2006年12月19日

人と自然と                     山ばな平八茶屋 園部晋吾

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四季折々に姿を変える庭の木を見て、不思議な気持ちになる。

なぜ木々は、自然のサイクルに合わせて、
春には芽吹き、夏には緑濃くなり、秋には紅葉し、冬に散るのか?

散った枝には、すでに、少しだけ膨らんだ新しい息吹が感じられ、
春にはまた、新しい葉が一斉に芽吹き始める。
その順番は、逆になることも、入れ替わることもない。

毎年、同じ季節に同じ事が起こる。
季節の移り変わりを木そのものが肌で感じ、状態を変えていくのである。

それに対して、人はどうなのだろうか?
季節により、状態が変わっていくのだろうか?
また人は、季節の移り変わりを直接肌で感じることができるのだろうか?

人は、自然の変化を見てはじめて、季節の移ろいに気付く。
木々のように、自然のサイクルにあわせて、状態が変わることはない。
人自体は何も変わらないのである。

変わるのは、周りにある自然のものだけで
それらにふれることによって初めて、
人は、季節の移ろいを感じることができるのである。

自然に身を任せるのではなく、常に自然に働きかけた人は
自然の変化を最小限に抑えようとした。

その後は、自らの利便性を図るため、自然をどんどん排除していった。
まるで、自然を制覇したかのように・・・。

直線のコンクリートジャングルは人の心を常に緊張させ、
ストレスが増大していった。

自然の曲線は、人の心を和ませる。
排除していって行き着いた先は、自然への回帰であった。

自然の一部を身近におき、自然に触れることで、
季節の移ろいを感じ、自然の中に戻っていく。
木々が、姿を変えていくように、人も姿を変えていった。

投稿者 culin : 2006年12月19日 23:59