2006年12月12日

「うまい」ってなんだろう?             梁山泊  主人 橋本憲一

個人的な判断だ! と、言ってしまえばそれまで。

「うまいね」と一緒に食べる人と心が通う共通の話題になる。
個人的な味の深さはそれぞれだが、それなりに合意してくる。
個人的な味を共有しはじめる。

これが「うまいね」の中身を考える糸口にしてみる。

まず、味わえるものを数えてみよう。
「うまい」と感じることの出来る諸々を数えるわけだ。

舌が最初だろう。続いて、目でも鼻でもいい。
そして、歯触り。焼き物なら、焼き上がりの音。
いわゆる五感だ。それだけだろうか?

第六感は主に予知能力として働くが、味を想像するには良く働いてくれる。
この第六感にはどんな物をどのように、どこで、だれと食ったか…
1H5Wという食の履歴書が詰まっている。
いわゆる想像力を支えるデーターベースだ。

なかでも誰と一緒に食べるかは重要だ。
恋人なら、最高だろう。クリスマスは絶好のチャンスだ。
もっとも喧嘩中なら、最低だが…。

まだある。景色。ロケーションだ。
光と花に満ちた高原。
せせらぎの音と小鳥のさえずりに囲まれての食事。
夜景のスカイラインを眺めながら、ジャズに酔いしれるひと時。
三味線の音色が流れてくるお座敷。
料理の範疇は、食事としての時間へと広がっていく。

普段なら、はき出しそうなほど不味いものでも
「うまい」ものに変わる瞬間がある。

料理を取り巻く環境が料理を上回っていれば、
おのずと関心が他に向かい不味さは無視され、雰囲気のうまさが勝るからだ。

料理人としては悲しいことだ。

しかし、料理以外のもので「うまい」と感じる仕組みは勉強になる。
器の中の世界だけを人は食っているのではないからだ。

「うまい」を料理の味のことと思いこんでいたが、
人は景色や時間を料理と共に食って、「うまい」と言う。

そうであるなら、景色や時間を料理できないだろうか? 

そうそう、随分昔に読んだ萩原朔太郎の「詩の原理」を思い出した。
詩は動で、散文は静。芝居は動で、絵画は静。
動は時間芸術だと書いてあったように記憶している。
間違っているかもしれないが、すると料理は時間芸術。芝居と似ている。

「うまい」芝居や料理は人のなにに触れて、喜びに代えるのだろう。

いい話をきいた。「うまい」ものを食ったときは、
いい恋愛をしているときに出るホルモンが分泌していると。

なるほど、目標が見えてきた。そういう料理が作れるようにがんばろう。

投稿者 culin : 2006年12月12日 21:14