2007年03月11日

【御幸町通】                    懐石・宿 近又 鵜飼治二

ご存知だと思いますが、京の通りの名前
 
〔東西の通り〕
丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦 四綾仏高松万五条 雪駄ちゃらちゃら魚の棚
六条三哲とおりすぎ 七条こえれば八九条 十条東寺でとどめさす

 〔南北の通り〕
寺御幸麩屋富柳堺 高間東車屋町 烏両替室衣 新町釜座西小川 
油醒井で堀川の水 葭屋猪黒大宮へ 松日暮に智恵光院 浄福千本さては西陣
 

私の店は【御幸町通りの四条上る、または御幸町錦下る】というところにあります。
ここで私は生まれ育ちました。

私にとって親しみのあるこの【ごこうまち】通りをよく
【みゆきまち】通りと呼ぶ方がいらっしゃいます。

確かに地方へ行くと時折この名の通に出くわすことがありますが、
たいてい【みゆき通】と呼び、【ごこうまち】と呼ぶことは聞いたことがありません。

ひょっとするとそう呼ぶのは京都だけかもしれませんね。
人に聞かれてこの通りは【ごこうまち】と言うんですよと言うと
ちょっと怪訝な顔をされるか、聞きなおされることが多いです。

さて、この御幸町は北は丸太町通りから、南は五条通まで続き、全長2,4キロあるそうです。
豊臣秀吉によって天正十八年(1590年)の京都大改造によって生まれた通りだと聞いています。

その名の由来は、すでに江戸時代から論争があり
秀吉が大坂から御所に参内するときにこの道をよく使用したので
その名があるとしたものもあれば、大坂からではなくて
伏見城からだとしたものもあります。
さらには『御幸』は天皇、上皇だけに使用するもので、
秀吉とはあつかましいといったものもあります。

いずれにせよ秀吉は、晩年の慶弔二年(1597年)御所東南側の地に
聚楽第にかわって広大な京都の邸宅を造営しているので、
この御幸町通りを利用したことは大いに考えられるそうです。

貴族の最高位関白でもあった秀吉の行粧は天皇以上のものであったでのしょう。
「御幸」もそうしたことから、つけられた可能性は十分にあります。

皆さんもこの古き歴史のある京都の地名や通りの由来を一度調べてみてはいかがですか。
おもしろいことが発見されるかも知れませよ。


※ リンク先は京都銀行様の「寺御幸」の音声ファイルに繋がっています。
  なお、「丸竹夷」も同じ節回しで「寺御幸」の方が「丸竹夷」の節で歌われているようです。

投稿者 culin : 2007年03月11日 20:12