「うまい」ってなんだろう? ◆ 梁山泊 主人 橋本憲一 ◆
個人的な判断だ! と、言ってしまえばそれまで。
「うまいね」と一緒に食べる人と心が通う共通の話題になる。
個人的な味の深さはそれぞれだが、それなりに合意してくる。
個人的な味を共有しはじめる。
これが「うまいね」の中身を考える糸口にしてみる。
まず、味わえるものを数えてみよう。
「うまい」と感じることの出来る諸々を数えるわけだ。
舌が最初だろう。続いて、目でも鼻でもいい。
そして、歯触り。焼き物なら、焼き上がりの音。
いわゆる五感だ。それだけだろうか?
第六感は主に予知能力として働くが、味を想像するには良く働いてくれる。
この第六感にはどんな物をどのように、どこで、だれと食ったか…
1H5Wという食の履歴書が詰まっている。
いわゆる想像力を支えるデーターベースだ。
なかでも誰と一緒に食べるかは重要だ。
恋人なら、最高だろう。クリスマスは絶好のチャンスだ。
もっとも喧嘩中なら、最低だが…。
まだある。景色。ロケーションだ。
光と花に満ちた高原。
せせらぎの音と小鳥のさえずりに囲まれての食事。
夜景のスカイラインを眺めながら、ジャズに酔いしれるひと時。
三味線の音色が流れてくるお座敷。
料理の範疇は、食事としての時間へと広がっていく。
普段なら、はき出しそうなほど不味いものでも
「うまい」ものに変わる瞬間がある。
料理を取り巻く環境が料理を上回っていれば、
おのずと関心が他に向かい不味さは無視され、雰囲気のうまさが勝るからだ。
料理人としては悲しいことだ。
しかし、料理以外のもので「うまい」と感じる仕組みは勉強になる。
器の中の世界だけを人は食っているのではないからだ。
「うまい」を料理の味のことと思いこんでいたが、
人は景色や時間を料理と共に食って、「うまい」と言う。
そうであるなら、景色や時間を料理できないだろうか?
そうそう、随分昔に読んだ萩原朔太郎の「詩の原理」を思い出した。
詩は動で、散文は静。芝居は動で、絵画は静。
動は時間芸術だと書いてあったように記憶している。
間違っているかもしれないが、すると料理は時間芸術。芝居と似ている。
「うまい」芝居や料理は人のなにに触れて、喜びに代えるのだろう。
いい話をきいた。「うまい」ものを食ったときは、
いい恋愛をしているときに出るホルモンが分泌していると。
なるほど、目標が見えてきた。そういう料理が作れるようにがんばろう。
投稿者 culin : 2006年12月12日 21:14