広東碗 ◆ 杢兵衛 寺田慎太郎 ◆
「カントンワン」と呼びます。これは所謂「伊万里焼」です。
「広東碗」という呼び名の由来は分かりませんが、
この形状のお碗をそのように呼ぶようです。
特色は胴が斜めに真っ直ぐに伸び、高台がやや高く作られています。
見込みが普通のお碗に比べ小さいので炊き合わせ盛にはやや窮屈で良くないと思いますが、
饅頭の餡掛けや御飯茶碗なんかにはベタッと沈まずに良いのではないかと思います。
そして染付けで描かれたこの模様を「暦手」と呼びます。
これは李氏朝鮮の時代に朝鮮半島で焼かれた「粉青沙器」と呼ばれる
焼物群に属する青磁象嵌の1つである通称「三島」と同じで、
静岡県にある三島神社の暦に似ていることからそのように名付けられたのです。
つまり伊万里焼に於ける「三島」なのだと勝手に解釈しております。
伊万里焼は、豊臣秀吉公の朝鮮出兵の際に日本に連れ帰った陶工、
李三平が17世紀初頭に肥前の地で磁土を発見した事により
焼かれ始めた日本で最初の磁器です。
当時中国は明末清初の動乱期で、中国の優れた技術で焼かれていた磁器を
ヨーロッパにもたらしていたオランダの東インド会社は日本に目を向けるようになります。
そうした時代背景もあり、日本の磁器焼成の技術は僅かな期間で急速に進歩します。
かの有名な「柿右衛門」はヨーロッパで人気を博しマイセン窯は柿右衛門の写しを行っています。
因みに師匠である中国までもが柿右衛門写しを行っています。
伊万里は制作年代により呼び方が変わります。
技術が未熟な初期の伊万里を「初期伊万里」と呼びます。
この次に「古九谷様式」が誕生し、更に優れた技術で製作された「柿右衛門」や
「鍋島」が出て来る訳ですが、これらは伊万里とは呼ばないでしょうね。
本来の伊万里焼の様式では17世紀中頃の物を特に「古伊万里」と呼んでいるようです。
大体19世紀初頭までの伊万里を「古伊万里」と呼ぶようです。
比較的長い期間でありますが、更に時代により詳しく分けられるようで、
「元禄伊万里」なんかは骨董屋に行けば非常に高値で売られています。
そして「江戸後期」、「幕末」と続きますが、技術は次第に落ちてしまい
「古伊万里」と「江戸後期」では印象もかなり違います。
写真の広東碗の制作年代は18世紀後半もしくは19世紀初頭であると勝手に思っていますが、
本当にそうであるならこれは「古伊万里」に当たります。
5~6年前に骨董屋で見つけ、高くなかったので何気なく購入した物ですが、
今では宝物として大事にしております。
200年以上もの昔に焼かれたこの無傷の完品が今私の手元にあり、
私の作った料理が盛られると考えると嬉しくなります。
江戸時代の陶工が命懸けで作ったこのお碗に
私の料理が負けないよう頑張らなくてはなりませんね。
投稿者 culin : 2007年03月30日 21:52