2006年09月30日

月を見る                          杢兵衛 寺田慎太郎

とくさかる そのはら山の 木の間より みがきいでぬる 秋の夜の月

御所人形師 5世 島田耕園さんによると、
木賊(とくさ)は蒸して乾かしてから人形の研磨に使うそうです。
この和歌からすると木賊の用法は随分昔から知られていたのでしょう。
ちなみに「木賊」は「砥草」とも書くそうです。
この和歌を詠んだ源仲正は、磨き上げられたように美しく輝く月に感銘を受け
このように詠んだのでしょう。

私事ですが、毎日自宅から仕事場までバイクで通勤しておりますが、
帰りによく月を見ながら帰って来ます。

当然の事ながら月の景色は毎日違うのですが、
何ていうか、「いつもの月」、「見慣れた月」てな感じでさほど気に留めてません。
鉄橋の上に輝く月、また京都タワーの横で輝く月、
実に日常的で特別私の心を揺さぶりません。
見る側の意識にも原因はあると思いますが。

一度、そのはら山に登って源仲正と同じ視点で月を眺めたいな、
なんて思います(当然の事ながら上のような和歌は詠めませんが)。

静岡県立美術館所蔵の絵で円山応挙作の「木賊兎の図」というのがあります。
実を言うとこの絵を私は図録でしか見ていないのでえらそうな事は言えませんが、
応挙はこの和歌を意識して描いているのではないかと勝手に思っています。
勿論図録にもそのような説明は一切ありません。

それにこの絵には肝心の月が描かれていません
非常に緻密に描写された木賊の前に、
これまた毛一本一本非常に丁寧に描かれた3羽の兎が
肩を寄せ合いたむろっているのみです
(バックにうっすらと彩色が施されているのかもしれませんが)
やや左後方に描かれた兎の視線だけが空を見上げています。
それはまさしく美しく輝く月を眺めているのでしょう(確証はありませんが)。

月光に照らされた兎達は薄暗い中でうっすらと浮かび上がり、
神秘的な様相を呈しています。
和歌を詠んで頭に浮かんだ風景を月を描かずに表現したのでしょう。

応挙という人物の非常に豊かな感性と熟練の技を
この一枚の絵から垣間見ることが出来ます。

自分の店の床の間に掛けてみたいと思うのですが、
残念なのは図録に表具が載っておらず
全体像としての絵が分からないことです。
余談ですが。
 
徒然草兼好法師は「月は隈なきをのみ見るものかは」と言っています。
そして「雨に対ひて月を恋ひ」に「あはれに情深し」と言い、
また「月の夜はねやのうちながらも思へるこそ」に
いとたのもしうをかしけれ」と言っています。

月は見えずとも心の内に月を見出しなさい、
それが出来なければ教養人とは言えませんよ

何て感じで説教されてる気がします。

確かにどこで見ようが、月は月。
それを京都タワーの横に見える月は駄目、
なんて言ってるようじゃ、場所がその原山であろうが、
小倉山であろうが、峨眉山であろうが、
月並み程度の感動しか味わえないのかも知れませんね。
修行が足りないようです

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投稿者 culin : 2006年09月30日 17:38