人と自然と6 ◆ 山ばな平八茶屋 園部晋吾 ◆
「私が見せていただいたところ、ここの庭は、縦に長く、水の流れがある。
一番奥に、滝があり、池に落ちた水は、川となり、ずっと先に流れていってる。
今日では、根締め(根元に植える草木)が大きくなりすぎて、
川の存在が目立たなくなっているが、お客様は、入口の門から入られ、奥に進まれる。
そして、その川に沿って歩き、座敷に入られる。
すると、座敷の向こう側には、高野川の風景が広がっている。
つまり、庭を流れている水が、高野川へつながっていく、
先代は、そういう水のストーリーを考えたんやろね。
これは、座敷にいながら自然と溶け合う面白い仕掛けになってる。
一方には、ダイナミックな本物の自然が広がり、もう一方には、緻密な庭がある。
そしてその二つは、水の流れというもので見事に繋がっている。
陽の庭と陰の庭。そしてそこに、繊細な料理が運ばれてくる。
そのバランスが、非常に趣き深いものとなる。」
「なるほど、言われてみると確かにそういう気がします。」
「庭造りに、『絶対』なんてものは、ないんだよ。今ある庭が絶対というわけじゃない。
今生きていて、これから受け継いでいくあんた自身がどう考えるかや。」
「私は、この庭を作り直したいと思っています。座敷から眺めて、美しいように。
余計な物が見えないように。そして、歩きやすく機能的な庭に。
うちは、料理を運ぶときに、庭を通っていかないといけません。
そのため、雨の日などは、足元がぬかるんで、大変なんです。」
「なるほどね。今言ったことを、あんたの庭造りの目的にすればいい。
今の3つは、ちょうど、お客さん、店の主人、お運びさん(従業員)の視点で捉えられている。」
「そのために、高い木を剪定して、裏の山を見せたり、大きな石を取り除き、歩きやすくしたり・・・。」
「それは違うね。そうすると、この庭のよさが、なくなってしまう。
大きな木や石は、そのまま活かさなあかん。
大きな木は、平八茶屋とともに歴史を歩んできたもの、まさに歴史そのものや。
また石は、その家の格を表すもの。この2つは、財産として活かさなあかん。
歴史があるからこそ味わえる庭のよさや。」
その言葉で、はっとしました。
きれいにこじんまりと剪定された繊細な庭だけをイメージしていて、
今ある庭のよさがぜんぜん見えていなかった。
一から作り直すのではなく、先代の造ったものを生かしていく。
それが、代を継いでいく私の役目ではないかと。
一代では得られないものがそこにある。庭を通して、気づかされた。
投稿者 culin : 2007年05月19日 20:15