど自然がなくなっていた。だから自然に触れるために庭を造った。」

「それって極端なことを言うと、人間のエゴなんじゃないでしょうか?」

「エゴ?ある意味エゴかもしれないが、エゴというよりむしろ本能なんだよ。
人間も、本来、自然の生物。自然から隔離された世界にいると、
自然に近づきたいという欲求が湧き起こる。
人間は、自然に触れると、心がまろやかになり落ち着く。
人間の体には、太古より、大地や海が潜んでいる。
自然に触れることで、魂のふるさとに帰った気がする。
人間は、他の生物より、自然対して敏感になった。
その人間が、自然を愛で、そして、自然と一体化する感性が養われていき、
その感性をもって美しい庭が出来た。」

“庭は何のためにあるのか?”その答えに、たどりついた気がした。

人間も自然そのもの。

人と自然は、壊すものでも、保護するものでもない。

自然の一部である我々が、自然をつかさどるなど、出来るはずもない。

自然の懐の中で、癒され、安らぎを得、そのことに感謝する。

我々が出来ることは、ただそれだけ。

“人と自然と”、今までの経験から出たひとつの答えであった。 (完)

投稿者 culin : 23:51

2007年06月18日

日本の文化と食のかたちいろいろ           嵐山辨慶 礒橋輝彦

昨日17日私が所属している団体の主催する小学生の相撲大会を開催する担当で
一日中店を空け、運営に走り回りました。

一日中というより2週間かけ毎日準備をし、
夜は家にいることが無いほど準備に明け暮れました。

そんな中、当日の昼食を考えてとりあえず時間をかけず
腹を膨らますためだけの昼食ということで給食センターからカレーライスを発注し、
各人交代で食べることにしました。

久しぶりの給食のカレーでなんとも懐かしい味がしました。
そして早く食べられ、おなかがふくれ、カレーであれば
そこそこみんなが食べられるので、
みんな文句も言わず作業場へ戻っていってました。

翌日冷静に考えると食事は人の形や都合で色々なかたちに変化し、
色々なものが今現在も変化を遂げ進化して行っており、今後も変化していきます。
竹中さんが書かれたとんかつの話と同じようなことを感じました。

事前の2週間は毎晩ファーストフードに明け暮れてましたが
日本料理アカデミーに所属させていただいていて恥ずかしい話ですが
仕事に追われているとやはり便利なところもあります。

そんなこんなで終えた事業ですが、この相撲大会には全国大会があり、
7月の終りに小学4年~6年の京都の代表を引率し、
東京の両国国技館へ行きますが、その際も前日から前のりで行くのですが
小学生には相撲部屋で1泊してもらい夕食と朝食を相撲部屋でお世話になります。

その際の楽しみがなんといってもちゃんこ鍋をはじめとする相撲部屋の食事です。
やはりここでも日本の国技である相撲の裏側にはちゃんと息づく食文化があり、
子供たちにはとてもよい体験になり、引率の私達もいままで見たことの無い体験を
この年でさせていただきます。

体格をつくる食、時間や都合に合わせた食、文化の中にある食、
すべて食につながっており、食は人にあわせて変化しています。

現代においては食による問題が数々あり、
変化することで後々弊害が起こりうる問題を抱え、
この日本料理アカデミーが果たさなければならない役割は重要と改めて感じました。

投稿者 culin : 17:39

2007年06月17日

料理教室                            瓢亭 髙橋義弘

先日、福岡の飯塚市に行ってきました。
博多から電車で40分ほど行ったところで、むかし炭坑で栄えた街です。

そこで年に二回、父と二人で料理教室をしています。
内容は茶懐石。
お稽古をしているお茶の先生の紹介ではじめたのですが、
はじめてから10年ほどになります。

継続して来られる生徒さんもおられますが、
飯塚やその周辺だけでなく、熊本や宮崎からも来られます。

授業は市の施設で行うのですが、やはり設営が大変。
声掛けから、調理道具・器などの備品、運営手段など、
様々な協力が必要です。

主催している茶道具屋さんが器や調理器具を用意され、
食材や調理の手伝いは料理屋さん、
事務局的な運営は、道具やさんの親しい方にお手伝いいただき、
もちろん生徒さんの思いがあって、こうして継続しています。
私たちは何気なく通っていましたが、
遠方でこれだけ継続していることに改めて驚いています。

生徒さんは茶懐石を召し上がるのですが、
私たちは、時々生徒さんの手料理をいただくことがあります。
手作りこんにゃくや梅の甲州漬け、夏ワラビの胡麻和えや炊き込みご飯など、
自宅やその周辺で取れたものを上手に手間隙欠けて作られたお惣菜です。
ざんぐりとした味わいがとても豊かで、
その作り方の話で盛り上がったりして、毎回とても楽しくしています。

私も通ううちに現地で同世代の人と親しくなり、
お酒をあまり飲めない私が、毎回飲みに連れていってもらいます。
そこで聞く話の内容も楽しく、九州弁がとても耳になじんできて、
時々言葉に出たりして。

また次回が楽しみです。

投稿者 culin : 23:36

2007年06月15日

異”食”文化交流                       菊水 髙橋 正人

以前、ジェフ・バーグランドさんの講演を聴く機会があり、
バーグランドさんが初めて日本に来た時の食事の話に大笑いした事があります。

到着したのが夜遅くで次の朝、旅館での朝食が和食初体験だったそうです。
お膳での食事にほとんどの人(外国人)があぐらも上手に出来ないので片手をついて、
器を持たずに食事をするといった状況で出てくるもの全てが驚きだったようです。

まずはちりめんじゃこ。
彼の国では頭の付いた状態の魚がお皿に乗ることはほとんど無かったそうで
それが小さい小鉢にいっぱい入っていたわけですから思わず、
「たくさんの目がこっちを見てる!!」

そして玉子。
日本では生卵が朝食に出てくることは別に不思議な事ではありませんが
生で食べる習慣の無い彼等は「ゆで卵だろう」と言うことで机にガン!と
ぶつけようとしてあっちでグチャ、こっちでグチャと言う始末。
旅館の人に食べ方を聞くと、
生の卵を器の中でかき混ぜる・・・(あんまり気持ちの良いものじゃないなぁ)
そこに醤油を入れる・・・(汚い色になった)
炊き立ての御飯に(綺麗なホワイトライスだ)
それをかける・・・(汚くなった)
それを食べる・・・片手をついているのでお箸で2、3粒ずつしか食べられない・・・。

胡瓜の糠漬けは
「ピクルス、にしてはなんか変なにおいだなぁ」

小梅(梅干し)は
「おお、チェリーだ、デザートか?・・・えっ、甘くない、なんてすっぱいんだ」

日本人なら大笑いですが数十年前の本当の話です。
まさに異”食”文化交流です。

同様に我々日本人も色々あると思います。
レストランで出てきたフィンガーボールの水を飲んでしまった人の話
なんかは良く聞く笑い話ですね。

でも、これらは日本人と外国人の話。
次は日本の忘れられつつある文化です。

うちの店では「盃洗」と言うものをお出しします。
これは本来、自分の杯やグラスなどを相手に渡してお酒を注いだりする時に
洗う為に水が入れてある器で芸妓さんなどが良く使います。
でも、知らない人は日本人でも使い方を間違えることがあります。
多いのはやっぱりフィンガーボール代わりだったりします。

どうですか?
異文化と言うのは実は忘れられた日本文化の中にもあるのかもしれないですよ。
海外の文化を知る事はもちろん、日本の忘れられつつある文化もたまには触れてみてください。
結構、”異文化体験”の気分かもしれないですよ。

投稿者 culin : 20:48

2007年06月13日

本日のぼやき その11              滋賀 比良山荘 伊藤剛治

「当山荘には、クーラーはございません。自然の風で楽しんでおくれやす」

10年ほど前までの、いつものウチの受け答えです。
開けっ広げの館のなかを、谷から吹く気持ちよい風が通りぬける。
クーラーが無いのが自慢!!そんな店やったけど・・・。
ここ10年の間に、ほぼ全室クーラーを付けました。

地球の温暖化が世界的な問題として騒がれるようになった昨今、
先日もドイツでサミットが開かれておりましたが、
あい変わらず、うまい事折り合いがつきません。

あっちを立てればこっちが立たず、こっちを立てればあっちが立たない。
そやけど、そんなん言うてる内に地球がおかしなってしもうたら、
あっちもこっちも立たなくなって、そんなん言うてられまへんでー。

世界中のCO2の排出量が、このわずか10年の間に
10年前の3倍になってるんですって!!

ほんまにヤバイんやと思います。

そうでなかったら、こんなに毎日毎日、京都議定書やサミットや言うて、
首脳国はじめ世界中が、大騒ぎしますか?

海面上昇で海没するかも知れない島国の、ドキュメンタリーを観ましたが、
本当にお気の毒なことです。
生まれ育った土地や、祖先たちが築き上げてきた文化が、海に沈もうとしている。
きっと、断腸の思いであると思います。
この島に住む人々には何の責任も無いのですから・・・・。
そしたらその責任を、誰がとるのでしょうか?
 
結局、我々は(文明人であり、倫理観を大切にする常識人???)
ついそこまで海の水が迫って来ないと、
クーラーのスイッチをOFFに出来ないのかも?
世界中の、政治家や学識者の鳴らす警鐘はホンマに本気でっかぁ?
そう聞きたくなります。

地球をリードするホモサピエンスは残念ながらまだまだ未成熟のようです。

                                               合掌

投稿者 culin : 22:06

2007年06月12日

Foodictionaryという番組             梁山泊  主人 橋本憲一

BS-Aで毎週木曜日の夜10時から1時間放送されている番組がある。
毎回一つの食材に的を絞って、いろんな角度から検証していく。
さらにゲストの人が料理するという、うまい番組だ。

ホストは山本益弘さん。
山本さんとは岐阜の中華料理屋さんで10数人とご一緒したのが始まりだ。
たまたま隣り合わせた。4,5年前になる。そのときはワインで食べていた。
皿にうまいソースが残る。フレンチならパンでこそぎとる。中華にもパンがある。

が全体の量がわからない。
ソースに固執していいものか思案していた。
中華パンを頼むかどうするか、箸が止まった。

山本さんはそれを見ていた。
「橋本さん、皿にほんの少しワインを落として、ソースを溶かし込むといいですよ」

「エッ…???」

パンがワインに代わるということを了解するのは、容易ではなかった。
(では、ソース混じりのワインをどのようにして飲むのだ? それに、ソースの味が変わるだろう? )
「こうするんです」両手で皿を傾け、豪快に飲み干された。

食べ上手と言うことが分かった気がした。
料理を食べ尽くす。その背景までも味わう。
背景は食材であり、料理人だ。
すべてのエネルギィーが「食べる」に集中している。
「食べる」行為の前では、不作法という方が不作法だと言わんばかりだ。
ワインがソースの邪魔になるという杞憂は、同じワインで食べている舌には無用のことだった。
よりはっきりとソースが味わえた。

「中華ならレンゲをいただいて、皿を傾けソース・ワインを飲むこともできますよ」

その後、天麩羅屋さん、寿司屋さんなどを案内していただいた。
山本さんの隣に座っていずれも食べることができた。
隣で山本さんの関心がどこに働いているのだろうと考えていた。
どうやら、食材でも調理法でも、調味料でもない。料理人の哲学だという気がした。

もちろん料理は大好きだが、料理人の哲学を味わうことに
至福の喜びを見いだしているように感じた。

そういう食い手が同時代にいることは、ありがたいことだ。

それだけに、煙たがる人もいるだろうとおもった。
しかし、煙たい人がいることほど、幸せなことはないと考えると、もう一皮むけそうに思う。

食文化は作り手と食い手で作る文化であることを忘れてはならない。

投稿者 culin : 21:17

2007年06月11日

「京ことば」について                 懐石・宿 近又 鵜飼治二

皆さんは多分、京都に生まれてよかったと思っていらっしゃると、
私はおもうのですが、いかがですか?

この文章を、私が京都風に言うと次のようになります。

「皆さんきっと京都に生まれはってよかったわぁーと思ってはると、
うちは思うんやけど、どうですやろ。」

これでいいですかね。正式な京都弁で言うと間違いあるかもしれませんが、
私がいうとこんな感じになります。

なんかいいですね、私はこんな感じなんか好きです。
「はって」とか「はる」とか「けど」とか「やろ」とか。
「通らはる」「泣かはる」「来はる」
他にも「気ー付けとくれやっしゃ」、「絵ー上手ですなー」、「字ー下手ですわ」

「歯ー痛いんですね」なんて、何でも語尾を延ばしたり。
それと「さん」とか「はん」とか付けるのもいいですね。
「お芋さん」「お豆さん」「お稲荷さん」「お日ーさん」「お粥さん」

宴席で舞妓はん、芸妓はんが「お月はん」とか、「おとうはん」「おひとはん」
あとは、「おこしやす」とか「かんにんえ」「おすえ」
「だいじおへん」「なんぎどすな」「おへんな」
まあ、並べ上げると切りないさかいに、こんなもんにしときますけど・・・。

ほんまに京ことばというのは、いまさらながらおもしろいことばですわ。
食材や、自然界のものまでに「お」や「さん」をつけたりして。

敬語使ってるのか、やんわりとけなしてるのか、
のんびりした、穏やかな、やわらかいそんな雰囲気が雅な京都を表現しているのですかね。

でも実は、このなことも?
「またにしとくれやす」「帰りによっとくれやす」「考えときますわ」「おおきに」
「まぁゆっくりしとくれやす」「お茶でも飲んでいっとくれやす」なんて、怖い怖い。
まあ、私もたまに、やんわりと使ってますね。

皆さんも京ことばは、きっといいことばだと、おもってはると思いますけど、
他府県の人やまた、最近の若い人は京ことばの真意を考え、
よく理解し、即座に反応し、京ことばに含まれる愉快さ、おもしろさとして、
楽しんでいただければと思います。

「京ことば」がなくならんように皆さんぎょうさんつことくれやす。

投稿者 culin : 21:53

2007年06月10日

農業と食文化のあいだ            辻調理師専門学校 小山伸二

6月5日、私の勤務先の辻調理師専門学校で、一風、変わった特別授業が行われた。

教壇担当は、日本料理主任教授の畑耕一郎先生。

「日本料理概論」とも言える特別授業。
日本列島の地理的特殊性と食とのかかわり。
日本の料理の歴史。二千年に及ぶ列島の食文化の俯瞰図。
さらに、「会席料理」の構造と、その中から代表的な料理をいくつか具体的に紹介していく。
ほぼ、三時間にわたる授業で、日本料理のおおよその
「基礎的な概要」を把握できる内容になっている。

この特別授業が、一風、変わっていると表現したのは、
その授業内容のことではなくて、受講者たちのこと。

この日、熱心にノートを取りながら特別授業を聴講したのは、
現役の京都大学の農学部の学生さん、院生の皆さんだったのだ。

農業を専門にする学究の徒が、なぜ、調理師学校で授業を? 

これは、農業と食文化をつなぐ教育機関相互の連携ができないだろうか、
という京都大学農学研究科・小田滋晃教授の提案で実現した特別授業だ。

日本にとって、農業問題は、経済的にも文化的にも、
食の安全・安心といった側面からも、非常に大きな問題であることはいうまでもない。

生産者と食の現場の交流は、最近、あちこちで言われ始めているが、
教育機関同士のこのような交流は、まだまだ、始まったばかり。

農業関係のスペシャリストを養成する学部と料理の教育機関が互いに連携することで、
なにか、新しい、「農と食」の新しい関係、連携を築き上げることができないだろうか、
という大きな課題に向かっての、最初の一歩とでもいえる授業でした。

投稿者 culin : 23:55

2007年06月08日

私の好きな言葉9                        鶴清 田中信行

今回も私が心の師と仰ぐ松下幸之助の言葉を載せさせていただきます。

「人間はダイヤモンドの原石のようなもの」という言葉です。

人間は誰でも己を磨けば、ダイヤモンドと一緒で
必ず光る本質を与えられているという事です。

己を磨くかどうかはその人にかかっていると思いますが、
松下幸之助は己を磨き続けた人生であったのではないかと思います。
磨き続ける事は非常に困難な事だと思いますが、
その先には光り輝く人生がまっているのではないかと思います。
人生は多くの困難がある人ほど、多くの喜びも与えられ、
困難の少ない人には小さな喜びしか与えられないのだと思います。
結局平等に出来ているのだと思います。

松下は体が弱く、自分で何でもするのではなく従業員を信頼し、
任さざるを得ませんでした。

そうした、人とのかかわりの中で、
「人間とはいったいどのようなものか」という事を
考え続けてきたようです。

そして、松下がたどりついたのは
「人間とは繁栄への能力を秘めたなんとすばらしい存在だろう。
あたかも磨けば光るダイヤモンドの原石のようなものだ」という
人間に対する絶対的な信頼だったようです。

私達は、何を行うにしてもまず、人間を知り、
その無限の可能性を信じる事から始めなければならないのではないでしょうか。

投稿者 culin : 21:35

2007年06月07日

日本のお米が世界の食文化を変える!   日本橋ゆかり 野永 喜三夫

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4月19日、東京ビッグサイト・2007デザート・スイーツ&ドリンク展会場で我々が開発した。

世界で初めて純国産米を使った発芽玄米の微粉末化に成功し発芽玄米パウダーを
使った一例としてロールケーキの試作品などを試食して頂いた。

小麦粉のデザート・スイーツ商品が今まで当たり前の物が
小麦の代用品として新しいお米(発芽玄米パウダー)の利用提案があることを発表しました。

外国産の小麦粉や米粉やもち粉はスイーツの素材として一般的に用いられるが
純国産の栄養素を高めた発芽玄米を使用するのは世界初で
外国産の市販米粉で作るよりも、GABAの含有が約30倍以上となり
それだけでも純国産物は栄養価や安全面も高くなる。
また小麦粉によるアレルゲンも解消できる。

古来の和の素材の良いところを見直し、従来の原料を発芽玄米パウダーに置き換えることで
洋風デザート・スイーツに応用させ安全、安心で栄養価が高く
おいしい新スイーツを日本発として世界に発信できるようになりました。

今後は、純国産発芽玄米パウダーをブランド化し、ロールケーキはもちろん
クッキー、シュークリーム、カステラ、ホットケーキなどなど小麦や大豆の代用品に
成りえるので、今問題視されてる温暖化の食料危機に日本唯一の自給自足の
お米は無限の可能性がこれから有るかもしれません。

従来、玄米や発芽玄米は様々な企業やパテシエさんが、パウダー化を目指していたが
国産は価格が高い、加工が難しく、ざらざら感が残り微粉末化が難しかった。

さらに、多くのGABA栄養価が高いと知られても玄米は「おいしくない」ことが普及を阻んでいた。
なぜなら市販の一般物は外国産使用は勿論で、古米で不味い、農薬不安があるお米を使うから
不味いものしか出来なかったのだ。

しかしこの商品は、純国産の特定栽培米でおいしさや安全面については、
すでに各方面のパテシエや料理研究家などの方々が試食し味は保証つきだ。
小麦粉でなく100%発芽玄米パウダーで「従来のロールケーキと同等のおいしさが得られ、
同じ土俵に乗ったことで、栄養価の面で発芽玄米ロールケーキの方が優位性を得ている」

これは日本は勿論、安心、安全の健康ブームは世界でも同様で
従来よりも栄養価をあげるだけでなく
砂糖の代わりに、ロールケーキの生地に日本古来の和三盆糖を使用。
砂糖よりも和三盆を使うことで、今まで以上に生地にしっとり感を与えられる。
発芽玄米以外にも、日本古来の「和」素材を見直し
和素材の優位性を世界に向けて発信していきたいと思っています。

2007年9月18日にJCCA-AMERICA主催第二回ファンドレイジング・イベント
「新進気鋭の日本人シェフによる新世紀のモダン・ジャパニーズ」イン・NY
会場 「ONO」at Hotel Gansevoort, 18 Ninth Avenue, New York 10014
参加シェフは日本の素材を使用したオリジナルのモダン・ジャパニーズを創作して欲しいと
アポイントがあり日本代表としてお受けしました。
その際に100%発芽玄米パウダーや醗酵食品などを使った料理やデザートを発表します。

投稿者 culin : 20:52

2007年06月06日

第7回C,W,ニコルさんのMOTTAINAI倶楽部      右源太・鳥居宏行

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去る5月14日、滋賀県朽木の「パラディゾ」さんにて、表題の会が開催されました。
(当会の内容とか、趣意等は過去のコラムに書いていますので、読んでくだされば幸いです。)

今回のテーマは、京都府丹後半島で水揚げされた、「バチ」という魚です。

これはホウボウ科の金頭(カナガシラ)にとっても良く似ていて、
錦市場の有名な魚屋さんの奥さんでさえ、「これ金頭ちゃうの?」と仰っしゃっていました。

でもそうではなくて、伊根町ではキロ20円とかで取引されて、
かまぼこ用のすり身にされているそうです。

手に入ったのは冷凍の状態だったので刺身は止めましたが、
開いて塩焼きにしてみると、結構旨い‼

3年前テーマにしたブラックバスやブルーギルは、
正直言って臭いし旨みは無いしで気の滅入る魚やったけど、
今回は魚体が小さいだけで、ネガなところは全然無いし、
もし新鮮なのが入手できたら、刺身でもイケると思います。

今回もニコルさんをはじめ、
仏→ブライトンホテルの滝本シェフ、
伊→カーサビアンカの那須シェフ、
パラディゾの宮川シェフ、
クワトロスタジオーネの林シェフ、
中華→一之舟入の魏さん、
和→八百忠別館の吉田さん、比良山荘の伊藤さん、弊店スタッフ等の料理人と、
もちろん料理人以外の人も合わせて40名の参加をいただきました。

マイクロバスに食材、調理用具一式と20名が乗り込んで12時前にパラディゾに到着。
直接現地に来られた人と合流して、早速会場の設営にかかりました。

ニコルさんの挨拶の後、各人思い思いに調理開始。
予定よりも少し早く、1時過ぎには準備完了、乾杯となりました。

五月晴れで雲ひとつ無い好天に恵まれ、
バラエティ豊かな「バチ」料理に舌鼓を打ちながら会話を楽しみ、
幾本の生ビールと数えきれない程のワインを飲みほして、午後7時前にお開きとなりました。

前回までの流れの中で、“もっと気楽にやりたい”という要望が多かったのですが、
その通りに、ほのぼのとリラックスした気分で楽しめました。
素晴らしい時間をいただいて“感謝”です。

もう一つ、ニコルさんに関する話題ですが、
ニコルさんが執筆中の「マザーツリー」という本の挿絵を
片岡鶴太郎さんが描かれる事に決まりました。

MOTTAINAI倶楽部に向かうバスの中、歌を唄っていたニコルさんでしたが、
途中で鶴太郎さんから電話があって、話がまとまりました。

ニコルさんは稼いだお金を殆ど森の再生に使っておられます。
本が沢山売れると、森がもっと良くなります。
この本がベストセラーになる事を願っています。


写真1 バチを調理するニコルさん。
写真2 これが「バチ」です。
写真3 料理を披露する比良山荘の伊藤さん。

投稿者 culin : 18:47

2007年06月05日

バランス                          京都吉兆 徳岡 邦夫

全ての事について バランスが取れていると言うことは
素晴らしいことだと感じています。

アートの世界でも、自然界でも、ビジネスや経済の世界でも、
人間関係でも、宇宙においても、身体機能においてもです。

人間関係の中でも、ビジネス的な考えの「ギブ・アンド・テイク」と言うことは、
バランスを保つ為、大切な事だと思います。
生命体の人間としての身体機能も、ビジネス的な考えの「ギブ・アンド・テイク」
と言うことは、バランスを保つ為、大切な事だと感じています。

「ギブ・アンド・テイク」と言うのは、物質的なイオン交換や、経済的な交換だけでなく、
メンタル的な物や目に見えない物もエネルギー学的な交換が成り立っていると
考えられると思っています。

「彼女も頑張っているから、俺も頑張ろう」と思わすのも、
バランスを保つための方法です。
あくまで相手を思っての大人の行動です。

バランスを保つのがいやなら、そういう努力は自然としなくなります。

恋愛をたとえましたが、お客さまとの関係も同じように考えています。
私共のことを考えて頂いてると感じるお客さまには、
より良い気持ちになって頂きたいと思います。

そういう考え方をふまえて、自分自身がリスクを被らないように気を付けることも
相手を思っての事になると思いますし、バランスをとる為の方法でもありますよね。
もしくは、慈善事業も、そういう微妙なバランスで成り立っていると思います。

自分が得る物がある為にボランティアすると感じられなければ意味がないように思います。

そこには人と人の気持ちのやり取りがあるはずです。

物質的な、経済的な交換だけでなく、メンタル的、
エネルギー学的な物を互いに得ているはずです。
それが真のボランティアだと思います。

真のボランティアと言う物は、情緒的な物、感情的な物ではないと思います。
一方的な、「慈悲の心」、「同情」、などではなく、インタラクティブな物だと感じています。

自分は犠牲になって行っていると感じている事はボランティアではないと思います。
ボランティアすることによって 自分自身が幸せを感じれないと
意味がないのではないのでしょうか。
そう感じることが出来なければ、継続できないでしょう。

恋愛も一緒だと思います。

自分の気持ちだけでは、継続は無いのです。
互いに、共に生きる覚悟が必要なのです。

バランスが 崩れれば いつでも 破局、離婚となりうるのです。

真の「お客様の満足」を突き詰めて考えてみると、あくまで理想ですが、
お客さまそれぞれの思い、お給仕、料理人、生産者、環境、携っている全ての人たち、
精神的な物、物質的経済的な物、等 互いに全てのバランスが 整うことだと思います。

サービスに携わられる方々の意識の基準は、有名な方が言われたモノ、
特定の一人だけの優越感の為のモノ、 狭い範囲のサービス仲間と価値観が違うと
仲間で居れなくなるから存在するモノ、 一方的なコダワリの為出来たモノ、
感情的思いこみの為に、 無理に整える事は、ホスピタリティーではない様に感じます。

ホスピタリティーと言う言葉は、ラテン語のホスピス「保護」から派生している言葉らしいです。
つまり、敵から仲間を守る事から派生したものが、「お客様の満足」を生むと言うことです。

お客さまは、あくまで相対している人ではなく、同じサイドの人なのです。

相対する人に対する 自分の感情、思いこみ、簡単な親切心だけでは、
バランスを継続できることは、無い様に思います。

概念論ばかりになりますが、「ビジネス的な視点」で出来事を客観的に見る方法を
取ることによって、物質的な、経済的な行為(交換)を、メンタル的、
エネルギー学的な物と同じレベルに配置することが出来るようにならないと継続はないのです。

逆も真なりで、愛情を お金で表現する事があっても、良いのではないでしょうか。

「ビジネス的な視点」と言うのは、「第三者的な視点」、つまり、自分の行動が、
逐一有名新聞に掲載され、其れを自分の一番好きな人、
尊敬している方が読んでなんと思うか?と想像してみる事。
と私自身は考えています。

矛盾するかも知れませんが、自分自身の本当の幸せというのは、
自分自身の属している環境全てが幸せでないと得れない物のように感じています。

どなたをもが、自分自身をさらけ出し、奥底にある真の幸せを求める合うことが出来れば
素晴らしいと思っております。
まずは自分から 正々堂々と明らかにすることが大事なようにも思います。

それが 「宇宙の掟」の様にも思えます。

順番、タイミング、方法は選択する必要はありますが
自分自身を明白にする事は、賢明な行為だと思います。

私自身は、 全ての物事が見えているわけではありませんので
ある意味、あたって砕けろ的ですが、何とか実践しているつもりです。
時と場合においては、お客さまにでも ハッキリ「NO」と言っております。
それは当然、 拒否ではなく ご理解頂くと言うことです。
其れが 「茶のあるおもてなし」の様にも感じています。

以上の事は、言葉にしてしまうと強い言い方や思いやりのない言葉になってしまったり、
こういう場合はと言うことがいくつもあり、適切でないこともあると思いますが、
人と人が 通じ合うことが大切な事だと思い、その為に一石を投じているつもりで、書いてみました。

投稿者 culin : 23:59

2007年06月04日

斬鉄剣に恋してる             平等院表参道 竹林 下口英樹

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「俺は愚かだ」 何でも切れる、切れ止まない刃物がほしい!!
逢えるものなら彼に会いたい...斬鉄剣だ!!

小さな頃からテレビっ子だからやろか、
ルパン三世の石川五右衛門の持つ、斬鉄剣を握ってみたい。

僕だけやない、料理人はみんな思っているはず、
「何でも切れる、切れ止まない包丁がほしい」と、
僕はあれよあれよという間に包丁が山のようにたまってしまった。

写真以外にもまだある。白鋼、青二、銀三、青鋼13枚流し、
本焼き、V金10号、モリブデン、グリステンからナイフの材料まで、
庖丁といったものはほとんど持ってみた

もっときれる物をもっともっと切れる包丁をという想いが山のようになったのか?
特に柳だ!! 忙しい日や季節には、刺身を200人前位は軽く引くことになる
もちろん、スタッフはほかの仕事で忙しいので、僕一人でこなさなければいけない。

包丁が切れなければ、仕事は遅くなるし、
体も疲れる、上げくの果てに手まで切ることになる。
それだけではない、精神的にも戦いだ。

気をまぎわらせる為に包丁は何十人前ごとや白身や赤身、
貝や烏賊、海老などにも手先を替える一層の事、
シザーハンズやコブラのサイコガン、どろろの百鬼丸のように
全身が道具になって欲しいとまで思う始末だ。

だが、ここ数年、僕の心を癒してくれる包丁が出てきた!
「V金ゴールド、本焼」まさしく超合金、未来の和包丁、夢のような包丁だ。
「切れる、切れやにくい、錆びない」三拍子揃っている、斬鉄剣に近い。
もちろん、ステン系なので錆びない、オリジナルの混ぜ物の鋼だ。

それにまして、超低温官に入れ 1300℃~1350℃まで焼き入れし
ガス(液体窒素)冷却で-70℃まで焼き入れ(サブゼロ処理)してから
本焼きのように焼き戻しまでしてある、硬度は本焼きと同じで粘りもある超合金鋼だ。

まるでガンダムや鋼鉄ジーグやなぁ 日本の技術 バンザーイ バンザーイ
やはり、市場は大きなところに動くもんやなぁ

関西にはほとんど出回ってないらしく、東京やニューヨークで飛ぶように売れているとか。

いろんな庖丁や鋼を扱っている友達がいるせいでもあるし、
超安くで譲ってもらっているせいでもある。
挙句の果てには、自分でデザインした物まで作った。
僕は普通と思っているがマニアの部類?とよく言われる馬鹿だ。

しかし、このおかげで仕事もかなり楽になったような気がする。
ちょっと離れた時や出仕事でも錆びないし、
忙しくてへとへとになり会計が終わった後や仕込みで
晩くなっても研がずに仕事も終われズルも出来る、僕のベストパートナーだ。

でも、永遠には切れる事はない、斬鉄剣には負けよるなぁ。
次は日本の技術がどんな物を作るのかが楽しみやなぁ。

あっ 庖丁にこだわっている安念さん もし持ってなかったら、一度持ってみて絶対ええでぇ。 
意見も聞かせて欲しいし、庖丁をあてに「ぐびっぐびっと」一杯やりますか↑↑

投稿者 culin : 23:54

2007年06月03日

小籠包                               岡庄 岡 豊雄

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先日台湾に旅行に行ってまいりました。

むこうで有名な鼎泰豐(ディンタイフォン)というお店に行き、
小籠包(しょうろんぽう)をいただきました。

蟹味噌入りとか、挽肉入りとかいろいろ10種類位ありました。

その中で、(普通の小籠包・椎茸と野菜入り・もち米入り)の三種類を頼みました。
台湾の野菜は思った程癖がなく、あっさりぺろりといただきました。

もち米入りは独特の食感があり、もちもち感が、あふれておりました。

普通の小籠包は、まさに王道といった感じで、
刻み生姜と醤油1に対して酢4位のたれで、れんげで一息に食べました。
あまりの旨さにあわてて食べて少しやけどしました。

付け合せに空心菜(クウチンサイ)を頼みました。
これは、茎に穴の空いた野菜で本当に癖がなく、
塩とにんにくのみの味付けで炒めてありました。
これがまた絶妙の食べあわせでした。

小籠包をお召し上がりの際は是非一緒に召し上がって見てください。

お店の方のお話によると、小籠包は強火でがんがん6分ぐらい蒸し上げるみたいですね。
この蒸し時間と強火に旨さのコツがあるそうで。
冷めてもまた蒸せば同じように風味が楽しめるみたいです。一度試してみます。

お土産に本場のからすみを購入してきました。
まだ食べおりませんので、来月の3日のブログで感想を述べたいと思います。

投稿者 culin : 23:59

2007年06月02日

こだわりの包丁を語る第6弾               下鴨福助 安念尚志

先日、いままで使ってきた出刃がだいぶ小さくなってきたので出刃包丁を買いました。

買ったのは「白鋼」の合せです。
出刃包丁なので最初から本焼は眼中にありませんでした。

値段が高いのもありますが、出刃なので叩いて切ったりして
刃が欠けたりするので合せの方が欠けにくいし、
欠けても直し易いというのが選んだ理由です。

少し悩んだのは「青鋼」にするか「白鋼」にするかという鋼の問題です。

他にも鋼はいろいろあるのですが(例えば「黄紙」とか「銀紙」とか)
切れ味で考えると「青鋼」か「白鋼」しか考えられないからです。

少し話がそれますが「黄紙」は家庭用の包丁とかによく使われる材質で
「銀紙」は錆びにくいように作られたステンレス系の鋼です。
話を戻しますが「白鋼」に決めた一番の理由はかみそりのような切れ味です。
もちろん価格も青より安いしね。

青紙は白紙にクロームとタングステンを加えたもので白紙より硬度や
耐摩耗性も上がりいいとよく言われますが、白紙でできのいいものは
かみそりのような鋭い切れ味が得られます。

結局は鍛冶職人の腕次第なんですね。

ただ青紙の方が白紙に比べて扱い易いのではずれは少ないらしい。
ちなみに白紙はあたり、はずれがあるらしいが僕の買った包丁は?
それを見極めるのも料理人としての技量の一つかな。

ところで去年原材料費が上がり、包丁の値段が1割程高くなりました。
値上がる噂を聞いたので、馴染みの包丁屋さんに聞いたところ上がると言われ、
その時に骨切り包丁を買いました。
値段の高いものだけに値上がってからだったら
安い包丁1本分位差がついていたかもしれません。

もう上がらないで欲しいものです。嫁さんの目が怖い・・・・・。

投稿者 culin : 22:49

2007年06月01日

日本料理を食べたことがありますか?    学校法人 大和学園 飯 聡

調理師学校において、日本料理を専攻し、
就職したいという学生が激減しているのは周知の事実です。
多くの料理店の負託に応え切れていません。
本当に心苦しい限りです。

もちろん、ただ手をこまねいているわけではなく、
折に触れて「和」の良さを啓蒙しています。

春と秋の区民茶会のポスターを掲示して参加者を募ったり、
食べ歩き研修会を企画して、料理店での食事を楽しむと共に、
周辺施設の見学を企画したりしています。

昨年のブログにも投稿しましたが、アンケート調査、
「京料理を食べたことがありますか」の問いに対し、
おおむね40%の学生が「経験がある」と回答いたしました。

今年度は質問形式を変え、「京料理店で食事をしたことがある」
「日本料理店で食事をしたことがある」の2つの設問をもうけました。

結果はどうなったと思いますか?

全学生の調査が終了していませんが、
約85%の調査が終了しましたので報告したいと思います。

京料理店で食事をしたことがある  →21%
日本料理店で食事をしたことがある →52%  となりました。

京料理店で食事の経験はないが、日本料理店での経験はある等、
詳細な分析はこれからとなります。
また、具体的な店名、業態、季節、昼か夜、感想も設問していますが、
京料理店、日本料理店の判断基準は学生によって実際にまちまちでした。

京料理店の経験数はともかくも、昨年の結果と比べて、
過半数もの学生が経験しており、少し「明るい」と思いませんか。

店名こそ忘れてしまったものの、その時の印象を克明に記憶しており、
「とても楽しかった」「美味しかった」などの回答が多くありました。

今後は一人でも多くの学生に、授業レベルではない、
「ほんまもん」のだし巻きを試食させたり、出来たてのすまし汁や、
焼き物、揚げ物、蒸し物、酢の物などを試食させたりして、
日本料理って実に美味しいものであることを、
授業を通して体感させていきたいと思います。

身体に優しく健康食でもあり、そして誰もが食べ飽きない日本料理が、
今や世界中で注目されていることを訴え続けていくことこそが、
多くの若者が日本料理を専攻し、就職を果たす原動力になることを
訴え続けていきたいと思います。

何を措(お)いても、「世界の名物、日本料理」なのですから。

投稿者 culin : 21:39