2007年02月11日

焼津と鰹節                      懐石・宿 近又 鵜飼治二

去る1月9日食育研究の一環で京都市教育委員会のご接待で
鰹節の視察のため静岡県焼津に行って参りました。

我々が普段「だし」のもととして使っている鰹節が
一から作られる工程を見てきたわけですが、
その工程が如何に大変なことかを思い知らされました。

それは、遠洋漁業で赤道付近で水揚げされ、
船内で急速冷凍された鰹が焼津港に夜明けに入港し
荷揚げされるところから始まり、
競り、茹でる、骨抜き、焙乾、かび付け、天日干しにされて出来上がりといったところです。
 
その中でも特に大変な作業は、骨抜きでした。
こればかりは手作業ということで、何人かの方が茹でられた鰹の骨を
一匹ずつ抜いていく作業でした。

茹でてあるので簡単に抜けるとはいえ、
その量たるもの並大抵のものではありません。
正直、われわれがその作業をじっと見させていただいていることが
申し訳なく思ったくらいです。
本当に根気のいるお仕事でした。

また、その工程で無駄は一つもなく茹でた煮汁は、
食品会社に売られて濃縮スープになり、骨は家畜の餌になるということでした。

焼津は現在、全国でも有数の鰹節の生産地として知られ、
焼津と鰹節の歴史は大変古く今から、1400年余り以前の弥生時代にさかのぼります。
その当時焼津一帯の集落での人々が、米食をし鰹を獲って食べていたことが証明されています。

延長5年(927年)醍醐天皇の命により撰集された『延喜式』に駿河国焼津浦より
「堅魚」、「煮堅魚」、「堅魚煎汁」の貢租があったとも記述されています。
また、『駿河国正税帳』という古文書の中にも焼津を中心とした地域が
「煮堅魚」特産地としても記述されています。
「堅魚」や、「煮堅魚」は鰹を素干したり、煮て日干ししたりしたもので、
今の鰹のルーツと考えられています。

現在一般に使われている名称は、戦国時代から江戸時代初期の間に変ったものと思われます。
しかし当時の鰹節は現在のものとは大きな隔たりがあり、
その後、延宝2年(1704年)に紀州の漁師である勘太郎があみだした
「燻乾法」が現在の鰹節という言葉の起源と言い伝えられています。

食育担当しております私としては「食材に感謝する。食材を大切に使う。」という
基本を本当に鰹節ができるまでの工程を見て、改めて大切なことだと認識いたしました。
皆さん鰹節を無駄なく大切にお使いください。

投稿者 culin : 2007年02月11日 20:24