月を見る ◆ 杢兵衛 寺田慎太郎 ◆
「とくさかる そのはら山の 木の間より みがきいでぬる 秋の夜の月」
御所人形師 5世 島田耕園さんによると、
木賊(とくさ)は蒸して乾かしてから人形の研磨に使うそうです。
この和歌からすると木賊の用法は随分昔から知られていたのでしょう。
ちなみに「木賊」は「砥草」とも書くそうです。
この和歌を詠んだ源仲正は、磨き上げられたように美しく輝く月に感銘を受け
このように詠んだのでしょう。
私事ですが、毎日自宅から仕事場までバイクで通勤しておりますが、
帰りによく月を見ながら帰って来ます。
当然の事ながら月の景色は毎日違うのですが、
何ていうか、「いつもの月」、「見慣れた月」てな感じでさほど気に留めてません。
鉄橋の上に輝く月、また京都タワーの横で輝く月、
実に日常的で特別私の心を揺さぶりません。
見る側の意識にも原因はあると思いますが。
一度、そのはら山に登って源仲正と同じ視点で月を眺めたいな、
なんて思います(当然の事ながら上のような和歌は詠めませんが)。
静岡県立美術館所蔵の絵で円山応挙作の「木賊兎の図」というのがあります。
実を言うとこの絵を私は図録でしか見ていないのでえらそうな事は言えませんが、
応挙はこの和歌を意識して描いているのではないかと勝手に思っています。
勿論図録にもそのような説明は一切ありません。
それにこの絵には肝心の月が描かれていません。
非常に緻密に描写された木賊の前に、
これまた毛一本一本非常に丁寧に描かれた3羽の兎が
肩を寄せ合いたむろっているのみです
(バックにうっすらと彩色が施されているのかもしれませんが)
やや左後方に描かれた兎の視線だけが空を見上げています。
それはまさしく美しく輝く月を眺めているのでしょう(確証はありませんが)。
月光に照らされた兎達は薄暗い中でうっすらと浮かび上がり、
神秘的な様相を呈しています。
和歌を詠んで頭に浮かんだ風景を月を描かずに表現したのでしょう。
応挙という人物の非常に豊かな感性と熟練の技を
この一枚の絵から垣間見ることが出来ます。
自分の店の床の間に掛けてみたいと思うのですが、
残念なのは図録に表具が載っておらず
全体像としての絵が分からないことです。
余談ですが。
徒然草で兼好法師は「月は隈なきをのみ見るものかは」と言っています。
そして「雨に対ひて月を恋ひ」に「あはれに情深し」と言い、
また「月の夜はねやのうちながらも思へるこそ」に
「いとたのもしうをかしけれ」と言っています。
月は見えずとも心の内に月を見出しなさい、
それが出来なければ教養人とは言えませんよ。
何て感じで説教されてる気がします。
確かにどこで見ようが、月は月。
それを京都タワーの横に見える月は駄目、
なんて言ってるようじゃ、場所がその原山であろうが、
小倉山であろうが、峨眉山であろうが、
月並み程度の感動しか味わえないのかも知れませんね。
修行が足りないようです。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 17:38
散歩のすすめ ◆ 監事 西田隆夫 ◆
私の好きな時間のすごし方に“散歩”があります。
特に晴れた日の夕暮れ時の散歩は私のとっていろんな効用があります。
①適度な運動になること
②頭の中がクリアーになること
③周りの景色が夕日に照らされて光の変化を楽しめること
④手ぶらで歩くことで身も心も開放感を味わえること
⑤夕食をおいしく頂くことができること
休日で特に外出しない日でも夕食前の1時間ぐらいは
出来るだけ自宅の周辺を散歩するようにしています。
だいたい10通りぐらいの基本コースがありますが、
基本的には気の赴くままに歩いています。
また、外出したときも夕食前の時間はできるだけ周辺を散策し、
その終着点としてお店で食事を頂くように心がけています。
先週9月23日(祝日)も楽しみにしていた
京都国立近代美術館で開催している
「プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」を鑑賞した後、
夕方の時間帯に岡崎周辺を1時間ほど散策しました。
今回の展覧会の中では伊藤若冲の幻想的は絵の魅力もさることながら、
長沢芦雪の豪快な絵にも魅了されました。
なお、散歩は手ぶらでないと効用が半減するので、カバンはいつもリュックです。
そして途中で見つけたお店で夕食を頂きました。
特に芸術作品をたくさん鑑賞した後の夕方の散歩は
眼の疲れを癒すとともに、鑑賞した作品が
フラッシュバックのように思い出されなかなか楽しいものです。
また、心地よい疲労感のある中、鑑賞した絵画で話しが盛り上がり、食も進みます。
料理人の方はお客様においしい料理を作るべく努力をされるように、
我々食事を頂く側も、その料理をおいしく頂くための心得があって良いのではと思います。
私にとって散歩はそのための重要な要素になっています。
これから芸術の秋、紅葉の時期も近づき、ますます散歩が楽しめそうです。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 18:18
ディンタンシャンタンパイタンマオタンスータンナイタン ◆ 髙橋拓児 ◆
「チャンタションパイタンヤオモウパイスーピンナイタ」
中国料理の「湯」つまりスープについて調べていると、
いつの間にか麻雀用語になっていました。
今の私にとって上海は、こんなイメージなのです。
実は私、9月の中旬に上海に行っておりました。
旅の2日目に上海から郊外の「朱家角」という水郷の町に行きました。
そこは、「小橋と流水の天然風景、正真正銘の明清時代の町」と形容されており、
敷地面積は47平方キロ、9つの長い町並みが河沿いに伸びて
千棟以上の明、清時代の建物があります。
実際に船に乗って川から水路に入っていくと、
そこの光景はまさに、京都の高瀬川と岡山の倉敷川を足して2で割って
胡麻油の香りを添えた感じで、「おおっと~素晴らしい!」と思わず叫んでしまいました。
その瞬間のバックミュージックが極め付けで、
麻雀のジャラジャラ音、更に素晴らしいの一言でした。
水路沿いに住んでいる女の人は水路の水で洗濯しているし、
犬は放し飼い、ある人は床机で将棋・・・
そして手漕ぎ船は古い石橋を幾つもくぐりながら進んで行きました。
さて、麻雀というキーワードを引き出す為の長い前置きを終え、
本題に入り、タイトルにある、何処で切れるか分からないタン=「湯」についてお話します。
上海にいる間に、ラーメンから高級料理まで流行の店を何軒か回りましたが、
何かスープの動物性の旨味が弱く、物足りないものを感じていました。
散策中、マクドを見つけました。
ファーストフードとはいえ、国によって内容が違うので、
確かめに入ってみると写真のようなアップルパイらしき「マメパイ」が売っていました。
「絶対食べへんし~」と思いつつ、閃きました。
そう言えば、上海は海鮮料理が有名ですが、
同時に米や豆類の穀物地帯でもあるのです。
ですから、上海では素湯(スータン)、つまり淡い味わいの精進だしが
ベースになることが良くあることなのです。
その「湯」をベースに新鮮な魚介類の味を加えるという手法が多く見受けられました。
あっさりした風味、そこが香港との大きな違いのような気がしました。
やっぱり同じ中国でも、広東と上海も気候、風土、文化によって
それぞれ違うのだなと思うと、未踏の四川・北京には行く必要があるなと思いました。
投稿者 culin : 19:18
煙草 ◆ 銀水 山岸裕明 ◆
喫煙者にとって住みにくい世の中になった。
ハンフリー・ボガードのペルメルの両切りや、アラン・ドロンやジャン・ギャバンの
ゴロワーズやジタン、片岡千恵蔵のハイライト。
その国を代表する大スターが、映画の中で各々の国を代表する煙草を吸っていた。
ところが今や「フィフスエレメント」のブルース・ウィリスの煙草に象徴される扱い。
ダンヒルを愛玩するイギリス紳士や、コイーバをくわえるモブスターは何処に消えたのか。
健康増進法の施行により「受動喫煙の防止」が大切になり、禁煙の公共機関も増えている。
お医者さんで貰うニコチンパッチは保険まできく。(チャンスは三回)
また喫煙者は採用しない企業まである。
来年、ニューヨークへ。
世界一、喫煙者に厳しい街のひとつへ行く。
目の前に禁煙補助具と煙草がある。
んー、どちらにしよう・・・・。
投稿者 culin : 16:26
チュルボ ◆ 相伝京の味 なかむら 中村元計 ◆
今日は昨年の春、日本料理アカデミーがフランスで行なった
ワークショップで使った「チュルボ」という魚について少し話してみたいと思います。
この時のワークショップは「チュルボ」という魚をテーマに
日仏の料理人が自国の料理技法を駆使して、
一品を作り上げ、互いの国の料理を認め合いつつ、
それに対していろいろ質問、疑問をぶつけ合うことにより日仏の文化、
料理、感覚の違いを認識し、双方の参加者が相互作用して、
それぞれが新しい「気づき」や創造を得ることを目的としていました。
ところが、この「チュルボ」と言う魚が曲者でした。
相手が「チュルボ」というよく知らない魚というだけでなく、
我々日本料理で使う魚は鮮度のよいものを選びますが、
フランスでは活け魚を使う習慣がありません。
活け締めという手法もない為、
魚の状態は日本料理で言うとあまりよくない状態です。
単に作っておいしいものと言うだけなら、
アイデアや思い付きでいくつも出来ますが、
作った料理が「チュルボ」でなければいけないという
必然性を持たせた料理でないと、上記の目的は達成できません。
かなり厄介でしたが逆に料理人として非常にやりがいのあるテーマでした。
チュルボは、ヒラメ・カレイの類ではもっともフランスでは珍重される高級魚です。
見た目はひらめですが、背の表面に突起があります。
肉質はアンコウ、ふぐ、エイ、オコゼ等に近く、かなり弾力性があります。
骨と皮もアンコウに近いのではないでしょうか。
味は美味といわれておりますが、あまり味を感じませんでした。
しかしながら淡白なのかというと魚固有のクセは充分にあります。
このクセは強烈なものではありませんが、
あまり慣れたものではなく、何となくいやな匂いがします。
最初は日本料理の技法をそのまま使って料理をしましたが、
納得のいくおいしいものは殆ど出来ませんでした。
日本料理で一般的な焼物や蒸し物のように直線的に火を通すと、
必要以上に堅くなったり身質がボソボソになってしまいます。
また焼きたて、蒸したての身を口に入れ食べると、口の中にいやなクセが漂います。
このクセが好きな人には美味しさの中の一つと言うことになりますが、
そうでない人はいやな味、においと言うことになります。
そういう点でチュルボのクセというのは、
われわれ日本人には馴染みがないため、
いやな香りとして感じるのかもしれません。
生は天然の場合はそんなにクセも感じず、
身は時間が経って締まっていても
歯ごたえはそこそこよいので割と使いやすいです。
ただ、養殖は余分な油分が多く、
生では食べにくいですが流水で洗いにすると
余分な油分も抜けてそこそこ食べられます。
チュルボの料理をする時は熱をくわえる調理の場合、
火を通しすぎてクセを出したり、身が堅く締まってボソボソにならないように
留意する必要があり、またはクセをだしてもクセを感じさせないような
料理にすることがアプローチ方法であると認識しました。
投稿者 culin : 12:51
新入社員 ◆ 魚三楼 荒木稔雄 ◆
明日、新入社員が一人、入社します。
中途採用で、また、中途半端な時期の新入社員です。
しかしながら、彼は先日、一本の電話より採用にいたりました。
いまのところ、私どもでは料理人の採用は控えております。
電話の内容では取り合えず面接してくださいとのこと、
まあ、会ってみるだけにと思い面接にいたりました。
面接の中で彼は「今うどん屋で働いている」しかしながら、
このままでは将来何にも見えてこない。
又、自分の将来を考えるとしっかり、
修行して手に技術をつけたいとしっかりアピールして帰りました。
そのようなことで中途採用にいたったのですが、
私自身、丁稚奉公(下積み時代)のころを思い出しておりました。
約20年以上前です、当時の職人さんはすごく堅物で怖いイメージがあり、
特に京料理の料理人は本当の意味で仕事にはすごく厳しい時代でした。
上下関係も厳しく、1日でも早くこの世界に入ったら先輩です。
敬語でしゃべらなければいけないような世界でした。
そう言う世界に学校を出てすぐ、よそ様の店へ入り
よく持ったものだと今になれば思い起こしております。
最初、厨房に入った当初はほとんど洗い物ばかり、
いつの間にか私の後ろには山のようにバットや鍋があったことを覚えております。
先輩から、「いつまで洗い物してんねん、こっちの仕事も山ほどあるぞ、
早く終わらせろ。」とよく怒鳴られたものです。
そんななか、朝から深夜まで一日中、
料理のことばかりの中ですごしているうちにいつの間にかセンスが、
そして本当の意味での技術が生まれてきたように思われます。
料理のプロとして、皆様に美味しい料理を提供できるためにはやはり
料理漬けのなかで本当のセンスと技術を磨き続けることだと言う事を
再認識させてくれたように思えます。
彼は明日より、料理人として出発するわけですが、
いつまでも修行の終わらない、すばらしい職人さんになってくれればいいなあと思います。
また、若い世代の人たちが料理人になって
日本の食文化を将来も伝え続けていただきたいと思っています。
投稿者 culin : 16:46
お彼岸で想うこと ◆ 萬重 田村 圭吾 ◆
一ヶ月前はいつになったら秋が来るのかと言うくらい暑かったのですが、
すっかり虫の声がうるさいくらい秋らしくなりましたね。
ただ季節の変り目のため、風邪をひいて少々苦しんでおります。
さて昨日は秋分の日で祭日でしたね。
法律でも「先祖を敬い、亡き人をしのぶ日」とあります。
秋分の日は「お彼岸」です。
僕も小さい頃からおじいさんやおばあさんよくお墓参りにつれていってもらいました。
わけのわからんお経や墓石にお花やお菓子をお供えし、
お墓の石に水を掛ける時に「石にコンしたら罰あたるえ!」といわれ、
そうろと水を掛けたことや「お墓で暴れて、お墓でこけたら親の死に目にあえへんで!」とか
よく言われたことを最近とくに思い出します。
私はどの宗教に限らず「先祖を敬い、亡き人をしのぶ」と言うのは
世界共通の人々の考えではないかと思います。
国は違えども故人を偲ぶ日を設けることで
「人の生」について考えることを習慣的に持つことは
非常に大切なことだと思います。
近頃「面倒臭い」からいろいろな習慣的なことをはぶいたり、
「子供が騒がしいから」といって儀礼的な場所に
子供を連れて行かないということを良く聴きます。
私事ですが昨年の1月に幼馴染の親友を事故でなくしました。
彼とは家族ぐるみのお付き合いで小中高校と12年間の間に
8回クラスメイトになり、部活動も共に汗を流した間柄でした。
若くしてご主人を亡くした奥様の気丈な姿や
まだ何も解らない生後4ヶ月の娘さんの愛らしい姿に皆、
涙が止まらない思いでした。
人は自分の身の廻りに何か起こって始めて気づかされることが多く有ります。
連日に流れてくる事件や事故を他人ごとで見ていたり、
いろいろな機会を自ら拒否しているから、
「人の気持ち」をわからなくしているように思います。
また彼の弟さんにもお子さんがおられます。
最初、退屈で騒いでいた子供たちも廻りの知り合いの人が
涙を流している姿や帰らない人になられた
自分のおじさんの姿を見ていつしか神妙になり、
一緒になって涙をながしていました。
そして1年後の一周忌の法事でお寺に訪れた時でも、
廻りの雰囲気を子供なりに察知してその退屈なはずの時間をじっと我慢していました。
このとき「子供のころから習慣的にいろいろなことを学んで
自分なりに判断する機会を通して成長していくんだな。」と思いました。
おりしも成人式に20歳の若者が式の最中に大騒ぎしたことが
ニュ―スで報道されていた直後でした。
彼らは罪悪感もなく「俺目立ってた!!」とカメラに向かってアピールしていました。
彼らには多分、先ほど申した機会が与えてもらえなかったのかな?と思いました。
これも社会の責任かもしれません。
最近、世の中で凶悪犯罪や飲酒運転でひき逃げをしたにも関わらず
飲酒運転がばれるのをおそれそのまま逃走するなど、
常識では考えられないことが多すぎます。
自分さえよければ他人の迷惑や犠牲など気にならないという風潮が
広がりつつあるように思います。
「今の子は常識的なことができない。」と良く言われます。
私の若い時の良くそんなことを言われていましたが、
多くの方々からいろいろな機会やご指導頂いたおかげで
私の今日があると思います。
子供は生まれてきた時は真っ白です。
それを何色に染めるか親はもちろんのこと社会の意識が重要です。
ひとりひとりが良き習慣を大切にし、
自分の身になって人のことを考えることのできる
世の中に戻していきたいものですね。
投稿者 culin : 13:26
間のとらえ方 ◆ 嵐山熊彦 栗栖基 ◆
今年も9月22,23,24の日程でここ京都嵐山の地において音楽祭が開かれます。
と申しましても、今年で第5回を迎えるまだまだ歴史的には浅いイベントであり、
これからも認知向上にむけて実行委員一同、文化性、社会性を重視し
今ある自然財産を大切にし、自然と融合したイベントつまり、
自然の力と音楽の力が共鳴し人の“五感”に訴え“癒し”をもたらすような、
嵐山文化事業の核になるよう努力していきたいと思います。
そして、将来的にこのイベントを継続することにより、
京都・嵐山からのメッセージとして芸術性の高い文化事業を
国内外に発信できるように考えております。
それと同時に地域の活性化、この地を来訪される方々に、
個々の事業主、地域住民が京都らしい“おもてなし”ができるよう
地域が正常な発展を遂げることを願っております。
ここで私見になりますが、少し音楽というものについて
私の思いを述べさせていただければ幸いに存じます。
なんの自慢にもなりませんが、
ご縁をいただいて観世流謡曲のお稽古をさせていただいております。
私が述べるまでもなく“能”は今から600年以上も前に、
観阿弥・世阿弥親子により大和猿楽等々をもとに形成された
我が国最古の古典歌舞劇であり、
謡曲は現存する古典音楽において独自の発展を遂げてきました。
能の囃子で用いられる楽器は、
管楽器の笛(能管)と打楽器の小鼓・大鼓(大革)・太鼓からなり
4種類のうち打楽器が3種で能の音楽が拍子を中心に構成されていることがわかります。
特に和楽器の奏でる音符の長・短は洋楽器のそれと比べると短く、
音と音の“間”を非常に有効的に使っていることが解ります。
弦楽器を例にとってみても洋楽器は音を奏でるのに
弓を使う場合が多いのに対し、和楽器は撥を使います。
この事例からも古典音楽における洋楽・邦楽の音符の長さの違い
“間”のとらえ方の違いに日本独自の古典芸能の世界があると考えられます。
そこで我々、日本人が日常よく使う“間”という言葉に着眼してみると
(間が抜ける・間が悪い・間合いをつめる・間を外す・床の間)等々であり、
広辞苑を開いてみると(物と物、または事と事のあいだ。あい。
間隔。・長さの単位・歌舞音曲で所期のリズムを生むための休拍)などと出ており、
なかなか広がりがあって、複雑微妙、かつ深刻な言葉であります。
たとえば、能で息づまる音の空白があって、
耐え切れなくなったところでパーンと鼓が鳴る。
この息づまる空白も、まさしく“間”であり、
つまり物と物のあいだを空間として、
事と事のあいだを音楽に置き換えてみると時間と時間の切れ目と解釈できます。
ただし、空間的隙間と時間の切れ目は明らかに意味が違うわけで、
我々、日本人は無意識にこの言葉を使い分けていますが、
近代合理主義のなかで生きてきた外国の方には
なかなか理解しがたい日本文化の特質かもしれません。
この日本文化の特質の1つである“間”を料理に適用してみると
(茶懐石における膳出しのタイミング・調理における野菜の下茹で・
焼物の焼き加減・揚げ物における加熱時間)など
熟練した経験を要するものばかりで、
そのあいだにおける緊張感がなければ
すべてを台無しにする事もあります。
料理だけでなく絵画・日本建築・武道・歌舞音曲など
すべての日本文化に精通するものであり、
もう少し突きつめて考えれば“なにも無い”ように見える
空間・時間・精神を大切にし、
充実した“無”を作ることにより、
次にくる“有”が生かされるのでしょう。
このような考え方は、古来より日本人が崇拝してきた
自然信仰や和敬静寂の精神から生まれてきたもので、
それが日本独特の伝統的な芸術感性を育んできたと考えられます。
このテーマに関しては、まだまだ、お話したいことがありますが、
とりあえず、ここで一段落とさせていただき、
次回は世阿弥の“せぬ暇”についてもう少しお話できればと考えております。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 15:19
萩の花 ◆ 料亭旅館 清和荘 竹中 徹男 ◆
当館の庭はあまり花がありません。
3月の梅、5月の菖蒲、そして10月の萩です。
後は松が多いので花の時期はやはり晴れやかになります。
昔の人はそんな風情を今よりもっと楽しんでいたのでしょうね!
それにしても秋の夜長とは良く言った物で、夕暮れに縁側に
寝そべって物思いにふけると、本当にいろんな事が考えられます。
普段見えなかった物、考えもしなかった事が何となく目に浮かんでくるから
不思議です。
毎日がめまぐるしく変化する現代に於いて、こんな時間はとても貴重で
心して作るようにしています。「急がばまわれ」「ポコヨポコ」皆さんも
一度立ち止まって何もかもを時と共に止めてみては如何でしょう?
きっと普段と違った物が見えてくると思いますよ。
投稿者 culin : 19:10
山伏 ◆ 美山荘 中東 久人 ◆
こんにちわ。 美山荘 中東です。
先日、美山荘の横にある峰定寺(ぶじょうじ)で会式がありました。
この日は、年一度の千手観音菩薩(重文)が拝見できる日なのです。
また 主に近畿県内の山伏たちが約100人程集まります。
430階段ほど登った山の中腹に位置する本堂でお経をあげる姿は、
人が自然に対し何か教えを求めているかのようでした…。
それに対し、自然はだまって我々の行動を何か言いたげにただ見守っていました。
その後、山伏たちは下山し、問答し、“ゴマ焚き”をして厄払いをします。
火を付けられた桧の葉は濃い煙を天高く巻きあげ、
それはまさに“世 の厄”が濃い煙となって天に浄化されているかのようでした。
その様子を写真で見て頂きたかったのですが、
公表を嫌う神秘性のある寺なので、
皆さま頭の中でイメージしてくださいね。
ちなみに、私は山伏ではありませんので…
投稿者 culin : 16:28
旧暦に関すること ◆ 美濃吉 佐竹洋治 ◆
茶道歳時記(佐々木三味著、淡交社刊)を開けるとまず
最初に出てくるのが各月の「茶趣」であり、
その月のいわゆる文化的な事柄が記されている。
ちなみに今月の茶趣には、9日の重陽の節句、
仲秋の名月に関することが中心となって記載されているが、
これらの文面をよくよく読んでみると、ほとんど、「旧暦」というものが最初にくる。
仲秋の名月の場合、「旧暦8月15日」といった具合に、、、、。
この「旧暦」は明治5年(1872年)12月2日まで使用されており、
明治6年よりいわゆる太陽暦(現在の暦)に改暦された。
この急な実施は明治維新後、明治政府が月給制度にした官吏の給与を
旧暦のままでは明治6年は閏6月があり、年13回支払うのを防ぐためであったといわれる。
つまり、今年の旧暦8月15日は今の暦でいくと
10月6日になり、大体約1ヶ月後となってくる。
ちなみに来年の旧暦8月15日は9月25日となり、
その年によって変化してくる。
これらの関係で重陽の節句の9月9日はまだ、
菊が咲いていないにも関わらず、各地で重陽の行事が行われたり、
また、3月の桃の節句の際にもまだ、実感がわかぬうちに3月3日に実施されるゆえんである。
この「旧暦」に関することは我々、料理屋にとっては大きく関わってくることであり、
今月の献立名を例えば「仲秋の名月に寄せて」とした場合、
ある人から「今年の仲秋の名月は10月6日やで。」とつっこまれたりして、
困惑するわけである。
また、雛飾りを行う際でも3月3日を過ぎてもまだ、
飾っている場合は「もう、雛の節句は終わったで。いつまで飾ってんのや。」という人もいれば、
「京都の場合は3月いっぱい飾ってもいいんや。」という方もいる。
私の茶道の先生にこれらのことを質問すると、
「亭主側の趣向であるから、自由にしたらよろしい。」との一言で終わってしまいました。???
本当にこの「旧暦」という2文字で終わってしまうことですが、
奥が深く難しいものですね。皆さんもそう思いませんか?
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 19:19
おもてなし ◆ 山ばな平八茶屋 園部晋吾 ◆
「おもてなし」と言っても、なかなか一言で言い表すのは難しく、
近くの小学校から、3年生に「おもてなし」について教えて欲しいと依頼があったのですが、
どうしたら、簡単に理解してもらえるのかなと考えた末、こんなことをしてみました。
やはり、学校の教室で話すより、店に来てもらったほうがいいと思い
授業時間に店に来てもらうことにしました。
広間の2階に席を作ろうと電気をつけ、冷房を入れ、座布団を並べ、
雪見障子を開け、子どもたちが来るのを待っていました。
そうこうしている内に先生に連れられ、
わいわい話しながら子どもたちが店にやってきました。
私が出迎えて広間の1階に案内しました。
そこは、これから掃除をすべくテーブルが重ねられ、
座布団は山積み、もちろん、電気や冷房はついていません。
雪見障子も閉まったままの薄暗い部屋に子どもたちを案内し、座ってもらいました。
さ、話し出そうとしたときに、「あ、間違えた。」と言って、
もう一度、子どもたちに立ってもらって、2階の広間に案内しました。
涼しく明るいその部屋で、きれいに並べた座布団に座ってもらい、少しずつ話を始めました。
「おもてなしってどんなことですか?」という私の質問に、
「家にきた人にお茶を出す。」「ご飯を作る。」とか、
何人かの子どもは答えてくれましたが、
あとは首をかしげ、言葉とイメージはわかっているけど
うまく説明できないといった感じでした。
「じゃあ、暑い日に、自分は涼しい冷房の部屋にいました。
お客さんが来るということで準備をしようと思うのですが、
少し冷房にあたり過ぎて寒かったので冷房を切り、
お客さんが来た時に、体も冷えていたので熱いお茶を飲みたくて、
熱いお茶を出したら、これはおもてなしですか?」と。
みんな、首を横に振り、「違う」と答えました。
「そう、これは、おもてなしではないですね。」
自分の都合だけで自分のしたいことをすることは、おもてなしではありません。
来る人のことを考えて、「暑いだろうし、冷房を入れておこう」
「喉が乾いているだろうし、冷たいお茶を用意しよう」というのが、「おもてなし」です。
これをしなければならないという決まりは何もないですが、
相手のことをよく考えて、自分ができる最大限の事をすること。それが「おもてなし」です。
「最初、皆さんを案内した1階の座敷に座ってどう思いましたか?」という質問に、
「嫌な気がした」とはっきり答えてくれました。
「あの座敷は皆さんのことを何も考えずに、
私の都合だけで、そのままのほうが楽だからと何もしなかった座敷です。
2階の座敷は、皆さんのことを考えて準備しました。
おもてなしってどんなことなのか何となくわかりましたか?」
「わかった!」と、みんな一斉に答えてくれました。
帰りに靴を履くとき、仲居さんがきれいに揃えておいてくれた靴を見て、
少しでも何かを感じてくれたらなという思いで
その子どもたちを見つめ、見送りました。
私の姿が見えなくなる少し前、もう一度お辞儀をして曲がっていく
何人かの子どもたちの姿に、何だか暖かいものを感じました。
投稿者 culin : 15:07
我が家の留学生の舌 ◆ 嵐山辨慶 若主人 礒橋輝彦 ◆
今日は現在我が家に居候の留学生のお話をしたいと思います。
アメリカのオレゴンから世界ロータリーの交換留学で一年間来日している
高校生のダンカン・マキュー君が先月から我が家の家族として暮らしておりますが
彼の食生活について少々お話しますと来日直後、
夕食が純和風の煮物などが並ぶ食卓だったのですが
うちの母が気を使いソーセージを炒めたものをダンカン君に特別に用意したところ、
見事にソーセージだけを意識的に残していました。
彼はかなりの親日家で自分だけ特別なものを用意されるのが嫌なのがわかりました。
それからというものまったく私たちと同じものを食べているのですが
納豆をはじめお刺身やちりめん山椒などあらゆるものを平気で食しております。
特に、魚の煮つけなどは好物のようで喜んで食べております。
来た時からお箸の使い方も普通にできていたのですが
私としては料理屋に留学してきた以上、お箸の使い方は
普通の留学生より上手くなって欲しかったので
特別に豆を一粒づつ皿に移す特訓をしてやると頑張ってやっておりました。
たぶん帰るころにはさらに上達するので太田監事より上手くなることと確信しております。
私は、古い固定観念でアメリカ人はハンバーガーや
ステーキばっかり食べていると思い込んでいたので
彼が魚をはじめ和食の味付けにすんなりはいってこれたので驚きの反面、
日本料理のグローバル化のスピードを感じることとなりました。
彼のように少々日本に興味があったり、
現在外国で食すことのできる日本料理を味わった人間は少なからずいますが
本当においしい、本来の味付けの日本料理を
これから日本料理アカデミーが先頭で普及していけば
もっともっと日本について興味を持ったり、
さらには日本料理の正確な普及につながると確信したと共に
本来の食材や本来の味付けはやはりまだ浸透していないことがわかりました。
世界中で本当の日本料理が普及し、日本に興味を持ったり、
食を通じて友好関係が築けることを願っております。
さて、毎日のように昼のお弁当を15年ぶりに作ることになった母は苦労しておりますが
たまに母の作る弁当が懐かしく食べたくなるのは私だけでしょうか???
投稿者 culin : 22:11
招かれざる客 ◆ 瓢亭 髙橋義弘 ◆
写真の魚は何でしょう?
ご存知ですよね。そう“ブラックバス”です。
うちの庭の川で捕れました。
琵琶湖から引っ張ってきた疎水の水が、
無燐庵を通って店の庭まで流れています。
普段から、鯉や小さい魚がたくさん泳いでいるのですが、
その中でなんだかウロコの違う魚が混じっていました。
お客さんが教えてくれたんです。
今までは、亀やウナギ・ギギなんかはたまに出没していたのですが、
ブラックバスは滅多に見ませんでした。
しかも体長40cm近くもあり、小魚をバクバク食べていたようです。
「なんてヤツ!」
何とか捕まえてやろうと、店の暇な時間に、
若いものが餌を仕掛けたりしながら悪戦苦闘。
結局穴にもぐろうとしたところを、素手で捕まえちゃいました。
お手柄!
ご褒美に捕れたブラックバスをあげました。
うれしいやら悲しいやら。
「食べてみる?」ってことになって、おろしてみました。
「なんだこのにおいはぁ~!泥臭い川臭い!」
でもなんだかすごい油をもっていました。
「焼いちゃえ」ってことで塩焼きに。
焼いてみると変なにおいは消え、意外と淡白で食べやすい。びっくり!
無燐庵からの水は調理場をくぐっているのですが、それがこの池。
ちょっと泥の中をあさるとザリガニがいて、
たまに30cmぐらいあるモクズガニが上ってきて調理場でウロウロ。
時折、店に入って一年目の者がこの池にはまったりします。
何年も経つのに落ちる人もいますけど(笑)
と言いながら、私は小さい頃に庭の池に落ちて鯉と戯れていました。ナハ。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 20:39
飲酒運転!! ◆ 北村 晋一 ◆
最近、ニュースでよく飲酒運転のことについてやってますが、
飲食店をしていると無関係とはいえませんよね~。
料理を食べに来られるお客さんの中には、
当然アルコール類を飲まはる方もいはるわけですし、
車で来てるのがわかっていて帰りに運転される方が、
飲酒になるのをわかった上でアルコール類を出すと、
ほう助で営業停止になったりしますし、、、。
とある飲食店はお客さんが車を乗って来た場合、
アルコール類は出さない、または運転代行を頼むとかの
約束をした上で出すっていうようなことや、
送迎車を出すとかいろいろな工夫をされてるみたいですが、
ある程度限界もありそうですからね~(^_^;)
でも、なんとか美味しく楽しく飲んだり食べたりしてもらって、
気分を悪くさせずに安全にかえって貰うことを、
店舗側から考えて実行していかなくてはならない時代なんかな~!?
まあ、「飲んだら乗るな!、飲むなら乗るな!」を各個人がちゃんと守って
モラルを持った行動をすればいのですが、、、。
投稿者 culin : 06:16
鹿尾菜 ◆ 菊水 髙橋 正人 ◆
「鹿尾菜」と書いて読める方は少ないでしょう。
「ひじき」と読みます。鹿の尻尾に似ているから
この字が当てられたそうです。
今日9月の15日はひじきの日だそうです。
昔から長寿の為の食品と言われており、
伊勢物語の中にも在原業平が恋人に「ひじき藻」を
送る場面があります。
ひじきと言えばお惣菜の定番のひとつですね。
よく居酒屋さんなどのつきだしでも出てきますが(笑)
鉄分やカルシウム、マグネシウムの他、
食物繊維も豊富な海の幸です。
三重、千葉、長崎などが国内の代表的な産地で
波の荒い岩場に多く繁茂します。
最近は韓国などからの輸入もあります。
油との相性が良いので薄揚げなどと組み合わせると
美味しく食べられますね。
一方でひじきには無機ヒ素が多く含まれており、
発ガン性があると言う報告も英国では出ているようですが
日本人の平均的な摂取量では危険はないそうです。
ひとつの食品として大量に摂るのではなく、
色々な食材と組み合わてバランスをとると良いと
言うことでしょう。
今夜の晩酌のお供にどうでしょうか。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 21:00
Dinner with friends ◆ 修伯 吉田修久 ◆
日本では、なかなか外国人の家に招待される機会はあまりなく、
また、友人などを週末に招待する文化もあまりないと思います。
私のフランスの友人が日本に来てまもなく
日本の友達を自分の家に招待した時の話で、
その日本の友達はおみやげにフルーツを持ってきたそうです。
その日本人は日本のフルーツはすばらしく美味しいから
フランス人に食べてもらってびっくりしてもらおうと思って持ってきたそうです。
期待どおりフランスの友人はびっくりしたのですが、
なぜフルーツなのかと思ったそうです。
フランスでは、自分が招待された時にはワイン
またはデザート(手作りのケーキまたは市販のケーキ)が普通で、
フランスではフルーツは値段が安く皮を剥いたりと手間がかかるためもっていかないそうです。
フランスではたくさんの美味しいフルーツがその季節ごとに、
すごく良い状態で安く売られており、各家庭ごとの食卓には
必ずたくさんのフルーツがテーブルの上に置かれています。
何のフルーツをその人は持ってきたのかと聞くと、マンゴーだそうです。
彼にすれば日本のマンゴーが一個2000円~3000円するとは夢にも思ってなくて、
フランスでは100円~300円だそうです。
今では日本での滞在期間の長い彼は日本の食文化はかなり理解していますが、
値段の高さは理解できないと言っています。
また、彼は世界中で2000円~3000円もするマンゴーは日本だけだと言います。
しかも、日本で2000円のマンゴーを食べても自国での
もぎたてのマンゴーと変わらないとも言います。
確かに海外で食べる熟したマンゴーは美味しくて
日本のマンゴーと値段ほどの差はないと思います。
日本は美味しいフルーツがたくさんあると自慢したところで、
国土の広いフランスだから言えることかもしれませんが、
フランスには安くて美味しい野菜、フルーツがたくさんあると彼は言います。
美味しくて普通のものより手間と時間をかければ
値段が高くなることはしかたがないと言っても彼らには理解できないようです。
自給率の高いフランスと自給率の低い日本、学ぶことはたくさんあると思いませんか?
10月29日からの日本料理フェローシップ、本当に楽しみです。
投稿者 culin : 09:45
本日のぼやき その2 ◆ 滋賀 比良山荘 伊藤剛治 ◆
先月に引き続き「本日のぼやき」の時間です。
お前は、“人生幸朗”か!!
と、お叱りの声も聞こえてきそうですが・・・・
先日、家内の友達が遊びに来ました。職業は中学校の英語の先生。
それも、すごいグラマーな美人教師!!(美人であろうが、なかろうが
本日の話には全く関係は無いのですが・・・)
そんな彼女と楽しく雑談。
最近の学校は、本当に大変らしい。何か生徒に注意するとすぐに親が怒ってくる。
可哀そうに可哀そうにと、美人教師のあいづちを打っていると
ナニ!!それは放っては置けない!!
その話し、ホンマでっかー!!
給食の時間、「いただきます」「ごちそうさまでした」を言わない生徒を注意したら
次の日、その生徒の親が、カンカンになって怒ってきた。
その親、いったい何て言うて怒ってきたと思います?
「給食代払ってるのに、何でそんなこと言われなあかんの?」
ですって・・・・・
世も末やぁ。この国はここまで来てしまったのか・・・?
と、悲しくなります。
おまけに、その件の対応に困ってPTAで大の大人が話し合ったとか。
(小学校1年生の学級会の議題ならわからないでもないが・・・)
そんな事を言うてくる親も親やけど、学校では対応しきれず、PTAで協議?
こんなことを、教師や大人が自信をもって「おかしい」と言えない学校や社会なら
チャンチャラおかしい。わたしは、そう思います。
本当は今日、「いただきます」「ごちそうさまでした」の意味を、私なりに
述べてみたかったのですが、美人教師の“まえおき”が長すぎたようです。
つづきは来月の、“本日のぼやき”をご期待下さい。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 21:50
お 野 菜 ◆ 梁山泊 主人 橋本憲一 ◆
カタクリの花をご存知だろうか。
紫色の花弁がそりかえり、花心に種子が目立つ。
カタクリの語源は、「鱗茎からデンプンが採れ、かたくり粉といって食べた。
しかし、今のかたくり粉はジャガイモのデンプンである。
古名の「カタカゴ」が「かたこゆり」になり、
さらに転じて「かたくり」になったと言われる」(日本の野生植物 平凡社刊)。
いや、カタクリの説明をしたいわけではない。
種子がおもしろいのだ。
その種子だが、これにはアリが好むエライオソームという物質が
僅かだがついている。
種子が熟して地上に落ちる。
アリはこの物質のために餌と間違えて、巣に持ち帰る。
巣に置くが、食えない代物だった。
邪魔ものを巣の外に捨てに行く。
種子は一人歩きできないが、
アリのおかげで、広範囲にばらまかれることになる。
「種の保存の法則」だ。このあたりまでなら、さして取りたてることはない。
問題は、これからだ。
どうしてカタクリはアリが好むエライオソームを知ったのか。
そして、その物質を合成できたのか。
そして、何故アリだったのか。
他の動物でもよかったはずだ。
いや、アリでなければならない理由がある。
かつて山火事は日常茶飯事に起こっていた。
アリを選んだのは、巣が地下にあり、火災の難を回避できるからだ。
さて、鎮火は雨にたよるしかない。
雨水と灰が混ざるといい肥料になる。
焼き畑農業の仕組みだ。
肥沃になった土地に、最初にアリがカタクリの種子を蒔く。
カタクリはこのことを知ってエライオソームを作った。
不思議だ。そう、山火事でカタクリも燃えつきたのに、
どうしてアリの巣が地下にあることを知り、
次世代のカタクリに伝えることができたのか。
巣の種子に書き込むことはできないはずだが、LANを構築していた…。
植物は確かに目も、手もない。ましてや頭脳もない、ように見える。
しかし、これは動物の物差し見る限りだとしたら。
植物が動物に負けず劣らずの仕組みを持っているとしたら。
形態やシステムが全く異なるために認識できないだけだとしたら。
目を持たずに、アリの行動を分析し、
触れることなくエライオソームという物質を解析し、
自家で再合成できる能力が備わっていることは、事実である。
我々が毎日扱っている野菜もまたこの類の能力を持った仲間であると考えたら、
大根の葉とて粗末にはできない。
彼らには彼らなりの人格、いや野菜格を尊重しなければならないだろう。
立派な命なのだから。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 17:57
食育授業 ◆ 懐石・宿 近又 鵜飼治二 ◆
今回は、今年2月私が担当で新町小学校にて行ないました食育授業での子供たちの
感想文をご紹介したいと思います。学年は4年生です。
授業は4講時行い、担任の先生とともに日本料理におけるだしの大切さ、
そして香り、だしのみの試飲、調味料との出会いの効果。
さっと茹でた(学校では生のまま食べることはできないので)大根と蕪の試食、
調理技術の披露などを行い、そのなかから、子供たちに食の大切さ、
食材への感謝、作ってくれた人への感謝の気持ち、
そして、おもてなしの心などをテーマにしました。
それではご紹介します。(小学生のそのままの文章です)
『私は大根はよく食べるけれど蕪はあまり食べません。
ですが生に近いものが、こんなに美味しく食べられることを知りました。
大根の桂むきは薄くてびっくりしました。又,型抜きしただけでもかわいいのに、
そのあと包丁で細工したらもっとかわいくなってびっくりしました。
私もしてみたいと思いました。
おじさん(私のこと)に「いただきます」「ごちそうさまでした」の意味を教えてもらったので
これからは絶対「いただきます。ごちそうさまでした」を言いたいです。
今回来ていただいて本当に有難うございます。
お母さんに大根、蕪の料理を作ってもらいたいです。』 女子
----------------------------
『近又さんに来てもらったことで一番心に残ったことは、
生き物の命をもらっているということです。平気で食べていたけれど、
感謝しないといけないなと思います。そして食べるときはかわいそうというのも大事だけれど、
その命をどういう風に大切にしてもらうかが大事だと思います。
好き嫌いを平気でしている人もいるけれど命をもらっているのだから
感謝して美味しくいただこうと思います。
私は近又さんの願いはこのことだと聞いて、料理を作るときも、
食べるときもこのことをいつも頭においていようと思いました。』 女子
----------------------------
『私は「料理人」になることがが夢ではありません。
しかし理由は一緒です。おもてなしではありませんが、
人を喜ばせるということは一緒です。
今日の授業で、人を喜ばせるということがすばらしいことであると改めてわかりました。
私のは夢は「バレリーナ」です。桂むきや、細工などとは違いますが、
おじさんのような料理人の天才のように、私も天才を目指したいです。
それから、今日教わったことをお母さんに教えてあげたいです。』 女子
----------------------------
『僕は近又さんのお話で一番心に残ったのは、はじめはみんな生きていたでした。
なんだかハッとした感じで、人間は生き物の命をもらって元気にしていられるんだなと
あらためて思いました。
また、大根と蕪を食べてそのものの味がすごく美味しいと思いました。
だからこれからはそのものの味を大切にしたいと思います。』 男子
以上、まだまだたくさんのすばらしい感想をいただきました。
我々「日本料理アカデミー」の活動が子供たちに
大きな感動と影響を与えることができていることをこの感想文で感じます。
ひとつひとつ積み重ねであるとは思いますがこの子供たちの感想を励みに
国内事業部の活動が間違いないことを信じ、皆の力を合わせて更なる活動を続けたいと思います。
投稿者 culin : 20:15
だだちゃ豆 ◆ 瓢亭 髙橋義弘 ◆
大好きなんですよね~
鶴岡名産“だだちゃ豆”
「ウマイ、ウマイ」とついつい食べ過ぎてしまいます。
この香りはなんなんでしょうね。
初めて嗅いだときはびっくりして、何の香りかわかりませんでした。
枝豆ともトウモロコシとも違う独特の
「なんとも言えない香り」 モグモグ
これこそ“だだちゃ豆”ですね!かめば噛むほど味わい深い。
「なんとも言えないおいしさ」 ムシャムシャ
食べたことない人は、是非食べてくださいね。期間限定ですから。
もうたまらんウマイ! モグモグモグ
今年はとてもたくさんいただきました。
塩湯がきだけでなく、掻き揚げにしたり、ご飯にしたり。
湯がき方もいろいろあるようです。
私は極力水を少なくして、豆がやっと浸るくらいにしています。
落し蓋をして短時間で少し浅めに湯がいた方が、
豆のサクサク感が味わえます。
塩を振って冷ますときは扇風機ではなく団扇です。
これは決まりごとです。
ご飯にするときは、生のまま豆を取り出し、
サヤと水を火にかけてサヤからだしを取ります。
この青臭さがご飯にするとなんだか美味しくなるんですよね~。
取り出した豆は生のまま、お米を炊くときに一緒に入れます。
サヤだしの味付けはほとんど塩ですが、香り付けに色がつかない程度に
薄口醤油を落とすと風味も倍増!
釜から出てくる湯気がおいしいことうけあい!!
思わず炊き上がるまでに蓋を開けたくなります。(我慢のしどころです)
掻き揚げにした時の、
「あの香ばしい風味はいったいなんなんだぁ~っ!」
と叫びたくなるおいしさ。
欲張って頬張るから、口に中の皮がもうズルズルです。
私の父の友達が鶴岡の方で、この時期になると毎年だだちゃ豆を送ってくださいます。
わざわざ遠いところ、店に食事に来られたり、暮れの京料理展示会に来ていただいたり。
ご夫婦ともどもとても親切な方で、私も学生時代から親しくさせていただいております。
特にその奥さんが父ととても仲が良く、電話でケラケラ笑いながら
「おばんでございます~」
と話しているのを聞くと、「あぁ、○○さんだな」とすぐにわかるくらい。
○○さんの事を思い出しつつ、「うれしいなぁ、おいしいなぁ」
と、このブログを書きながら、ひたすら食べまくりっ! ムシャムシャ
誰か私を、止めてぇ~!!! モグモグムシャムシャ
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 09:02
重陽の節供 ◆ ぎをん 梅の井 三好 徹 ◆
9月9日は重陽の節供です。
重陽は昔の祭日であった五節供の最後を締めくくる節供。
9月9日は「9」が重なっています。
9が重なることから重陽の節句は「重九(ちょうく)の節供」とも
呼ばれるそうです。
それから、「菊の節供」ともよばれます。
まだまだ暑いですし、菊もまだまだつぼみの状態ですし
ピンときませんが旧暦では見頃だったのでしょう。
そういや『ひらパー(枚方パーク)』という遊園地に『大菊人形展』もありました。
ちょうどこの季節なんですね。今はもうやっていませんが・・・
昔は重陽の節供に「観菊の宴」を開き菊を眺めながら
詩歌など読み、長寿を祈ったとか。
なお、この日の宴会には菊の花を浸した「菊酒」を飲み交わし、
栗御飯などを炊いて祝ったそうです。
秋と言えば美味しい物がたくさん出てきます。
こないだ市場のうなぎやさんで聞いた話ですが
サンマが市場に並ぶ頃はうなぎが急に売れなくなるそうです。
それくらい日本中の人はサンマを食べるそうです。
なるほど、それでうちも暇なのか(T.T)
サンマでも蒲焼きにするか(^_^;)
重陽の節供にサンマを焼いて宴会などするのもいいかもしれませんね。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 11:41
心のこもった料理 ◆ 鶴清 田中信行 ◆
私が日ごろよく従業員に言う言葉があります。
それは何事も心を込めて愛情をもって、仕事に接していこうという事です。
お客様においしく食べて頂こうと思い、
心を込めるとお客様にもその気持ちが料理から伝わると私は思います。
それとは反対にただ、こなしているだけの料理はおいしくないと思いますし、
そういう気持ちで仕事に接している人は絶対成長しないと思います。
不器用でもどんくさくても何より大事なのが心だと思います。
しかし、最近の若い子はすぐに自分のやるべき仕事を適当に終わらせ、
目新しいものにすぐに飛びつきます。
私も昔はそうだったので、その気持ちが分からないでもありません。
しかしあるとき、後輩の子がやっている仕事を見て、私はハッとしました。
今まで、こんな仕事と思っていたのですが、下の子がそれを丁寧に綺麗にしていました。
それをみて、なんて上手に綺麗にやっているのだろうと思い、
その瞬間自分は今まで、何をやってきたのだろうと思いました。
それ以来一つ一つの仕事をきっちりこなしてはじめていいものが出来るのだと思い、
「仕事に優劣はない」のだと実感しました。
それ以来、下の子が適当な仕事をしているときは、こういう話をします。
私も昔、先輩から同じことを言われていました。
「おいまわし」(先輩達が仕事をしやすいように器や
包丁やまな板などを用意する、下の子がする仕事)
だからといってレベルの低い仕事ではない、
おいまわしもきっちりとしなければ、せっかく朝早くに来て仕込んだ料理も
たいしたいいものではなくなる、とよく言われました。
そのときはその言葉の意味が良く分からず、
何を綺麗ごとばっかり言っているのだと心の中で思っていたのですが、
今になってやっとその言葉が良く分かるようになりその先輩に感謝しています。
ですから、下の子に私が忠告してもわかってもらえてないかもしれませんが、
将来私のようにハッと気づいてくれる事を信じて心を込めて言い続けようと思います。
投稿者 culin : 12:31
証し ◆ 東京 日本橋ゆかり 野永 喜三夫 ◆
いきなり包丁のアップ写真で、「何!?」と
思われるかも知れません。
この包丁は、私が修行させて戴いていた
京都「菊乃井」を卒業する際に、
本焼きの包丁を村田吉弘氏より
弟子の「証し」として頂いた物です。
これは菊乃井の弟子と認めた人
「弟子」のみ与えられる品です。
それもその弟子達一人一人に
これからの心構えとアドバイス等の一言を沿えて。
私にとっては、「無我夢中」に京都で習った事も
大切ですが、一から実家の料理を吸収、取得し、
お互いのいいところの融合させて行きたいと思っています。
これからはグローバルな考え方も必要ですが、このサヤを見るたびに初心の気持ちに戻り、
今まで以上に「精進せんとあかん!」と気が締まります。
その人の実績を認める証しとした物(例えば賞状やメダル、星何個)が世界中、色々有りますが、
そんな順位うんぬんよりも今、社会に足りない物は、「食育」だと考えます。
これからの未来を背負う子供や若者に
手作りの料理を作る「どう作る」、手作りの料理を食べる「作法」
手作りの料理を伝える「伝統」など、今よく言われる「食育」を
見直さなければと、本当に最近感じます。
以前、あるTVを見ていたら最近朝飯を作らない家庭が多いと、大変驚きました!
例えば、ある家庭では朝、チョコバナナ1本だけが出ていました。
思わず、「これはおやつでしょー」などと口走ってしましました。
「料理を作らない!」、「面倒くさい!」、「買い置きで良い!」
最近の若いお母さん達はご飯代わりにおやつと同じ様な
大人が食べる味の濃くついた、スナック菓子を
子供達にバリバリ1日食べさせている!!!!
「子供より自分優先な生活?」
かなりおかしく崩れている現状だと思いました。
私達は何かを毎日食していなくては死んでしまいますが、
「家畜に餌を与える?」、「植物に水与える?」訳ではありません。
しかし、人間は欲があり、楽をすることをどうしても求めてしまいます。
基本的なことでいえば、昔で言う愛情たっぷり
(おふくろの味)が欠けてはいないでしょうか?!
最近は、それらの「おふくろの味」や、「その料理法」等を教えられない、
伝えられない時代になっているのだと感じてしまいます。
実際、某グルメサイトにて毎月レシピの順位結果が発表されていますが、
何と、毎月決めるテーマよりも、昔ながらの日本人の基本である
おふくろの味 「みそ汁」、「肉じゃが」、「鯖の味噌煮」などが
毎回上位に出る結果がでております!!
これらは、昔は当たり前に伝えられて来た物でしたが、
時代の流れでホンマに、簡単、楽ちん物であふれています。
でき合い、何分チン、お湯入れるだけすぐに手早くでき、
楽であるが、人に作る作ってもらうという感謝の気持ちや
綺麗だ美味しいと喜んでもらう感動も今は欠けてしまっている様に思います。
星何個より、これら今足りない「話す」「聞く」「伝える」「作る」ということは
「コミュニティー=食育」全てにつながりますし今後、見直しの時期なのでしょう。
投稿者 culin : 20:02
「ブラック ・スライド・マントラ」と「園城寺」 ◆ 右源太・鳥居宏行 ◆
先日、滋賀県立近代美術館の「イサム・ノグチ-世界とつながる彫刻-」展を
見に行って来ました。
この展覧会の事を聞いたとき、重い石の彫刻をどうやって運ばはったんやろう?
凄いなあ~絶対見に行こ~と思いました。
昨年オープンした札幌のモエレ沼公園には未だ行けていないので、
よけいに見に行きたい、見に行きたいと思っていました。
しかし、ようやく時間を作って行ってみると…期待が大きすぎたのか、
前評判はええんやけど、実際は全然面白くない映画を見た時のような気分になってしまいました…
ニューヨークと牟礼で見た時にはメチャクチャ興奮したのですが…。
気を取り直してもう一周して見てみましたが、やはり感動できませんでした。
私の場合、美術館めぐりで感動できるのは
良い映画に出会う事よりもずっと確立が低いので、
こんなもんやと気を取り直していつも行く神戸のステーキ屋さんに向かいました。
こういう時に冒険心で新規開拓して食事まで外したら大変やし、
絶対安心な店に向かうのがお約束です。
ドライブしながら大好きなイサム・ノグチとその作品の事を考えていると、
東京国立博物館に収められている、
利休が初めて切った竹の花入れ「園城寺」の事が頭に浮かんできました。
博物館では千家の名物として大切に収蔵されていて、
何の不都合もないと思われていますが私の茶の師匠によると、
とても可哀想な花入なのだそうです。
それは、もう何十年も花を入れてもらっていないからです。
美術品と茶道具の根本的な違いは公開して目に触れさせるだけではなく、
花入なら、その日の花を茶室の床に生ける事によって初めて生きるというところです。
イサム・ノグチは家具や遊具、照明器具等の道具もたくさんデザインしています。
水の湧き出る手水鉢やベンチ状の彫刻等はもちろん、
「ブラック ・スライド・マントラ」(黒御影石で出来た渦巻き状の滑り台)も
使われてこそ生きるものですよね。
そんな事を考えながら、いつものステーキ屋さんに到着。
その日の体調に合わせて、フィレはフィレでも脂っこくて旨みの多い肉か、
あっさりしてもたれない肉か選んで焼き方まで変えてくれるオーナーシェフに、
この日はあっさり肉を強めに焼いてもらい、ガーリックライスもあっさり仕上げにして戴きました。
鉄板焼きの技術もこのレベルになると芸術です。美術鑑賞のあとは食の芸術で〆です。
後日、幸いな事に、美術館に収蔵されていない私の花入(笑)に、
花壇で健気に咲く花を活けてみました。
師匠曰く、東博に心ある(?)館員がいて、園城寺にそっと四季の花を内緒で
入れて元気を付けてくれているのならホッとするのだが…
写真①花壇に咲く宗旦木槿
写真②”山里”という銘の鉈籠花入に活けてみました。
投稿者 culin : 12:47
料理人として2 ◆ 京都吉兆 徳岡 邦夫 ◆
皆さんは、高品質の食品や栽培に適した環境などの保存・保守していくことについて、
何をすべきだと思いますか、また、どういう風に促進すべきだと思いますか?
私は、最終的には、ルールを変えるしかないと思っています。
政治家の意識を変える事だと思います。
その為には、食材を消費する有権者の意識を少しずつでも
変えていくしかない様に思います。
その為には、政治家を含め、いろいろな立場の方々と
フラットな立場でコミュニケーションする事が必要だと感じています。
その結果、ルールが改善できれば良いなと思います。
あわせて、一次産業の現場に居られる方々が私たちが
生き続ける為の食を支えてもらっている事も合わせて考えたいです。
重要な立場ですし健全でないと、世の中が駄目になってしまうと思います。
同時に、一次産業の現場に居られる方々の報酬は、
世の中に役に立っている方の報酬ではない様に思います。
改善しないと後継者が無くなるようにも思います。
そして出来るなら、優良健全生産者の集まる地域を作り
その地域の健全さを検査、認証する団体と共に信頼を勝ち取りたいです。
それが、現代の生産地ブランドの正しい築き方だと思います。
京都では旧来の「京野菜」と言うブランドで無農薬でなくとも、
イメージで高額で販売されています。
いろいろな価値観はあるにせよ農薬と言うのは
昆虫であるとか雑草の生命を絶つ薬なのです。
薄めて使用頻度を減らしても農薬を噴霧すると
たちどころに カエルやミミズ、益虫も死んでしまいます。
ひどい方は自分の食べる分には 噴霧しない方もいらっしゃるようです。
今、害が見えなくとも次世代にはいろいろな形でその害は及ぼされるでしょう。
夏休みの宿題がなかなか出来ないのと一緒でせっぱ詰まらないと出来ないのだと思います。
商売とは人をダマシテお金をもうける事ではなく人の役に立つ事をして
それに見合う代償を得る事だと思っています。
最後に、無農薬と言うだけで美味しく無い野菜を作る方がいます。
それ以上努力しないのです。無農薬と言うだけで売れるのです。
美味しく、奇麗で、純粋で、バランスが取れている物、それが食べ物です。
そういう事を技術的にも精神的にも教える学校も必要ではないでしょうか?
皆さんは、どのように 御考えでしょうか?
投稿者 culin : 17:52
無花でムッカぁ~ ◆ 下口英樹 竹林 ◆
「あぁ 痛! ムッカぁ~ 無花果(いちじく)を剥いてると、また指の先が溶けて穴開いてきた、
ほんまに、無花ムカつくわぁ↓↓」
「せやし、ペチャクチャしゃべってんと、早く手を動かせて言ってるやないかぁ」
「でも無花果の汁ってすごいですよねぇ、指を溶かすんですからねぇ~
もう、剥いていると何ぼでも遅くなりますから、湯剥きにしませんかぁ???」
「また、お前らは、すぐに『邪魔くさい』と思って、手を抜こうおもてぇ
クチャクチャ言ってんと早く手を動かせ言ってるやろ↑↑」
厨房でこんな会話をしたり言ったりしていると、
修行時代の事が必ず、鮮明にフラッシュバックする
「あんなぁ『邪魔くさい、面倒くさい』
とか言ってたら料理なんか出来ひんでぇ
修行とか料理と言うもんわなぁ
『邪魔くさいとか面倒くさい』とか誰でも思うやろ
毎日、毎日、こんな細かい仕事をしていると、段々、慣れてきて
『邪魔くさいとか面倒くさい』と思わんと、苦にならんようになんねやぁ
苦から無になったときが、一皮剥けたときや
だからなぁ『邪魔くさいや面倒くさい』と思っている間は、まだまだやなぁ~
料理だけやない、世の中にある全ての事に対して、全部言えることやぁ
お前らのために、態々、こんな細かい仕事を残してるんやぞ!!」
修行に行っていた時に、よく大将に言われた事だ。
(とくに僕は出来が悪かったからなぁ)
今、自分で店を切り盛りしているのも、その時のお蔭...(感謝感激雨あられ)
「お前ら、あんなぁ『邪魔くさいとか面倒くさい』
とか言ってたら料理なんか出来ひんでぇ料理と言うもんわなぁ
『邪魔くさいとか面倒くさい』とか誰でも思うやろ
毎日、毎日、こんな細かい仕事をしていると、段々、慣れてきて
『邪魔くさいとか面倒くさい』と思わんようになって、苦にならんようになんねやぁ
苦から無になったときが、一皮剥けたときやろうなぁ
この無花果の皮を剥くようになぁ
解ったかぁ↑↑ 解ったから、つべこべ言わずにサッサと手を動かせよ!!」
「はい、解りました↓↓
そっかぁ~ 無花果だけに、無花で無かぁ~」
こうして、時代は繰り返される???
投稿者 culin : 14:38
楽しみにしていた梅酒 ◆ 岡庄 岡 豊雄 ◆
最近涼しくなってきたので今日はビールでなく、
梅酒を飲む事にしました。
6月の中ごろに浸けた梅酒を少し早いと思ったのですが、
逸る気持ちを抑えきれずに今日思い切って空けました。
前回の梅酒はなぜか保管場所が私の知らぬ間に変更されており、
梅酒ビンが毎日夕方に直射日光に当たって変な色になっておりアウト!! 残念でした。
今回は厳重に管理しておいたのでセーフでした。
楽しみに蓋を開けてみることにしました。
少し熟成期間が短めでしたので、あっさりでした。
しかし前回の残念な気持ちもあってか、今回はとても満足!!
来月に、もう一ビンの方を開けてみます。楽しみです。
家庭菜園のような気持ちで作っております。
皆様も一度作ってみてはいかがですか。
今回用意したもの
青梅 約1kg 焼酎 1升(ブランデーを少し入れてもおいしいですよ!)
砂糖 500g(氷砂糖もおいしいですよ!約400g)
蓋付きの4Lぐらい入るビン
1 青梅を水で洗い、大きな容器で水に8時間ぐらいつけておいて下さい。
2 アクが抜けると思いますので、水気を切り、口のホシの処を取って下さい
3 よく洗い乾燥しているビンに、青梅と砂糖を少しずつ万遍に入れます。
4 ビンに焼酎を入れ、直射日光に当たらない所に置き、
最初の1ヶ月ぐらいは1週間ごとぐらいで糖分が混ざる様にビンを揺り動かして下さい。
3ヶ月ぐらいで、あっさり味です。1年置くと、コクが出てきます。
3年モノはまだ作った事が無いのですが、弟の話によると深い味わいになるそうです。
楽しみに待つのが梅酒の醍醐味です。
投稿者 culin : 10:11
こだわりの包丁を語る 第二弾 ◆ 下鴨福助 安念尚志 ◆
本焼きといわれる包丁に2種類あるのをご存知でしょうか。
「水焼き本焼き」と「油焼き本焼き」です。
まず先に「本焼き」とは・・・説明しておきましょう。
包丁に詳しい方はここは読み飛ばしてくださいね。
和包丁は構造上2種類に分けられます。「本焼き」と「霞」です。
「本焼き」とは包丁全体が単一の鋼でできている包丁のことを言います。
決して本物の焼きが入っているわけではありません。
一方「霞」とは鋼と軟鉄をはり合わせたもので「あわせ包丁」とも言います。
次に「水焼き」と「油焼き」の違いも説明しておきましょう。
焼入れの時に水で冷やすのが「水焼き」、油で冷やすのが「油焼き」です。
「本焼き」は、水で冷やした場合、温度変化が急激なので硬い包丁になりますが、
パキンと割れ易く、製品になる率は低いので高度な技術が要されます。
一方油で冷やした場合は水に比べると冷却速度が遅いので
粘りのある包丁になり製品になる率は高く、
そのため「本焼き」というとほとんどが「油焼き」になっています。
一般に「本焼き」というとほとんどが「油焼き」です。
実際に包丁を買うのに有名な包丁店に行っても
「水焼き本焼き」の包丁を買うのはむずかしいかもしれません。
なぜなら「油焼き」の包丁しか作っていないところが多いからです。
では「油焼き」のほうが「水焼き」より優れているのかと聞かれたら
残念ながらそうとはいえません。
「油焼き」の包丁は「水焼き」の包丁よりやわらかいです。
包丁を研ぐと実感できます。
やわらかいといっても曲がったり反ったりするということではありません。
砥石で研ぐと「水焼き」の包丁より早く刃がおりるという意味です。
どちらがいいのかと聞かれたらなかなか答えられません。
それぞれ長所と短所があるからです。僕は「水焼き」の方が好きですけどね。
「包丁」も「料理」も最高の素材を捜し求めてそれを使えば
最高のものにできあがるかといえばそうはいかない、
それを生かすか殺すかは職人次第なんですね。
そして最高の包丁があったとしてもそれを使いこなせるかは
料理人次第なんですね。ふうっ、ますます努力あるのみです。
写真の砥石は![]()
(マルカ)正本山という合砥です。砥石も凝り出したらきりがないですね。
投稿者 culin : 10:59
ロシア・北欧を訪ねて ◆ 田中誠二 ◆
7月の初旬にヘルシンキ、サンクトペテルブルク、コペンハーゲン、
ベルゲン、ストックホルムの5つの都市を出張し、
フィンランド、ロシア、デンマーク、ノルウェー、
そしてスウェーデンの5カ国を巡る機会をえました。
周知のとおり北欧諸国は日本のバブル崩壊とほぼ同時期に、
金融危機による景気低迷に陥りながらも産業構造の転換を
短期間で成し遂げ、経済を復興させた実績が高く評価されており、
国際競争力においてもフィンランドは世界第1位で、
続いてスウェーデンが第3位、デンマークが第4位と
北欧諸国の国力の充実振りが注目されています。
また、北欧諸国の共通した特徴をあげると
人口が比較的少ないことから国内の市場規模は限られ、
輸出のGDP比が40%と輸出依存度が高く、
従って各国ともに高齢化社会、高度福祉社会や循環型社会を反映して、
福祉や介護サービス機器、風力発電など新エネルギーから
木材・海洋石油といった天然資源、
そしてデザインやインテリアの領域に至るまで
幅広く特徴的でオリジナリティ溢れた特色ある輸出品を創出しています。
とりわけ注目したいのは今回訪問したデンマークと
スウェーデンの国際連携で築かれた広域経済圏「オアスン地区」の開発です。
特に「ひとづくり」の分野で、創造性を重視した教育を基軸に生涯学習、環境教育、
そしてアントレプレナーシップ(起業家精神)育成など先進的な人材育成を積極的に展開し、
経済と福祉をバランスよく充実させるために教育が国の発展の基盤と
位置付けられていることがたいへん印象的でした。
さらには、豊富な生産量を誇る原油や天然ガスなどのエネルギー資源と
旧ソ連時代の遺産とも言える高度な科学技術を背景に、
著しい経済成長を成し遂げているロシアのかつての首都であった
サンクトペテルブルクを初めて訪問し、
「世界遺産」登録された「サンクトペテルブルク歴史地区と関連する建造物群」や
世界3大美術館のひとつである「エルミタージュ国立美術館」をはじめ
「ペトロパブロスカヤ要塞」などの多くの建築記念物や学術文化施設を見聞することができ、
閉ざされた怖い国「旧ソビエト連邦」というイメージしか持っていなかった私には、
ロシアの歴史と文化的蓄積の豊富さにたいへん感心させられました。
今回の訪問でこれら北欧諸国の手厚い福祉や
教育分野の振興策が成功している様子を身近に感じることができ、
持続可能な環境循環型の福祉を重視したまちづくりや
国づくりの実態を肌で感じる機会を得て、
公益に資する経営政策について大いに勉強させていただきました。
街の品格、優れた文化や歴史、そして美しい環境において、
共通点が多く見られる京都とベルゲンやサンクトベテルブルク、
そしてストックホルムなどロシア・北欧諸国の各都市を比較する中で、
文化であれ、商業であれ、守るべき伝統を守りつつ、
大胆に時代の要請に呼応する前衛を打ち出しながら、
新たな伝統を作り上げ、伝統と革新のサイクルを循環させる
姿勢が大切であることを感じた次第です。
※ 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 13:05