京の秋東山散歩道 ◆ たん熊北店主人 栗栖正博 ◆
京都は11月が最高の観光シーズンになります。
東山の紅葉は11月下旬~12月初旬まで楽しめますのでどうぞ京都へ。
又料理も大変おいしい時期になります。
料理屋での昼食夕食もお忘れなく!!
私の一押しのコースをご紹介いたします。
まず清水寺へタクシーを使って登ってください。
この後はすべて歩いていただきます。
清水寺を参拝の後はずっと下り坂で三年坂、二年坂、一年坂、と
おりていただきお土産物屋さんの門前町を楽しんでください。
この途中に‘かさぎや’という甘党の店があります。
ここで一服してわらび餅と抹茶かあんみつでもどうぞ。
洋風好みの方はイノダコーヒーがあります。
京都では有名な老舗の珈琲屋さんです。
石畳の坂道を下ると霊山観音の入り口から‘ねねの道’に入ります。
高台寺、円徳院などを参拝してこの界隈は飲食店が多くありますので
昼食をこのあたりでどうぞ。
我々の理事長‘菊乃井本店’もこの近くでございます。
おなかがふくれたら、散歩の続きをしましょう。
円山公園を通り抜け知恩院、青蓮院を参拝し、
ここから南禅寺までタクシーで移動したほうが楽ですが、
足に自信のある方は歩くのもお勧めです。
平安神宮の大鳥居前にして疎水べりを南禅寺の方へ歩き
山内をゆっくりと散策し、奥の院から北へぬけ野村美術館を見学。
続いて永観堂を参拝し、その後哲学の道へ入ります。
この途中に俳優栗塚旭さんのお店‘若王子’という喫茶があります。そこで一服。
ふたたび歩き法然院参拝後に銀閣寺山内をゆっくり見て
夕食の店はお好きなお店へどうぞ!
秋の東山満喫コースをご紹介しました。
投稿者 culin : 20:50
フランス人達の興味 ◆ 杢兵衛 寺田慎太郎 ◆
いよいよ始まりました、フェローシップ。
長旅の疲れも見せず、すぐさま関空から
堺の刀鍛冶研修へ直行したフランス人達は
とても嬉しそうです。
私も研修生の気持ちで研修に臨みました。
まず最初に今回この研修を担当して
下さっている「堺石藤」さんから包丁の種類、
そして鋼と地金の口頭説明がありました。
この時点でもう既にシェフ連中からは質問の嵐です。
それを聞いていて実に驚いたのは、
基礎知識を既に持っていることでした。
自国の包丁の事でなく和包丁に関する知識です。
モチベーションの高さにびっくりです。
そして、製作工程の見学に移りました。
まず、「火造り」という工程です。
熱せられて真っ赤に染まった鋼を打ちつけたり、包丁が火花を散らしながら
研がれていくのをとても興味深げに見入っていました。
荒仕上げの包丁を手にして眺めている様子は真剣そのものです。
次に場所を移動して「仕上げ研磨」の工程を見学です。
まず分業制に疑問を持ったらしくこの仕組みの説明がありました。
自分の中で消化できないことは納得いくまで質問をしていました。
中でもシェフ3人はこの包丁を「研ぐ」ということに特に関心があり、
最後まで職人さんの真ん前で作業を見つめ、質問を繰り返していました。
フランス人達はこういった職人技を目の当たりにして非常に感動していたようです。
特にシェフ3人は最初から最後までとても熱心に見ていました。
お昼は「美美卯」で昼食です。
うどん、そば皆それぞれ好きなものを注文して食事を楽しみました。
バルボ氏が前にいたので、食べている様子を伺っていますと、
まず、出汁の中に浮かんいでる柚子を見つけ、「ユズ?」と言って、とても嬉しそうです。
そしてそば、出汁、天婦羅とじっくりと味を確認しながら食していました。満足げでした。
京都に戻り、それぞれ荷物整理を終えてから短い時間の中で
八坂神社、円山公園、知恩院と観光しました。
彼らはまず八坂神社の中で「茄子田楽」を売る屋台を見つけ立ち止まり動きません。
ようやく歩き出したと思ったらまた別の屋台で立ち止まり、気付いたら
後ろには誰も着いて来ていません。
挙句には大道芸にまで熱い眼差しをおくっていました。
興味のあるものを見つけると自分の納得いくまで、見たり聞いたりしています。
恐らくそのときは周りが見えなくなるのでしょうね。まるで子供のようで可愛かったです。
一流のシェフをつかまえて失礼かもしれませんが。
昨日1日彼らと共に行動して非常に楽しかったですし、勉強になりました。
フェローシップは始まったばかり。
楽しい一週間になること間違いないでしょう。
投稿者 culin : 19:35
日本料理フェローシップが始まりました ◆ 武庫川女子大学 大森いさみ ◆
本日朝8時20分、フランスからフェローシップの
参加メンバーが、関西空港に到着しました。
パスカル・バルボ、クリストフ・ロア、ジャック&マルティーヌ・デコレ、
セバスチャン&ヴェロニク・ブラス、マリアンヌ・コモリ。
皆さん、フランスではもちろん、世界的に活躍している面々です。
長距離フライト後にもかわらず、とにかく、元気でハイテンション!!
これが一流のパワーかと圧倒されてしまいました。
取り急ぎ、メンバーの来日直後の第一声をお届けします!!
まずは、私がパリのミッキー」と秘かに呼んでいるパスカル・バルボさん。
(ナイナイの岡村さんに似ているという人も。)
女性からみると、とにかく「カワイイ」!!のです。
「飛行機では寝ることができなかったけれど、全然大丈夫。
元気だよ!これから刀鍛冶見学だよね。楽しみ!!!」(とジャンボタクシーに乗り込みました)
続いて ジャック・デコレさん。
フランスのフードイベントで彼が舞台に立つだけで、
観客席から指笛が鳴り、大いに盛り上がるという人気者。
そして、彼の息子さんの肌はマシュマロのように美しいのです。
(料理とはまったく関係がありませんが。)
二人の息子さんが誇らしげにレストランを手伝っている姿に、
ジャックさんとマルティーヌさんの料理を愛する気持ちがみてとれ、
なんだかうれしくなったのを覚えています。
「やりたいことがいっぱいあって、ワクワクしているよ。疲れ?全然平気だよ。」
セバスチャン&ヴェロニク・ブラス。
父君、ミッシェル・ブラス氏を超える器だ!!との評判を
在仏の人たちから聞いていますが、お目にかかるのははじめてです。
来日までの様々なメールでのやりとり(=交渉)で、
迅速に、いつも丁寧な答えを返してくれたのはブラス氏です。
「フランス人かつ料理人」としては希少な存在?!
空港到着後、一行はすぐにジャンボタクシーに乗り込み、
最初のプログラム、刀鍛冶視察に出発したため、
ブラス氏とは言葉を交わす時間がありませんでした。
この刀鍛冶視察はブラス氏のたっての希望で
プログラムのなかに取り入れられたもの。
彼の目に日本の職人さんの技術はどのようにうつるのでしょうか。
マリアンヌ・コモリさんは、フランスで有名な料理ジャーナリストです。
(ちなみに、ご主人は、ドキュメンタリー映画監督のジャン・ルイ・コモリ氏。)
●十年前は、あのロブション氏も釘づけになってしまったというほどの
絶世の美女として名を馳せたらしい。(あっ、今でも、もちろん!)
「日本に来ることができて本当にうれしいわ! ありがとう。
この研修をとても楽しみにしていたの。でも、日本は暑いわね。」
個性的かつ魅力的な7名の今日からの研修、
なんだか面白いことが起こりそうで、楽しみです。
研修の様子は読売テレビ、TBS,日本テレビ、
朝日新聞などで放送(あるいは掲載)される予定です。
日本のジャーナリストの目にこの研修がどのようにうつったのかも興味深いところです。
来日した面々が日本語を解さないことを、いいことに、
オバチャンの本領を発揮したような内容になってしまいました。
まぁ、一個人の徒然なるままに…のつぶやきだとご容赦くださいませ・・・。
投稿者 culin : 17:26
フランシェフと清酒の出会い ◆ 京都大学教授 伏木 亨 ◆
本年度日本料理アカデミー主催のフェローシップは、
日本酒とフランス料理の出会いがテーマ。
30日はパスカル・バルボをはじめとする招待シェフらが
伏見の酒蔵を見学し、灘の酒蔵では自分の料理に合う酒を物色する。
料理とガチンコに張り合うワイン。
それに対して和食に静かに寄り添ってきた清酒。
どんなドライな白ワインに比べても日本酒は甘さも酸っぱさも微かだ。
彼らも知ってるだろうけど、やっぱり料理を合わせるとなると面食らうだろうな。
でも、それが今回のフェローシップの狙いでもある。
「このサケは、トレビアン!」
とか連発するだろう。でも本心は困惑しているかも知れない。
(いったいなぜこんな味の酒が好きなんだ。)
(イタリアの安ワインをセーヌ川の水で薄めたような味だぜ、ワタシ的には。)
(ひょっとして、根暗なんじゃないか。)
(いや、我々のまだ知らない深い精神の淵がそこにあるのかも知れない、、、、。)
世界的にも著名なシェフたちのことだ。
我々の予想を超えた答えを出してくれるだろう。
我々の気づかなかった日本料理の一面が見えれば最高だ。
日本酒をきっかけにして日本料理の本質と精神性に
彼らが想いを向けてくれれば、それも嬉しい。
日本酒だって古酒もある。個性的な生もと、山廃もと、もある。
どんな酒を選ぶのか、興味津々。
投稿者 culin : 16:01
ショウロンポウ・スティック ◆ 木乃婦 髙橋拓児 ◆
今回は、上海市内の南京西路のある
小龍包などの点心で有名な「王家沙」でのお話です。
実は、今回とあるTV番組から中国料理を学んでくるというミッションが与えられ、
上海ロケに行ったわけですが、第一回は、「小龍包」*写真1を学ぶというテーマでしたので、
創業1930年の老舗「王家沙」を訪れ、その秘伝を伝授されるという内容でした。
食事をしに行っているのに、途中から白衣に着替えて厨房に入るという
ベタな設定でしたが、とても楽しく、ノリノリでやってしまいました。
小龍包のつくり方を教えて頂いたのは、
上海でも数名しかいない特級点心師「蒋 静芬(しょう せいふん)」さんでした。
私は、良く言えばあまり人見知り、物怖じはしない性格(悪く言えば偉そう)ですので、
すぐに蒋さんとも仲良くなりました。
そうなると蒋さんは、包み隠さず「小龍包」の作り方を教えてくださいました。
中に入っている具材について教えてもらい、
更に、強力粉と水の混ぜ方、練り方、寝かす時間、そして生地の伸ばし方まで、
丁寧にやって見せてもらいました。
生地の伸ばし方も綺麗にするには大変難しく、
中心は厚く、周りは薄く引き、まん丸に仕上げなければならないので
10回ほどやりましたが、うまく行きません。
これは、生地の真ん中に蟹味噌や蟹身、豚肉や背脂を入れて、
茶巾にするため閉じる口は薄いほうが良いのです。
生地を伸ばす道具も、写真*2のように独特の形状をしていて、
2本でローラーすると周りが薄く引けるようになっています。
あつかましくもこの特級点心師の蒋さんご愛用の
ショウロンポウ・スティックを頂戴いたしました。
「頑張ったら、一番になれるわよ!」と励ましのお言葉までいただきました。
お陰で帰ってからは常に手元に置いておいて、
伸ばせるものは何でも伸ばしています。
では、「小龍包」の何を学んだのでしょうか?
この料理の特徴は「食べるまで何か分からず、香りもしない。
一口食べるとたくさんの肉汁とともに旨味と香りが口の中いっぱいに広がり、
極度な温度差を楽しむ料理」だと思います。
ですから、これを日本料理にするとしたら、
別に強力粉の生地を使わずとも、このコンセプトさえ守れば可能なのです。
ちなみに私は帆立貝のすり身で生地を作りました。
美味しかったですよ。中国語と言ったらニーハオ位しか知りませんでしたが、
料理を通じてコミュニケーション出来て新しいことを発見した時は、
いつもながら感動する瞬間です。
これがあるから、料理は止められません。一生涯、発見と吸収の旅です。
投稿者 culin : 20:55
料理はミラクル! ◆ 銀水 山岸裕明 ◆
うちの子供の最近の口癖です。
美味しいと思ったときにいうのですが
"料理人泣かせの、えー言葉やなあ"と親バカチャンリンで思っています。
三歳になったばかりの女の子なのですが、
先日、家族旅行先で熱をだして心配したのですが、
次の日には熱もさがりホッとひと安心しました。
その時に「元気になってよかったね。」と言うと
「みなさんのおかげです。」と答えるので
家族中が笑顔になって「どこで、そんな言葉、覚えたんやろ。」と話し合いました。
子供というのは不思議なもので教えたつもりのない言葉でも
使っているので大人が面食らいます。
ということは言葉だけやなしに味についても実はものすごく
覚えているんではないかと、うすら怖く感じています。
朝の忙しい時間に出来合いを食べさせたり、
おもちゃ欲しさにねだられるファーストフードの味であったり、
みんなみんな覚えてるんやなと。
昔は噛んで唾液と御飯が混ざると甘みを感じて
美味しいと思うのやけど、
今はマヨネーズ使ったもん食べさすと
最初からその味が付いたあるから、
だんだん噛まんようになった、
と誰かが言うてたなあ。
まあ今の時代、冷凍食品やファーストフードを食べささないというのは、
かなりストイックな生活を強いられるので、それに対抗して
美味しい「だし」の味を覚えささんと、あかんなあ、と思います。
そこで、朝晩、寒くなってきまして家庭で
手軽に本格だしを味わえる鍋やおでんの季節到来です。
家族みんなで食卓を囲んで笑顔で「レッツ ミラクル!」
投稿者 culin : 17:05
いよいよ日本料理フェローシップ ◆ 相伝京の味 なかむら 中村元計 ◆
いよいよ10月29日より約1週間「日本料理フェローシップ」が開催されます。
遅ればせながら私このフェローシップ委員会の
委員長を務めております中村と申します。
よろしくお願い申し上げます。
6月の下旬よりこのフェローシップ事業の準備を進めて参りました。
日本料理アカデミーが目的とするひとつの
「日本料理のグローバルスタンダート化」においては
非常に重要な位置を占める事業となります。
本年度は世界的に将来が有望されるフレンチのシェフ3人と
それぞれの店のサービス3人を招聘し、
料理、食材のみならず料理の背景にある風土や文化とあわせて
日本料理への理解を深めて頂く予定です。
各研修も我々日本人料理人が考え用意した研修以外に
彼らの希望である、畜産農家見学、柚子畑見学、
刀鍛冶研修等も含め大変充実した研修内容と自負いたしております。。
畜産農家見学ではどのようなことが知りたいのでしょうか?
フランスでは一般に霜降り肉は敬遠されがちです。
にもかかわらず霜降りのある牛を育成する現場を見学したいとは?
一体、どのようなことに目的があるのか?
柚子畑の見学をしたいといってきたときには正直、
「そんなん見てどないすんの?」と思いましたが、
少なくとも彼らは柚子が非常に好きで、興味をもっているらしく、
ひょっとしたら柚子の飼育に関してあらゆる質問をして、
種を持ち帰り、育てるような気がしています。
それほど日本の柚子は彼らにとって興味をそそるものらしいです。
何時の日かフランスの市場には柚子があふれるほど
並べられているかもしれません。あくまで僕の推測ですが。
又、刀鍛冶を見学したいということですが、
それだけ日本の包丁のよさを理解してくれているということでしょうか。
<現に仕事で日本の包丁を使用しているシェフ達は少なくないようです。
それでその包丁がどのように作られていくか自分の目で確かめたいのでしょう。
その他禅研修はサービスの人たちだけの研修ですが
シェフ達も出来れば行きたいという事でしたし、
日本にいて時間が許す限りいろんなことを学びたいという申し出があり、
我々もそれに出来るだけ答えるように準備しました。
いずれにしても今回日本にやってくる彼らは流石、
料理に対するモチベーションが非常に高いことが伺えました。
そういう人たちと接する機会が持て、
こちらも研修させてもらっているというような
関係が築ければ非常に有難いなと感じます。
彼らの考えるフランス料理とは?
又、日本料理とは何か?
彼らの作る日本酒に合う料理とは?
又その料理へのアプローチはいったいどんなものか?
とても興味のあることです。
本当にワクワクする楽しみな1週間が始まろうとしています。
投稿者 culin : 18:59
桜島 ◆ 魚三楼 荒木稔雄 ◆
先日、何年かぶりに鹿児島に行ってきました。
さすがに、新幹線が発着する駅です。
前回訪れた時とはすっかり趣が変わって、
新しい都市開発の最中のように見えました。
どこの新幹線の駅を降りても似たり寄ったりの駅前で、
少し興ざめたように思えました。
しかし、少し車で駅から離れると桜島が、どんと座ってはります。
すごい存在感、さすが薩摩の風景、圧倒的な存在感に
びっくりするやらうれしいやら、見とれてしまいました。
仕事を終え、宿に帰り温泉に浸かったわけですが、
温泉の露天風呂の正面に桜島が見えています。
なんとも雄大な、男らしい力強い姿をお風呂に
浸かりながら眺めておりました。
本当に、至福の時間です。
日ごろ、京都で、人の作った繊細な風景の中で生活していますと、
自然の力強さをより感じるのでしょうか、
なんとも心地よく見とれていまいした。
そして、なにか力強さを分けて貰ったようです。
しかしながら、やはり料理人、食べることについ気持ちが移っております。
きびなご、黒豚、つけあげ、あじ、さば、まだまだおいしいものはたくさんあります。
いろいろ食べさせていただいたのですが、桜島のように、やはり力強い、
素材のうまさを前面に出している料理です。
この風景の中、この土地じゃなければ
生きてこないだろうと思いながらいただいておりました。
私の料理は京都の繊細な感覚の料理です、
この土地で私の料理が通用するとは思えません。
料理がおいしく味わえるには、環境、というか風土が
すごく密接に関係していると感じます。
私たちの目指している日本料理のあり方も、
やっぱり風土に対し、正直な料理であるべきだと思いました。
投稿者 culin : 22:26
社会と世間 ◆ 萬重 田村 圭吾 ◆
すっかり秋らしくなりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
先日、北朝鮮が核実験をしたという報道が流されましたが、
私も含めて「皆さんなんか他人事?」という風潮ではないでしょうか?
先日ラジオを聴いていましたら興味深いことを話されていましたので
今日はそのことについてお話いたします。
お題にもありますように「社会と世間」の違いについてです。
皆さんお解かりになるでしょうか?
そのパーソナリティーが申されますに、「普段、皆さんがおっしゃっている、
社会とは世間すなわち自分の身の回りの家族・会社・町内・地域・業界・学校など
自分に関係のあるごく限られたくくりをさしておられるのではないですか?」
ということでした。だから自分に関わりの薄いことがらやただ漠然と流れてくる情報に関して
あまりピンとこないことには意識はしているものの自分とは関係ないと
思われる風潮があることを指摘されていました。
だから今、社会的問題や今まででは考えられない凶悪犯罪、モラルの問題など
我々が漠然ととらわれている「社会」に向けて警告を発していて、皆さんが身近の
感じる「世間」に対して訴えていかないと広がりを見せないとも指摘されていました。
なるほど日本人は「世間体」をとても気がしますが、「旅の恥は掻き捨て」の言葉に
代表されるように「自分が知りうる世間」以外のことには気薄なところがあるのも事実です。
我々、日本料理アカデミーの活動も社会的に有意義な活動をしていると
自負していますが、今まだ「世間」に対して活動をしているだけかもしれません。
私が所属する地域食育振興委員会としても小学校に対して食育活動をしていますが、
いずれ本当の意味での社会に浸透していけば幸いと思っております。
投稿者 culin : 17:39
世阿弥“せぬ暇”について ◆ 嵐山熊彦 栗栖 基 ◆
前回と同様に古典芸能における“間のとらえ方”について
私見になりますがお話を続けたいと思います。
“能”の大成者である世阿弥の著述に“せぬ暇”という真に難解であり、
能において非常に重要な言葉があります。
世阿弥によれば“能”においてもっとも大事なことは、
すべてのテクニック・身体の表現を一瞬にして凝集していくことであり、
内面性をひたすら持続することにある。
つまり、外見的な世界を断ち切って、
切っていくことから生じてくる内面的な静と動の美しさを
演者が表現することを第一とし、
ここに古典芸能の極意があると述べております。
とくに能・謡曲の場合、一つの型から一つの型に移る瞬間が重要であり、
それを一本調子で、同じリズムに乗ってやってはいけない、
連続的にしてはいけないと世阿弥は言っており、
それを現実に行う為に、“間を抜く”と言う、
つまり“間を入れる”のではなく“間を抜く”と言うことにより
規則的な拍子や所作に“せぬ暇”が生まれるのだと述べております。
“せぬ暇”とは何もない“無”であり、間を外すことである。
あえて意図的に間を抜くことで、
むしろ不連続な間を作ることにより次に何が起こるのか、
何が起きるのか、その驚きと期待の緊張感を演出することが
世阿弥の言う“せぬ暇”であると考えられます。
現代風に考えれば、“間”とは一定の連続的な
リズムのリピートを想像しますが、
古来より日本人が創造してきた“間”というものは
“生命の息吹”つまり人間の呼吸にたとえるとすれば、
“生命が躍動している瞬間”であり、
それは森羅万象のリズムの中で生かされている人間が
本能的に身に着けている内面にある見ることのできない時空間的なもの、
不定的な緩急を伴う生命のリズムのように感じられていたのではないでしょうか。
また、絵画についても同じようなことが言えます。
東洋や日本の絵画、特に水墨画などは
余白を非常に重視します。これも一つの“間”といえましょう。
一つの演奏、一つの表現が終わったあとで、
名残おしい情緒がよりいっそう深まってくることがあります。
つまり、“余情”が残るわけです。
何もない余白にこそ、書かれざる無限の思いをこめた画面があるわけで、
すべてを埋め尽くすと言う事は“無”をなくす事、
つまり現実に見える世界しか残らず、
そこから派生する無限の想像力を奪いとることになります。
日本人の美意識は絵や書の余白から限りない想像力と
未知なる芸術性を膨らませることができます。
人間がやるべきことは、ほんのわずかなきっかけで“余白”をつくり
それを暗示させればよいわけで、いやそれ以上はできないのかもしれません。
このように、音楽的に休符(時間)を意味する“間”、
絵画における空間的“間”というものをひたすら追い求め、
またその壁の向こう側に、本当の真実が存在するように思われます・・・・
古来より今日まで、日本文化の中枢を貫くこのような精神性があればこそ、
日本が世界に誇れる文化・芸術が何百年のあいだ、
我々の生活と密着し、時代の流れともに
脈々といきつづけてきた究極の要因ではないでしょうか。
思いつくままに、ダラダラと手前勝手に書き込み失礼しました。
本来ならば料理やアカデミーの事業について書き込むべきところですが、
ついつい自分の趣味や花鳥風月の話になると、我が思いを綴ってしまいます。
次回こそ日本料理のお話ができますように、今から情報収集にいってきまーす。
投稿者 culin : 19:57
小豆島 ◆ 料亭旅館 清和荘 竹中 徹男 ◆
先日30年ぶりに小豆島へ行きました。
観光旅行なら良かったのですが、
調味料メーカーの仕事で参りましたので
ゆっくりは出来ませんでしたが、
なかなか長閑な島でした。
一昨年就航した新型のフェリーで
岡山港から土庄へ。
すてきなカウンターもある飲食店もあり、
デッキにはなんと足湯が楽しめるように
なっています。
昨今はちょっとした休暇を楽しみに
近畿各地から多くの人が訪れるそうです。
特にこれからは紅葉シーズンになり、寒霞渓のそれは圧巻だそうです。
山頂までドライブも良し、ロープウエイも良し、真っ赤な絨毯を堪能出来ると言う事です。
小豆島は醤油の生産で有名ですが、
今回知る人ぞ知る、隠れた蔵に
案内して頂きました。
創業?年、いつから醤油を作っているか
解らないそうです。
地元の人しか解らないような
細い道を抜けると小さな民家のような
製造所が現れました。
その奥にはびっしりと糀やカビの宿った
醤油樽がいくつも並び、何とも言えない
甘いにおいがしてきました。
何でも登録有形文化財の「もろみ蔵」だそうで、ここの再仕込み醤油は
大変有名ですが、量も少なく、貴重な物だそうです。
戦後食べ物の少ない時代に
この醤油と甘藷の蔓を使って佃煮が生まれ、
今も小豆島産業として生きて居ます。
こんな自然豊かな島に、
今度はゆっくりと泊まりで訪れたいものです。
投稿者 culin : 16:28
今朝のきのこ ◆ 美山荘 中東 久人 ◆
皆様、ようやく朝・晩が肌寒くなって
秋らしくなってきましたね。
私は、毎朝 愛犬“クロ”と散歩がてら山を散策します。
この時期になると毎日、新しいキノコを発見します。
なにせ、地球上には 数万種類ものキノコが存在し、
しかもまだ名前もないものもあるらしい、、、。
そのほとんどが毒性のものらしく危なっかしい食材ではありますが、
やはり秋の味覚の代表はキノコですものね。
さて、今朝の散策で目にとまったのは“スギヒラタケ”です。
このキノコ(写真参照)は、ことにスギの古い切り株に多数重なって発生し、
森の中に真っ白に浮かび上がっています。
見つけるのは運がよければそう難しくなく、
杉林を散策していると良く見つかりますよ。
味のほうはうっすらと甘味があり、香りも甘い香りがします。
掃除したキノコを一度湯がいて八方地に漬け、
酢立などで香り付けをし召し上がっていただくと、
キノコの風味や食感を生かしながら召し上がっていただけます。
取り過ぎて余りそうな場合は、塩を沢山振って
“塩漬け”にしておいていただければ保存もできますしね!
春の山も良いですが、秋の山はなんか
SF映画にでてきそうな食材が豊富でワクワクしますねぇ。
これから、山にはいろんなキノコがでてきます。
安全で美味しいキノコを見つけるために明日の朝も“クロ”と山に入ってきます、、、。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 11:00
掛け軸に関すること ◆ 美濃吉 佐竹洋治 ◆
数年前の事ですが私の兄が当時、
商社に勤めておりまして転勤で
ベトナムのホーチミンでの勤務となっており、
久々に日本に帰ってきた時のことです。
兄いわく「やっぱりせっかく日本に帰ってきて
明朝すぐにホーチミンに戻らなああかんし、
懐石料理を食べたいなあ。」と言ってきたので、
珍しく家族にてある料亭に行かせていただきました。
その際に母親が座敷に案内された時に
すぐに床の間に行き、掛け軸を拝見した
とたんに「ご主人が私らに気を遣っていただいて。」と
感激していた光景を今でも鮮明に覚えております。
私どもの竹茂楼の竹に因んで「竹」の掛け軸を
掛けていただいていたのです。
我々日本料理店のいわゆるその店の雰囲気の半分は掛け軸で決まる、
とよくいわれますが、今になって何となくその言葉の意味が
自分なりにわかるようになってきました。
ちなみに、写真の掛け軸は徳力富吉郎の兎のもちつき玩具で裏千家鵬雲斎賛、徳寿無量です。
時期は無論、仲秋の名月の頃で、禅語と遊び心のある絵画が
組み合わせられた非常に時候がわかりやすいものでありまして、
この掛け軸を座敷に掛けてみると部屋全体が名月の趣向に不思議と包み込まれ、
私が好きな掛け軸のうちの一つです。
このように日本料理においての「掛け軸」というものは
非常に大きなウエイトをしめるもので、
茶道の世界におきましても会記説明の一番最初に記されることからして
大変奥が深いものであると私はつくづく実感しますので、
今後も研鑽していきたいと思います。
投稿者 culin : 12:28
いけばな ◆ 山ばな平八茶屋 園部晋吾 ◆
「いけばなっていったい何のためにするのですか?」
あまりにも不躾な私の質問ににっこりと笑って、
「いけばなは、人と人とをつなぐものなのですよ。」と、
その方は優しく答えてくださいました。
「人と人とをつなぐって、どういうことですか?」
と続く私の質問に、
「お花は上手にいけることがすべてではありません。
いけた花に四季を感じる気持ち、楽しむ気持ちを人と共有できること、
それこそが最も大切なことなのです。
花を前にして、家族や友人と話をする。
お客様をおもてなしする時に花をいける。
花はひとつのきっかけに過ぎないかもしれませんが、
花を通して人と人とのふれあいやつながりといったものが生まれてくる。
この人と人とのふれあいがいけばなの最高の楽しみなのです。」
「花をもって、人と人との心をつなぐ・・・。なるほど。
でも、花は自然から切り取られて、ちょっとかわいそうですよね。」
「確かに、そうとられるかも知れません。
でも、私たちは、自然に咲いているときよりも、
もっとその花を輝かせようとしています。」
「輝かせるとは?」
「花自体に元気を与える。そのために、少し細工をしたり、
加工したり、美しい曲線を出すために手術のようなことをしたり。
また、他の花と組み合わせることにより生みだされる調和。
それは、自然界には決して存在しえない美しさを醸し出すことができます。」
「つまり、いけばなは自己表現ということなのですか?」
「いいえ、私たちはあくまでも黒子です。主役は、花そのものなのです。
私たちは、その花が輝くためのお手伝いをしているだけです。」
今まで、いけばなは単なる自己表現だと思っていた私は、
その言葉を聞いて、とても恥ずかしく思いました。
「お料理もそうなんじゃないんですか?」と問われて、ふと考えました。
「料理は私自身を表現するものだ」という考えが、以前の私にはありました。
でも、よく考えてみると、まさにいけばなと同じだったのかもしれません。
私は単なる黒子。その食材を、とってきた自然のままではなく、
細工をして、加工をして、時には手術をして、精一杯輝かせてあげること。
そして、1つの料理として輝かせることの出来た食材は、
まさしく、人と人とをつなぐもの。
次期家元になられるその方とお話する機会を得、
いけばなというものを通じ、改めて料理というもの、
そして料理人というものを見つめ直した1日でした。
投稿者 culin : 18:03
おもてなしの心とグローカル ◆ 嵐山辨慶 若主人 礒橋輝彦 ◆
京都という土地は日本人の心のふるさととも言われる1000年の都とし栄え、
文化芸術をはじめ色々なものの発祥の地であり、
現在は観光地としても日本全国はもとより世界中から
観光客がこられる地でもあります。
その様な土地柄、「茶の湯のおもてなしの心」というものが京都には息づき、
現在でも人を思い、もてなす心が長けていると
私自身は料理旅館を経営しながら日頃感じております。
その心は私の商売では切っても切れない大切なポリシーであり、
現在商売が続けられているのもこのポリシーのお陰と感じております。
色々なところで商売以外でも人をもてなすことが多いのですが
人の好みや感じを読み取り何気ない気遣いをして喜ばれることに
何か自分自身喜びを感じられるのが嬉しく思うときがあります。
このような気持ちを大切にし、世界に羽ばたいていっている
企業や個人が京都からたくさんありますが、
いづれも地元京都のことをほったらかしにして大きくなっておらず、
常に地元を忘れることなく、地域を大切に活動しつつ、
世界に羽ばたいておられます。
造語ですがグローカルという言葉があります。
グローカルとは「Think Groval Action Rocal」といって世界を視野に入れ、
地元から行動をおこすと言う意味でシューズメーカーのナイキ社の社是でもあります。
まさに、日本料理アカデミーも京都から始まり
世界に羽ばたけるよう地域食育などを含め地域の大切さを忘れず、
世界に京都を発信できる会になればいいなと思います。
投稿者 culin : 23:59
日本らしさ ◆ 瓢亭 髙橋義弘 ◆
先日、新潟県の長岡市に行ってきました。
「地元の食材を使って、京料理を仕立てる」と
いったことでホテルでの賞味会。
昼は松華堂弁当で夜は懐石。
しかもこれで4回目。
震災があったときに2年ほど空いてしまいましたが、
ほぼ毎年呼んでいただいて、「来年も是非」
なんて言われて帰ってきました。
店で普段からしている仕事を
長岡で獲れた魚や野菜を使って提供しました。
長岡では、ほとんど焼き物でしか食べない“のど黒(赤むつ)”を
昆布締めにしてみると、とても意外だったようで大変喜んでいただけました。
のど黒の身はやわらかい方なので、
新鮮でも生でそのまま食べるにはなじみにくい魚です。
それを昆布締めにすると「何が起こったの?」と思うくらい、
ネッチリというかモッチリというか肉質が変化して、
昆布の浸透も良く、とても味わい深いものになりました。
当たり前のように食べていた食材に違った味わいを発見したときって、
とても美味しくてうれしい気分になるんですよね~
地元の食材を使った郷土料理はもちろんですが、
逆に食材の流通が良くなったことで
全国あるいは世界の食材を使って
その土地の郷土料理に盛り込むといったことも、
最近では喜ばれるようになりました。
でもそれを違和感なく表現するのは
容易なことではありません。
自分が扱いなれたなじみのある食材は
当然のように調和するのですが、
大きく異なった気候風土や環境から運ばれてきた
食材同士を結びつけるためには、
いろんなことを取捨選択しながら、
美味しいバランスを見つけなければなりません。
美味しいというのは味だけではありません。
ひとつの料理が提供されるとき、
その料理には様々な背景が存在します。
歴史や文化、気候風土、思想やインスピレーションなど、
作り手がこれまで育んできたものすべてが
その構成要素として料理の中に込められています。
食べる側がそれに共感を抱いたとき、
美味しいことが喜びや楽しみに変化し、高揚感を抱かせてくれます。
先日、美術館で『風神雷神図屏風』を観てきました。
俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、60数年ぶりに
3つの風神雷神図が一堂に会した展示でした。
3人の絵師の間には一世紀、
またそれに近い時代の移り変わりがあるにもかかわらず、
その絵の根底には一貫した何かを感じました。
今店で作っている料理が、
100年後200年後にはどのような形で表現され、
どんな味わいに変化しているんでしょうか。
日本の食文化は、歴史ある独自の文化を育みながらも、
世界の食を柔軟に受け入れ、新たな食を見出してきました。
しかしながら、急激な社会環境の変化とともに、
日本的バランスも少しずつ見失われているような気がします。
継承と発展、伝統と創造、矛盾しているようなものを
両方意識しながら調和の取れた食文化を形成していくことは、
日本人だからこそ大事にしていきたいことでもあります。
食に限らず、そんな“日本らしさ”を求めていきたいと思います。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 19:45
携帯電話!! ◆ いもぼう平野家本家 北村 晋一 ◆
本日、家内の携帯電話が突然壊れてしまったので、
買い換えに行ってきました!
買い換えに行く前に機種を調べてたのですが、
まあなんとたくさんの機種があることやら(^^;)
仕様やスペックを見ていると当然のことながら、
微妙に違うんですよね~(-_-)
この機種にある機能とあの機種にある機能がついてる機種は、
どれかな~って検討してやっと機種が決まったのですが、
満足度で言うと80%~90%かな~って感じでした。
いよいよ携帯電話番号ポータビリティーが始まるので
他社に乗り換えも考えたのですが、
割引率とかその他諸々を考えると却下という結論に達しました。
でも、携帯電話番号ポータビリティーが始まることによって、
今まで以上に携帯電話の機能の特色が出てきて、
各会社の競争が激しくなりそうだな~と思いました。
もうすでに新機種にその様子が現れてきているので、、、。
飲食業界も沢山のお店がどんどん出来てきて、
お客さんの選択肢も今まで以上に増えてきているので、
携帯電話業界で起きていることが、他人事ではないようにつくづく感じます。
これも時代の流れなんでしょうね~。
だからといって、新しい物ばかりに取り組むのではなく、
守るべき物は守るという姿勢を保ちながら
時代の流れに取り残されないようにしていかなくては!
今まで以上、日々の精進をしていかなくてはならないと感じた日でした。
投稿者 culin : 17:58
日本料理フェローシップ ◆ 菊水 髙橋 正人 ◆
もうすでにアカデミーHP内でも告知しておりますが
今年も10/29から11/6までの期間、「日本料理フェローシップ」を
開催いたします。
本年度はフランスより、パスカル・バルボ(アストランス)、
ジャック・デコレ(ジャック・デコレ)、セバスチャン・ブラス(ミッシェル・ブラス)
の3名のフランス料理人に加え、クリストフ・ロア(アストランス)、
マルティーヌ・デコレ(ジャック・デコレ)、ヴェロニク・ブラス(ミッシェル・ブラス)、
の3名のメートル・ド・テル(サービス人)、料理ジャーナリストの
マリアンヌ・コモリ氏も参加されます。
特に今回サービス人を参加メンバーに加える事により、
料理だけでなく、日本料理における「おもてなし」の部分を
体験、フランスに持ち帰っていただければと思います。
また、11/5には昨年度同様に辻調グループ校、エコール辻 大阪にて
一般公開ワークショップも開催いたします。
前回はフランス側と日本側の若手料理人がペアを組みましたが
今回はフランス料理人3名が単独で研修の成果を発表します。
続く分科会では試食もご用意しております。
15時よりの全体シンポジウムにおいては
京都大学大学院教授、伏木 亨先生(当アカデミーアドバイザー)を
コーディネーターとして、パネリストには
・的場輝佳先生(関西福祉科学大学教授・当アカデミー顧問)
・フランソワーズ・サバン氏(日仏会館フランス学長・社会科学高等研究院)
・パスカル・バルボ氏(アストランス)
・マリアンヌ・コモリ氏(ジャーナリスト)
・村田吉弘(菊乃井・当アカデミー理事長)
の5名の方々にお願いして『「日本料理」とは何か』と言うテーマで
ディスカッションしていただきます。
本年度も多くの方からご参加の申し込みをいただいておりますが
定員もございますので参加ご希望の方はお早めに申し込み頂きます様、
宜しくお願いいたします。
さて、本日10/15はきのこの日だそうです。
秋の味覚として松茸をはじめとして様々なきのこ類が
市場に出回っております。最近は今までなじみの無かったような
きのこもでまわっており、食卓をにぎわせてくれています。
きのこ類はカロリーも低いのでぜひ、家庭でのお料理に加えてみてください。
それでは・・・また来月(^^)/~~
投稿者 culin : 10:12
酒とワインと日本料理 ◆ 修伯 吉田修久 ◆
ここ最近私の店ではワインを注文される
お客様の割合が大分増えてきました。
(殆どがブルゴーニュのワインですが)
大体2割のお客様がワインで4割が酒、
3割が焼酎といった感じです。
ワインは美味しいものを選べば
2万、3万~は当たり前になってしまいます。
それに比べ2万、3万円分の日本酒を
飲もうと思えばものすごく良い酒、
もしくは飲みきれない量になります。
ワインを注文される殆どのお客様は
ワインに詳しく値段と価値の分かる方で、
若い年代のワインよりも、
1960年~1990年といった飲み頃のワインをゆっくり、
そのワインの変化を楽しみながら飲まれます。
日本酒を飲まれるお客様では、料理との相性の良い酒は何かと質問されて、
料理に合わせて酒を変えて楽しまれるようになってきました。
日本酒を飲まれるお客様とワインを飲まれるお客様との料理の違いは、
日本酒を飲まれる方には日本酒の種類によって辛口の酒の場合と
純米大吟醸などのフルーティーな感じの場合と、
量をたくさん飲まれる方と少量との方に分け変化をつけて、
ワインを飲まれる方には、そのワインが年代ものになってきますと、
料理よりもワインがメインになってくるのでワインの邪魔をしないように、
日本の食材の持つ天然の味をそのまま自然に、
そして調味料を軽くして仕上げるように心がけます。
日本酒とからすみなど昔からの定番もやっぱり旨いと思いますが、
日本料理の食材や調理法以外にも相性がよいものや
日本酒をもっと楽しめるものがあると思います。
そうすれば海外でも日本酒のシェアが増えるのではないかと思います。
実際フランスでは日本酒の認知度、需要が増えてきていて、
そこに日本酒の楽しみ方、相性の良い食材を伝える事ができれば
自然と日本酒の人気が上がるのではないかと思います。
私は、フランスで5000円のワインより
日本で5000円の酒のほうが絶対旨いと思います。
たくさんの外国のお客様と話をしたり、
海外に行くと多くの国の人が日本の文化に興味を持っていると感じます。
日本の文化を海外に伝える事は、その国の人が
日本に興味を持っていれば浸透しやすいと思います。
また、伝える事によって学ぶことは多くて改めて考える事や
気付く事があり自分自身も成長していくように感じます。
ワインと相性の良い日本料理を考えるように、
日本酒と相性の良いフランス料理を知る事で
新しい日本酒の楽しみ方が分かるかもしれません。
投稿者 culin : 19:52
本日のぼやき その3 ◆ 滋賀 比良山荘 伊藤剛治 ◆
本日のぼやき その3は、先月の続編です。
(先月の本文から)
給食の時間、「いただきます」「ごちそうさまでした」を言わない生徒を注意したら
次の日、その生徒の親が、カンカンになって怒ってきた。
その親、いったい何て言うて怒ってきたと思います?
「給食代払ってるのに、何でそんなこと言われなあかんの?」
ですって・・・・・
ウソみたいな話しですが、ある小学校であった本当の話しやそうです。
こんなことが実際の教育現場でおこり、そして教師や大人たちが対応に戸惑っている。
わが国は、こんな親にこんな非常識な事を言える自由を与えているのだから
少しくらい学校の先生にも、胸を張って言わせてあげたい。
「お母さん、本気でそんなん言うてはったら、お宅のお子さんろくな大人に
ならしまへんでぇ。」
せめてこれ位は、言わせてあげたいはなぁ。
そもそも生き続けるということは、食べ続けると言う事でもある。
現代の日本は、生きようと努力しなくても、生きていけるという有難い世の中だから
食事への有難みや真剣みが薄れているように思えてならない。
それに比べて昔の人々は、今日食べれても、明日は食べれるかわからないと言う危機感が
一回一回の食事の大切さ、有難さを身をもって知っていたのだろう。
私は、「いただきます」 「ごちそうさま」という言葉は、感謝の言葉だと思う。
この言葉の意味のほとんどは「ありがとう」だと・・・。
つまり、我々が命をつなぐために犠牲となった、小動物から鳥や魚、猛獣
そして草木や野菜に至るまでのすべての者達への感謝の気持ち。
そして、そのそれらすべてを育む大自然への感謝の気持ち。
その食材に携わった人々への感謝の気持ち。
そして、これらの感謝の気持ちは、食べる側だけでなく、私たち食事を提供する側にも
同じく言える大切な精神であると思う。
合掌。
投稿者 culin : 23:59
かみ砕いて というけれど ◆ 梁山泊 主人 橋本憲一 ◆
娘のファション雑誌を見ると、最近のモデル達に
頬骨があるのかと思うほど、スッキリしている。
というか、妙に顎がとんがっている。
目はナンとかカンとかで化粧して、変に大きく輝いている。
エラの張った顔をしているモデルなど、どのページにもいない。
しかもカメラ目線で睨みつけてくる。おまけに無表情だ。
これが流行かと、愕然とする。
こういう動きに、火の手が上がった。
モデルの痩せすぎのおかげで、娘達が病的にまで痩せている。
娘達が手本にするモデルに痩せすぎを諫める動きがイギリスで起こった。
事は次の世代を産む母体が、出産に耐えられないばかりか
本人の命までも危うくしているからだ。
現在・未来の命に関わる一大事と看破したわけだ。
さてわが国のモデルに話を戻す。
表情はカメラマンや編集者の演出だから、
彼女達には責任は無いが、
頬骨がない、あるいは弱いということを考えてみたい。
まず、どうして頬骨がこれほどまでに失われていったのか。
ひとえに食生活に原因があるだろう。
頬骨を使ってかみ砕く食品を食っていない。
だから、頬骨が発達しない。信じられないかもしれない。
特に骨は生活と関わって発達したり、消滅したりを短時間で行ってしまう。
足を骨折してギブスをはめて、一ヶ月入院した友人がいる。
退院時の出来事だ。ギブスの筋肉は無くなり、骨はつながったが、
折れなかった足とは比べようもなく細くなっていた。
では、どうして噛まなくなったのか。
それは、噛まなくても良かったからなのだ。
米という字は八十八に分解できる。
お百姓さんが、八十八回手をかけて育ててくださったもので、
八十八回噛まないと甘みもうまみも味わえないと諭されたものだ。
スルメもしかり噛まないとうまみに出会えない。
「噛む」と言うことがうまみを作りだすと知っていた。
噛んで味を口の中で作り出していたのだった。
それが、マヨネーズとケチャップにお好み焼ソースが席巻してから、
最初の一口とかみ砕いたあとの味に差のないことがわかった。
噛んで味を作り出す意味が無くなったわけだ。
調味に自信のない親は勢い化学調味料とこれらに頼ることになる。
どんなに失敗しても、マヨネーズとケチャップにお好み焼ソースなどをかければ、
いやその味で食わせればごまかせる。
毎日の炊事仕事は大変だ。
だから、そのことをとやかく言う気は毛頭無い。
しかし、知らず知らずに「噛む」ことを捨ててきたことに
気づくことは必要だろう。
噛まないと、頬骨や顎が弱くなるだけでなく、
脳への刺激も弱くなる。
記憶中枢ばかりが発達して、
コントロール機能が弱い脳に育つとかなり苦しいと思う。
記憶をどのように扱えばいいのか自分自身がわからないからだ。
「明日の記憶」という本がある。
渡辺謙主役で映画化にもなった。
これは逆に記憶がとどまらない。同質の苦しさだろう。
すべての原因が「噛む」と結びつける気はないが、
味覚がこんなことにつながっていると思うと、
料理人の仕事や日本料理アカデミーが取り組んでいる「食育」は、
あらためて大切な問題だと思う。
投稿者 culin : 18:41
食育授業2 ◆ 懐石・宿 近又 鵜飼治二 ◆
先日10月3日と5日に新町小学校の6年生総勢90名が
近又に参りまして、食育の授業が行ないました。
これは新町小学校の校長との個人的なつながりで
毎年行なっておりますが、小学校最後の6年生の
1授業として組み込まれているものです。
今回は特に「生き物の命に感謝」というテーマで野菜ではピンとこないので、
「活け鮎の串打ちをして塩焼き。」
「活け車海老の頭をとり櫛打ちして茹でる。」
この作業を見せました。
子供たちに生き物を殺生して我々は健康に暮らし、
健全な精神を培っていることを示しました。
生き物を殺生することを【かわいそうではなくて】
【有難うという気持ち】を持ってもらえればと思います。
次に昨日10月10日「京都栄養医療専門学校」にて
管理栄養士課の4年生の授業を持ちました。
1時間30分の授業です。
ほとんどが女子大生で男子生徒は1割ほどです。
内容は、京野菜の説明と食育、そして卒業、就職を来春に控えての心構え。
せっかく京都にいるのだから、京野菜のことについて
少しは興味を持ってもらおうとスライドを使い京野菜の特徴や、
調理例、食材の「出会い物」の定義などについても説明しました。
今後食に携わる生徒さんなので、我々が志している食育とのかかわりあいもあるので
ぜひとも興味を持っていただき、将来協力してほしいと話しておきました。
就職に関しては、仕事というもの楽なことは一つもない。
正しい礼儀作法を心がけ、プロ意識を持ち、
その道の専門家になることを目標に日々精進努力し、
将来回りの人たちを幸せにできるような人になってほしいと話しておきました。
先日の鶴清の田中君のブログに山本五十六の話がありましたが、
私も山本五十六のこんなすばらしい格言を紹介させてもらいます。
「苦しいこともあるだろ、云いたいこともあるだろう、
不満なこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、
泣きたいこともあるだろう、これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。」
このお言葉を近又では調理場に貼っております。
投稿者 culin : 23:59
関西寿司と江戸前寿司 ◆ 下鴨福助 安念尚志 ◆
皆さんはお寿司というとやはり一番に思い浮かぶのは
にぎり寿司ではないでしょうか。
にぎり寿司や細巻き(胡瓜巻きやかんぴょう巻き等)は
江戸前寿司(関東)の代表的な寿司です。
関西寿司は巻き寿司や押し寿司などがあります。
江戸前と関西の大きな違いってご存知ですか?
簡単にいうと「生ものを使うのが江戸前」、「生ものは使わないのが関西」です。
関西は生ものをまったく使わないのではなく、塩をしたり酢で〆たりとひと手間加えます。
代表的な寿司はやっぱり鯖寿司ですね。
他に違うところはシャリの味付けが関西は砂糖を使いますが、
江戸前はほとんど使わない。
つまり関東は甘くないのです。(ギョクは甘いんですけれどね。)
江戸前はにぎり寿司なのでネタを食べるために
あまりシャリに味をつけないのです。
関西は巻き寿司や押し寿司、鯖寿司などシャリの割合が多い寿司です。
そのためにシャリの味が寿司の味を決めるのでシャリにもしっかりと味を乗せるのです。
ちょっと脱線しますが、関東と関西の味の違いって結構ありますよね。
よくある話が「緑のたぬき」と「赤いきつね」の粉末スープが2種類あること。
関東は醤油ベース、関西はだしベースで作られているそうですね。
お互い譲れない境界線なんでしょうか。
冗談はさておき、あとは葉欄と笹のちがいです。
江戸前は笹を使います。
笹は切りおきしてから時間がたつと細い部分から縮れてきます。
だから鮮度を見るための目安にもなります。
葉欄は時間が経っても縮れません。
厚みがありますからね。
そもそも関西寿司は作りおきの寿司です。
巻き寿司は巻きたてよりも少し時間がたったほうが海苔がなじんでおいしいし、
鯖寿司も時間が経つと味が馴れておいしくなります。
だから寿司の性質上、葉欄があっているんでしょうね。
先日料理の撮影があって笹を使いましたが、
ライトがあたっているからか縮れるのが早く、何度も差し替えてました。
でも歴史からみれば関西寿司のほうがずっとむかしからあるんですよ。
江戸前寿司もいいですが、関西寿司にももっと目を向けてほしいものです。
今夜は鯖寿司でもいかが?
投稿者 culin : 23:55
日本の「道」 ◆ 辻調理師専門学校 小山伸二 ◆
とつぜんだが、日本には「道」がある。
武芸、文芸などをはじめとした諸芸に、それぞれにある、「道」のことだ。
その「道」は、「どう」と訓される。
柔道、剣道、合気道、歌道、華道、茶道、香道・・・・・、と。
「道」ということばに、どんな意味を、この国の人々はこめてきたのか。
その道とは、どこまでもつづく「修行の道」だったり、
簡単にはきわめることのかなわない、どこか人生を思わせる、
険しい坂道、砂利道、けもの道などの、
いわば終着駅のない、道の比喩なのかもしれない。
しかも、その道には、師匠がいて、弟子がいるという、
人間関係の道でもある。
弟子にはその技量、経験に応じて階級が設けられ、
切磋琢磨が必須の道となる。
場合によっては、師弟の関係に、血縁が求められたりもする。
社会的な開かれた関係性と、血縁的な内向的な関係性が、
悩ましく交錯する、そんな道だったりもするのだろう。
さて、私は、20代のある時期(もう20年以上前のことだ!)、某出版社で
コーヒーの雑誌の担当をしていた。
生涯をかけて、研究者として、職人として、企業人としてコーヒーに携わってきた、
激しい情熱をもった方々に、取材を通して出会うことができた。
彼らのなかには、まさにコーヒーをめぐる技術の伝承や、
「思い」の共有化をはかるための、「コーヒー道」とでも
呼びたくなる領域まで、コーヒーを高めようとする求道者のようなタイプの方も
少なからずいらした(1980年前後までの話かもしれないが)。
当然、その新興の「道」にも日本的な師弟関係はうまれ、
流派もいくつか分立し(ネルドリップ派、サイフォン派、焙煎原理主義、
コーヒー原産地呼称強調派などなど)、わずか数世代とはいえ
血筋のようなものも芽生えたのかもしれない(名門喫茶店の師弟とか・・・)。
そして、数名の、伝説的なコーヒー研究家も登場した。
コーヒーは、日本に本格的に移入されてからたかだか百数十年。
とくに、消費が飛躍的に伸びたのは戦後のこと。
そのなかで、世界に類例のないくらいに情熱的にコーヒーの本が出版され、
コーヒー専門店も多く登場した。
あくまでも、自分で厳選して仕入れた生のコーヒー豆を、さらに手で選別を加え、
納得して選んだ焙煎機に自分の仕様を加え
(とくにサイクロン・煙突などの排気設備の設置条件、
直火型か半直火型、熱風型かなどの燃焼システムの差異など)、
長年試行錯誤して到達した自分の流儀で焼き上げ、
そして、こだわりぬいた道具類(ネルドリップならば、その布地を全国に求め、
裏地、表地、U型の角度にこだわり、ミルならば、カット方式、
その歯のメンテナンスなど。器ならば、有田でとくべつに発注して、
薄く、しかもコーヒーの色が映えるように白磁のいろの微妙な白さを追求し・・・)
を駆使して、そして、コーヒーを楽しむ空間性にこだわり、
と、こんな、コーヒーの特殊な文化を、戦後の日本は生んだ。
こんな、熱狂的、狂信的(あっ、失言です!)な、
コーヒー文化を生んだ国は、この列島をおいてほかにない。
いまさらながらに、戦後から数十年かけてのコーヒー文化の流れを考えると、
新規の、外来のものに対したときの日本人の姿勢、
真面目さ、オタク化するパワーといったものの姿が透けて見えてくる。
そして、いまなら、皮肉や揶揄ではなく、
「道」という日本の技術・文化伝承システムは、
この国の誇るべき特性かもしれない、と素直に言えるようなきもする。
アメリカのベースボールとは似て非なるものとして、
揶揄された「ニッポン流野球」も、もしかしたら、「野球道」に
なっていたのかもしれない。
でも、そんな「野球道」の国から、野茂やイチローなどの、
世界標準=大リーグで活躍する選手が多く輩出した。
「道」は、だから、21世紀も、正当に生き延びる権利と根拠があるだろう。
さあ、料理、ことに、日本料理の「道」は、これから、どんな形で、
日本らしい伝承、発展を、日本で、世界で、とげていくのだろうか。
そういえば、私の娘は必修だったので小学校1年、2年のときだけ、
「柔道」を学校の体育の授業でやらされていたなあ。
フランス・リヨンの現地校でのことだが。
投稿者 culin : 17:43
仲秋の名月&体育の日 ◆ ぎをん 梅の井 三好 徹 ◆
今日は体育の日、朝から町内会長が運動会の用意をいそいそと運んでいた。
「おはようございます。今日はご苦労様です。」と声をかけ出勤してきた。
なかなか地区の運動会も出れず申し訳ない。
体育の日は元々10月10日だった。
なぜ?
1964年に『東京オリンピック』が開催され、開会式が10月10日だった。
それがなぜか2000年からハッピーマンデーになってしまった。
10月10日でなければ体育の日の意味がないのではなかろうか?
なぜ?休日の意味はいろいろあるが、
なぜその日なのかという疑問を感じたら、必ず答えがある。
10月10日はアジア初のオリンピック、日本(東京)で行われた日と・・・意味が
ある。
将来、日本の国民の休日の意味がなくなってしまわなければいいんですが。
暦の話のついでではないのですが
10月6日は『仲秋の名月』でしたね。
とある、祇園のBarでマスターと友達と
昨日(10/5)到着したばかりの『シャンパン』を試飲しながら
みんなで月見だんごを食べて「シャンパンも旬やし、だんごも旬やな」
とあほな話をしつつお月見をしていました。(店からは月は見えません)
まぁシャンパンにだんごはさすがになんとも言えませんでしたが・・・
その日の帰り、なんだかゆっくりした気分で
なにげなく雲にかかった月を見ながらゆっくりと帰路につきました。
そして・・・さすが奥様!
帰った瞬間に『月見だんごあるでぇ』と
しっかりその日二度目のだんごをいただきました(^_^;)
ごちそうさま!
ちなみに『仲秋の名月』は必ず『仏滅』なんだそうです。
だから何?といわれそうですが・・・
投稿者 culin : 18:01
私の好きな言葉 ◆ 鶴清 田中信行 ◆
私は昔の人の言葉や、中国の論語などが好きでよく読みます。
そのような言葉を読むと自分に対して戒められたり、
がんばろうという気が起こります。
私の好きな言葉の中で、山本五十六元帥の
「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」
という言葉があります。これは、人を教育するときの言葉です。
私達の料理の世界では、教えてもらうのではなく見て盗めとよく言われます。
私も修行時代は先輩から、「俺がカラスは白といえば白なんじゃ」といわれたり、
自分に見に覚えのない事でも「はい、すいませんって言っておけばいいんじゃ」と
非常に理不尽な事を言われていました。
しかし、このようなことがすべて悪いとは思いません。
回りの人のミスでもそれを自分が少し気をつけるだけでなくなる可能性もあります。
そう考えると自分にもなにか悪い点があったのではないかと考えるようになり、
全く悪いわけではないと思うようになりました。
また、先輩をたてることや、機嫌をとる事も覚え、
人付き合いの大切さやコミュニケーションをとることの大事さが分かりました。
しかし、今どきそんな事を言っていると、誰もついてこない時代だと私は思います。
実際この理不尽さに耐えられなくなり、やめていった人間も何人もいます。
ですから、教える側が愛情を持って、辛抱強く接してあげる事により、
こちらの誠意が伝わればいいと思います。
しかし、こちらのやさしさに甘える人間もいると思います。
そのような人間には愛情を持って叱ってあげるべきだと思います。
今の時代教える人が己を律し、愛情を持って関わり、
その人間の魅力で人はついていくのだと思います。
ですから、上の立場になればなるほど、楽になるのではなく、
苦労をしてでも魅力をつけていかないと誰もついてきてくれないのだと思います。
山本五十六の生前の事を本などで読み知っていくと、
又この言葉の深さがよりわかってきます。
まだまだ書きたいことはたくさんあったのですが、続きは次回に書こうと思います。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 13:20
珍品 「ぽぽの実」 ◆ 東京 日本橋ゆかり 野永 喜三夫 ◆
鎌倉在住の知り合いよりクール便の宅配が届いた。
箱を開けて!箱にビッシリに青いアケビが???
アレ、わきに手紙があり読んでみると!
アケビでは無く、何~~~~「ポポの実」と書いてあった。!?
自分も初めて見るもので、とりあえず食べんとアカンと思い
いざ包丁でサクッと半分に切ろうとしたら!
カツンあれ切れヘン、アチャ~~包丁かけたんちゃう?
再度包丁目を入れ直し割ってみると大きな種がずらり!
ウン、何ともいえない甘い南国系の香りが漂ってきた。
思わず一口パクリ、、、口いっぱいに南国トロピカルな香りと熟れた柿のような食感、
濃い濃い濃厚な味わいで何ともおいしい果物で!勉強になりました。
因みに原産地は,北アメリカ東部から南部だそうです。
名前は「ポポー」明治時代にアメリカから日本に入り日本風土に適応し、
東地方以西であれば戸外で栽培可能との事で、
各地で栽培されましたがタネが大きく食べにくいので普及しなかったと?
花の時期は5月上旬で、葉の脇に短い柄のある花を咲かせるようです。
実は長さ8~15cmの長楕円形アケビの果実によく形が似ていますが裂開はしません。
追熟すると黄色になり、果肉はねっとりとした
濃厚な甘さと独特南国の香りがします。
種子が多いので、切り分けるのに邪魔になるが
縦に割ってスプーンですくって食べると良いみたいです。
何とも神秘的な味で、とても美味いので
もっと食べられてもいい果物のようですが!?。
皆さんは食べたことありますか?
手紙には、野生のリスや小鳥が熟れた
ぽぽの実を楽しみにしているので、
ほんの少しですがお裾分けですと。
PS.よ~~~く見てください昆虫フィギュアです。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 19:22
これは何? ◆ 右源太・鳥居宏行 ◆
そう、これは宇宙からやって来たスティッチ…
ではなく可愛いバンビちゃん(小鹿)です。
写真には電柱が写っています。
という事は、ここは道路沿いだという事が
お解かりいただけると思います。
車道を我が物顔で練り歩く鹿をご覧になった事がありますか?
あるわけないですよね?でも居てるんです。
真後ろから見ると、人が歩いているようにも見えます。奈良公園の鹿と違って、
野性の彼らは夜行性ですから、夜な夜な貴船の料亭街をそぞろ歩くのです。
これってやっぱり異常ですよね?
各地で鹿による食害が
問題になっていますが、
うちの店ではせっかく植えた花が
食われてしまうという、
悲しい被害にあっています。
露天風呂から見える裏山では、
コンクリートの梁を隠す為に
草花を植えているのですが、
見事に食われてしまいました。
しょうがないから、
今はフェンスを張って凌いでいます。
可哀想やけど、やっぱり害獣駆除の
許可を取って、個体数を調整するしかないか…
でもやりきれへんのは、通常の狩猟で仕留めた場合と違って害獣駆除で
捕った獲物は、それを食べる事が禁じられているし、殺して山に埋めるしかないって事…
私のゴッドファーザー「C,W,ニコル」師匠は、
荒れ果てた山を自費で買いとって、手を入れて、20年で素晴らしい森を作らはったけど、
皆それを真似て森のバランスを戻していかんと、今よりもっと大変な事になると思うな…
そういえばちょっと前、近くの料亭に鹿が入ってきて、
鏡に激突した後、ガラス戸をぶち破って
逃げていった事があったっけ…(ほんまの話)
そのうち金を持った鹿が、
うちの店に料理を食べに来るかも知れんな…
投稿者 culin : 19:04
茶事 ◆ 京都吉兆 徳岡 邦夫 ◆
茶事について考えてみました。
茶事ということばは、古くは広く茶の湯全般を意味する言葉として
今日では 一般に、茶の湯において食事(懐石)を伴った
正式な客のもてなし方を茶事と いっている様です。
亭主(ホスト)はこの一会の茶事を催すにあたって、
数日前から茶室の内外をととのえ、
茶事の主旨をあらわすべき道具(食器も含め)のとり合わせに心を配り、
懐石料理の献立を吟味し、茶、花、菓子、御香を心配し、
庭の打ち水に至るまで茶事に深く心を配り、
実意をつくし客(ゲスト)をもてなす。
客はまた、亭主のこの心入れの、一つ一つをおろそかならざることを思い、
実意をもって一服の茶を喫す る。
このような主客の心の交流こそが、
そして、精神修行を志す事が、茶事の神髄であると思います。
その事は、利休の門人 山上宗二著「山上宗二記」の中、
井伊大老の「茶湯一 会集」にも、数寄者として高名な
出雲の松平不昧公の「茶礎」の中からも教えを乞う事が出来ます。
日ごろ稽古をされている方は、最終目的は茶事を行うことにあり、
茶の核心は、茶事の中に(具体的には茶事を行う亭主と客の心得の中に・・・)
すべて包合されているといって良いのではないでしょうか。
太郎冠者と次郎冠者は、互いに相手の心をいたわりつつ、
太郎冠者は次郎冠者を思いやり、次郎冠者はまた太郎冠者の心をおしはかり、
互いに一座を建立しようとするその心情こそ、真の茶事の「核心」であると思います。
現代風には、「人と人のコミュニケーションが醸成する為のマニュアル」が
作法とか、マナーなのだと表現したいです。
「作法とかマナー」は、自分自身を綺麗に見せたり
自分自身を引き立てる為の物ではなく、よりスムーズにコミュニケーションを取り、
その環境のバランスをよりよく保つ為に必要な物ではないでしょうか。
その事は、「茶の湯」にまったく興味の無い方の日常生活、
もしくは環境の違う異国の方の生活も含め、
人類が、そして生命体が生きて行く為の「核心」でも有ると感じています。
茶の湯は、 それがゆえに、つまり「生きていく為」に必要だったから
「淘汰されずに 変化してきた」のだとも 考えています。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 12:48
お久しぶり↑↑ ◆ 下口英樹 竹林 ◆
「久しぶりやんかぁ↑↑元気してたかぁ?」と言いたくて
9月13日に、東京、六本木ヒルズへ行ってきました。
去年の日本料理アカデミ-のフェローシップで
一緒に研修した、エリック・ゲランに会いにだぁ♪
エリック・ゲランはFOOD FRNCEの5日間のフェアーで
自分の料理を披露するため来日、
もちろん彼の顔を見る為だけじゃなしに、
彼の料理が、去年の日本料理アカデミーフェローシップ以来
どのような変化があったかなど、この目で見て食べにもね。
食べた料理には、いろんな国や日本に出かけているエリックらしい、
発想と組み合わせの数々の皿が盛り付けられており、
初めて出会う料理なのに、僕にはなぜか
エリックの料理は、懐かしく感じ、楽しく食事ができた。
それは去年、言葉は通じ合わなくとも
エリックと過ごしたフェローシップの10日間が
食材の考え方や調理法、盛り付けの感性が
理解し合えたからなんやろうなぁと思う。
今年もまた、平成18年10月29日(土)~11月6日(月)
こんなにすばらしい時間が遣ってくる。
将来は、もっと沢山の料理人が、
フェローシップに参加できる経験が出来れば好いのになぁと思う。
しかも今回は、シェフだけではなしにサービスマンも一緒に来日、
11月5日(日)の公開ワークショップも楽しみやなぁ。
料理人同士は、何となくでも理解し合えるような気がするけど
サービスマンには、「日本的サービス(おもてなし)」はどう見えるのかな?
など、興味津々ですなぁ。
忙しい日曜日ではあるが、時間を割いて行かなければ
料理人として損した感じがするなぁ。
やっぱ参加すべし!!
話は戻るが、実際エリックに会ったとき、僕が話したフランス語は
「salut」(やぁ!)の一言でした。
「久しぶりやんかぁ↑↑元気にしてたかぁ」とは通訳してもらいました。
(あぁー 俺って語学力ねぇーなぁー )
投稿者 culin : 18:55
浮き粉 ◆ 岡庄 岡 豊雄 ◆
「浮き粉」は小麦粉のでんぷんで、正式には「じん粉」と言います。
和菓子などに使用される事が多いです。
家の店では出し巻きの出汁に浮き粉を混ぜ、
ふわふわ感を出しつなぎにもなるので重要な役割を果たします。
小麦粉でんぷんを精製したものが本浮粉です。
さつまいもでんぷんを精製したものを浮き粉と呼ぶ傾向にあります。
片栗粉(じゃがいものでんぷん)・コーンスターチ(とうもろこしのでんぷん)は、
焼き加減にムラができやすく焼き物にはあまりむいておりません。
片栗粉は水溶した際に粘りがでますので煮付けにむいていますし、
コンスターチは一般的には天婦羅の粉に入っていますね。
浮き粉の特徴は加熱しても固まらない事で、
そこで焼く料理に使うと効果が発揮できます。
そこで出汁巻きをつくってみました。
(また、たこやきに使う事が多いです。3割程度雑ぜると白く仕上がります。)
調理経験の浅いころ、出し巻きは特に苦手料理の一つでした。
昔の苦労した経験が思い出されます。
なぜか年月と共に出来るようになりました。
2本目は鰻巻き玉子に挑戦!!またもや不思議と出来ました。
継続は力なのでしょうか?
せっかく出し巻きを巻いてみたので、今日の昼食に頂きます。楽しみです。
投稿者 culin : 19:03
こだわりの包丁を語る 第三弾 ◆ 下鴨福助 安念尚志 ◆
今回は包丁に関連して砥石の話をしようと思います。
包丁と砥石には相性があるのをご存知でしょうか?
といっても、人造砥石には基本的には相性なんて関係なく、
相性があるのは天然砥石のことです。
人造砥石はもともと包丁に合うように作った石ですからオールマイティです。
でも天然砥石は自然にできた地層から切り出したものですから、
採掘場によって硬さも粒度もまちまちです。
まあ魚でいうと天然ものと養殖ものの違いといったところでしょうか。
誰でもどんな包丁でも受け入れられる人造砥石と違い、
天然砥石には人造砥石では研ぎきれない領域にまで入り込める、
そんな難しさ、でもこれが醍醐味なんですよね。
包丁と砥石といっても、刃を石にあてたらなんだか
油と水くらい相性の悪いものもあるんですよ。
砥石が硬すぎると刃がカサカサすべっていくし、
柔らかすぎると石ばかり減っていって全然研げない。
ちょっとここで専門的な話。
よく仕上げ用砥石とか中砥とか荒砥とかいいますが
この言い方はかなりアバウトです。
砥石は粒度で分けられ粒度を番手で表します。
人造砥石は8番~8000番まであります。
番手が大きいほど砥粒が細かいということになります。
一方、天然砥石は自然のものなので番手の上限も下限も決められません。
ただ天然砥石には一万数千番にもなるような微細な砥石があります。
だから仕上げは天然砥石がいいと言われるのかもしれません。
その仕上げに適した砥石が採掘されていたのが京都の丹波地方です。
天然砥石は年々取れる量が減っていて値段が上がっています。
ところで、そんな相性のいろいろある天然砥石ですが、
相性の悪さを解消できる方法があります。
(絶対に解消できるわけではありませんが。)
「名倉」というものを使います。
砥石が硬いときには名倉を擦り付けて研ぎ汁をだして
それで研ぐというもの。まぁ潤滑油のようなものですね。
以前、とある砥石屋さんで、自分の持っている包丁をあてたら
ぴったり合う砥石に出会いました。
なかなか相性の合う砥石に出会うことがないだけに
「これは!!」と思ったのですが、
確かその当時20万円くらいしていて、結局諦めました。
その後もう一度その砥石を見せてもらいに行ったらもうなくなっていました。
それ以来そんな砥石には出会っていません。
一点物ですから同じものには二度と会うことはない。
あ~、買っておけばよかった・・・。逃がした魚は大きかった・・・・。
※ 写真の石はこま名倉です。
投稿者 culin : 16:13
季節はずれの歳男の話 ◆ 大和学園 田中誠二 ◆
歳男は昔々、武家で新年の諸儀式を行う重要な役割を担い、
門松を立て若水を汲み、歳徳神の神棚を飾り付け、
節分の豆まきをする慣習があったそうである。
生まれ年がその年の干支にあたる男ということだけで、
その年度の縁起のいい人物として、重宝がられたのかも知れない。
かくいう私は酉年で昨年は歳男であったわけだが、
何年経っても徳も福も兼ね備えることができず、
友人や知人の前で浅学さを露呈させている自分が
とても恥ずかしく汗顔の思いである。
さて、今年から日本の人口は減り始めるのだという。
国立社会保証・人口問題研究所の調査によると、
2050年には我が国の人口は1億人前後となり、
2100年には4,645万人~8,176万人にまで減少するそうである。
もしも下限で推移するようだと100年後、
日本の人口は今日の半分以下にまで減ってしまうのである。
その要因が少子化にあることは言うまでもないが、
人口の減少はイコール労働人口、消費人口の減少を意味し、
このままだと我が国の国力が急速に衰えることになりかねない。
1994年、当時の文部、厚生、労働、建設の4省は、
「エンゼルプラン」と言われる子育て支援策を策定し、
少子化対策にあたったが、2003年の出生率は1.29と過去最低となり、
新生児の人口減少は一向に歯止めがかからない。
一方で働くことや学ぶことを放棄し、労働市場に参入してこないフリーターよりも深刻な
ニート(NEET: Not in Employment, Education, or Training)と呼ばれる若者が
87万人もいるそうである。
少子化の問題に加えて、日本経済の潜在成長率の下押し要因となる
若年雇用の問題も気になるところであるが、
日ごろ若い人たちや地域の方々に対して、
職業教育と生涯教育の多様な学習機会を提供する業にある私は、
改めて職業奉仕の重要性を認識するとともに、
日本料理アカデミーの先輩諸氏のご教示とご指導を得て、
微力であるが日々感謝の気持ちを忘れず、
自分の使命と責任を果たせるよう、これからも邁進したい。
投稿者 culin : 16:08