お彼岸で想うこと ◆ 萬重 田村 圭吾 ◆
一ヶ月前はいつになったら秋が来るのかと言うくらい暑かったのですが、
すっかり虫の声がうるさいくらい秋らしくなりましたね。
ただ季節の変り目のため、風邪をひいて少々苦しんでおります。
さて昨日は秋分の日で祭日でしたね。
法律でも「先祖を敬い、亡き人をしのぶ日」とあります。
秋分の日は「お彼岸」です。
僕も小さい頃からおじいさんやおばあさんよくお墓参りにつれていってもらいました。
わけのわからんお経や墓石にお花やお菓子をお供えし、
お墓の石に水を掛ける時に「石にコンしたら罰あたるえ!」といわれ、
そうろと水を掛けたことや「お墓で暴れて、お墓でこけたら親の死に目にあえへんで!」とか
よく言われたことを最近とくに思い出します。
私はどの宗教に限らず「先祖を敬い、亡き人をしのぶ」と言うのは
世界共通の人々の考えではないかと思います。
国は違えども故人を偲ぶ日を設けることで
「人の生」について考えることを習慣的に持つことは
非常に大切なことだと思います。
近頃「面倒臭い」からいろいろな習慣的なことをはぶいたり、
「子供が騒がしいから」といって儀礼的な場所に
子供を連れて行かないということを良く聴きます。
私事ですが昨年の1月に幼馴染の親友を事故でなくしました。
彼とは家族ぐるみのお付き合いで小中高校と12年間の間に
8回クラスメイトになり、部活動も共に汗を流した間柄でした。
若くしてご主人を亡くした奥様の気丈な姿や
まだ何も解らない生後4ヶ月の娘さんの愛らしい姿に皆、
涙が止まらない思いでした。
人は自分の身の廻りに何か起こって始めて気づかされることが多く有ります。
連日に流れてくる事件や事故を他人ごとで見ていたり、
いろいろな機会を自ら拒否しているから、
「人の気持ち」をわからなくしているように思います。
また彼の弟さんにもお子さんがおられます。
最初、退屈で騒いでいた子供たちも廻りの知り合いの人が
涙を流している姿や帰らない人になられた
自分のおじさんの姿を見ていつしか神妙になり、
一緒になって涙をながしていました。
そして1年後の一周忌の法事でお寺に訪れた時でも、
廻りの雰囲気を子供なりに察知してその退屈なはずの時間をじっと我慢していました。
このとき「子供のころから習慣的にいろいろなことを学んで
自分なりに判断する機会を通して成長していくんだな。」と思いました。
おりしも成人式に20歳の若者が式の最中に大騒ぎしたことが
ニュ―スで報道されていた直後でした。
彼らは罪悪感もなく「俺目立ってた!!」とカメラに向かってアピールしていました。
彼らには多分、先ほど申した機会が与えてもらえなかったのかな?と思いました。
これも社会の責任かもしれません。
最近、世の中で凶悪犯罪や飲酒運転でひき逃げをしたにも関わらず
飲酒運転がばれるのをおそれそのまま逃走するなど、
常識では考えられないことが多すぎます。
自分さえよければ他人の迷惑や犠牲など気にならないという風潮が
広がりつつあるように思います。
「今の子は常識的なことができない。」と良く言われます。
私の若い時の良くそんなことを言われていましたが、
多くの方々からいろいろな機会やご指導頂いたおかげで
私の今日があると思います。
子供は生まれてきた時は真っ白です。
それを何色に染めるか親はもちろんのこと社会の意識が重要です。
ひとりひとりが良き習慣を大切にし、
自分の身になって人のことを考えることのできる
世の中に戻していきたいものですね。
投稿者 culin : 2006年09月24日 13:26