日本の「道」 ◆ 辻調理師専門学校 小山伸二 ◆
とつぜんだが、日本には「道」がある。
武芸、文芸などをはじめとした諸芸に、それぞれにある、「道」のことだ。
その「道」は、「どう」と訓される。
柔道、剣道、合気道、歌道、華道、茶道、香道・・・・・、と。
「道」ということばに、どんな意味を、この国の人々はこめてきたのか。
その道とは、どこまでもつづく「修行の道」だったり、
簡単にはきわめることのかなわない、どこか人生を思わせる、
険しい坂道、砂利道、けもの道などの、
いわば終着駅のない、道の比喩なのかもしれない。
しかも、その道には、師匠がいて、弟子がいるという、
人間関係の道でもある。
弟子にはその技量、経験に応じて階級が設けられ、
切磋琢磨が必須の道となる。
場合によっては、師弟の関係に、血縁が求められたりもする。
社会的な開かれた関係性と、血縁的な内向的な関係性が、
悩ましく交錯する、そんな道だったりもするのだろう。
さて、私は、20代のある時期(もう20年以上前のことだ!)、某出版社で
コーヒーの雑誌の担当をしていた。
生涯をかけて、研究者として、職人として、企業人としてコーヒーに携わってきた、
激しい情熱をもった方々に、取材を通して出会うことができた。
彼らのなかには、まさにコーヒーをめぐる技術の伝承や、
「思い」の共有化をはかるための、「コーヒー道」とでも
呼びたくなる領域まで、コーヒーを高めようとする求道者のようなタイプの方も
少なからずいらした(1980年前後までの話かもしれないが)。
当然、その新興の「道」にも日本的な師弟関係はうまれ、
流派もいくつか分立し(ネルドリップ派、サイフォン派、焙煎原理主義、
コーヒー原産地呼称強調派などなど)、わずか数世代とはいえ
血筋のようなものも芽生えたのかもしれない(名門喫茶店の師弟とか・・・)。
そして、数名の、伝説的なコーヒー研究家も登場した。
コーヒーは、日本に本格的に移入されてからたかだか百数十年。
とくに、消費が飛躍的に伸びたのは戦後のこと。
そのなかで、世界に類例のないくらいに情熱的にコーヒーの本が出版され、
コーヒー専門店も多く登場した。
あくまでも、自分で厳選して仕入れた生のコーヒー豆を、さらに手で選別を加え、
納得して選んだ焙煎機に自分の仕様を加え
(とくにサイクロン・煙突などの排気設備の設置条件、
直火型か半直火型、熱風型かなどの燃焼システムの差異など)、
長年試行錯誤して到達した自分の流儀で焼き上げ、
そして、こだわりぬいた道具類(ネルドリップならば、その布地を全国に求め、
裏地、表地、U型の角度にこだわり、ミルならば、カット方式、
その歯のメンテナンスなど。器ならば、有田でとくべつに発注して、
薄く、しかもコーヒーの色が映えるように白磁のいろの微妙な白さを追求し・・・)
を駆使して、そして、コーヒーを楽しむ空間性にこだわり、
と、こんな、コーヒーの特殊な文化を、戦後の日本は生んだ。
こんな、熱狂的、狂信的(あっ、失言です!)な、
コーヒー文化を生んだ国は、この列島をおいてほかにない。
いまさらながらに、戦後から数十年かけてのコーヒー文化の流れを考えると、
新規の、外来のものに対したときの日本人の姿勢、
真面目さ、オタク化するパワーといったものの姿が透けて見えてくる。
そして、いまなら、皮肉や揶揄ではなく、
「道」という日本の技術・文化伝承システムは、
この国の誇るべき特性かもしれない、と素直に言えるようなきもする。
アメリカのベースボールとは似て非なるものとして、
揶揄された「ニッポン流野球」も、もしかしたら、「野球道」に
なっていたのかもしれない。
でも、そんな「野球道」の国から、野茂やイチローなどの、
世界標準=大リーグで活躍する選手が多く輩出した。
「道」は、だから、21世紀も、正当に生き延びる権利と根拠があるだろう。
さあ、料理、ことに、日本料理の「道」は、これから、どんな形で、
日本らしい伝承、発展を、日本で、世界で、とげていくのだろうか。
そういえば、私の娘は必修だったので小学校1年、2年のときだけ、
「柔道」を学校の体育の授業でやらされていたなあ。
フランス・リヨンの現地校でのことだが。
投稿者 culin : 2006年10月10日 17:43