桜の勢い ◆ 梁山泊 主人 橋本憲一 ◆
桜の老幹、しかも根元にちかいなんの変哲もない
痂(かさぶた)のようになった樹皮から、花が吹き出している。
サクランボウのように二輪が風にそよいで涼しげに咲いている。
老いは外見だけだろうか。
桜木のいでたちからは、そんなに生々しい風情などどこにも感じられない。
老幹の中はどのような仕組みになっているのだろう。
痂で守られた内部には、山盛りの桜花が詰まっていて、
痂の弱ったところを探し当てると、花は陽光を求めて顔を出す。
すると、花は老幹に宿り木のように巣ついているのだろうか。
この二つには、とても一体とは思えない年の差があるからだ。
もう一つ、根元から新しい枝がスルスルと伸び、その先にも花を咲かせている。
この枝も花がおわる翌年までには跡形もなく消え失せている。
花を咲かせるためだけの枝である。
平安時代には花と言えば梅であった。
しかし、右近の桜 左近の橘とある。
右に出る者はいないと、豪傑を褒める。
これは右大臣以上右に出る者はいないという比喩から言われている。
その右大臣に添える花が桜であった。
いつからか花は公に桜になった。
太閤秀吉の時代、花は桜で、醍醐の桜見で検証できる。
桃は時代を制したことはない。
桜が花の座を席巻した理由はこの勢いかもしれない。
あまりにもの勢いが解せず、桜の根に死体が埋まっているという
坂口安吾の想像も分からずはない。
だが、安吾が見落としたことがある。
花を散らした後は、その身を幾万という毛虫にあずけていることだ。
岡本かの子は「桜ばな いのち一ぱいに咲くからに
生命(いのち)をかけて わが眺(なが)めたり」と詠んでいる。
確かに、それほどの覚悟があっても大仰とは思わない。
私もさくらが大好きなのだ。
さて、堅物の雑誌では右に出る者はないかもしれないものに、
「禅文化」という季刊誌がある。この一年『梁山泊の四季』という題で連載をしました。
もしご興味がおありでしたら、
このHP(http://www.zenbunka.or.jp/03_magazine/index.htm)に掲載されていますので、
お開けいただければ幸いです。
投稿者 culin : 2007年04月12日 20:53