日本人の持つ本来の美意識と日常生活 ◆ 懐石・宿 近又 鵜飼治二 ◆
明けましておめでとうございます。
アカデミーの皆様、今年もよろしくお願いいたします。
さて、新年早々皆様に何をお話すればいいのか悩んだ末、
我々の日常生活から日本古来の美意識がうしなわれつつあることについて考えてみました。
今、私の店のささやかな裏庭には、赤い「山茶花」と白い「玉椿」が隣同士で咲いております。
植木屋さんがお正月紅白の花が咲くようにと植えてくれたのでしょう。
寒い冬の庭に花が咲くのはとても趣があっていいものです。
ここに雪でも降ればもう最高です。
一つ俳句でもって感じですかね。
そこで私の身の回りから考えてみて、花について
日本的な美意識を思い出してみてはと思うのです。
花といえば、我々飲食店は必ず花というものに気を使っていますが、
伝統的な華道は「天、地、人」。「真、行、草」などの種々の定めがあり
それらに即して卓越した形が決められ、それぞれの座敷に調和した花が生けられています。
また、これに反して、茶室の場合はそのような規範はなく
『花は野にあるように』生けることを旨としています。
茶道の精神に則って素直な自然の心で生けるべきだとされています。
また、茶室の床の間の生け花を見ると露を帯びています。
これは花に露をうつためで、千利休の『露のない花は見所がない』との教えだそうです。
花だけあると誇らしげな美しさが現われ、反感に似た感情を覚えることがあり、
露を帯びた花は鮮やかに心にしみるような美しい感銘をもたらすことができる
最大の演出効果であるということです。
もう一つ大切なことは、花を生ける場所の壁が布や紙の貼物の場合は、
ともすれば華やか過ぎて、その前に置かれた花と競うことになり、
当然その競いに勝つように派手な花が生けられると
部屋の調和が破られるように思うときがあります。
その点日本古来の土壁はいかなるものとも競わず、逆に花を引き立てます。
土壁は表面が粗いため、ほの暗さが漂いますが、
それがかえって明るく美しい花を一層浮かび上がらせ静かに輝かせるのです。
ですから日本建築の座敷の床の間の壁は土壁に勝るものはないといいます。
さらに花器との調和も大切で、花と花器が競い合わないようにしなければなりません。
もし非常に立派な花器を使う場合は、花を少なめにして一歩譲り、花器のよさを引き立たせる。
花器が比較的素朴であったり、自分の好みに合わなかったとしても
花器だけ見て批判するのではなく、花器によっては花を生かしてくれることもあるのです。
日本の座敷、特に茶室では静寂さを大切にしているので競合するのではなく、
常に【主】となるものと【従】となるものを見極めなければなりません。
調和が大切なのはもちろんですが、すべてのものが完璧に調和しつくされると
窮屈さが生じ風情がなくなり焦燥感さえおきるものです。
茶道では、そのことを考え何事にも「少し足らない」、「少し平衡を欠いた」、
あるいは「慎ましげに見える」ようにすることを常に心がけているのです。
この心は、ときには我々の日常生活の衣食住にもぜひとも取り入れたいものです。
ということで、多種多様な現代ですが、日本人の美意識は決して華美にならず。
我々日本料理に携わるものは特に心しておくことが必要であると考えます。
日本人が培ってきたすばらしい美意識感覚を未来に伝承し、
模範としていくべきことだとわたしは日ごろから考えております。
投稿者 culin : 2007年01月11日 20:40