2006年08月23日

至福の時                           嵐山熊彦 栗栖基

近年、日本人の食生活は、自然から遠ざかるばかりである。
水と土と太陽エネルギーの恵みである、
旬の食材は一年を通し大手スーパーの食品売り場を賑やかせ、
真冬にスイカを食べるなど簡単な事である。
しかし、その味は少しも風味がなく、
かえって我々の食生活を味気ないものにしている。

現在、日本に氾濫している食べ物の種類は
輸入品も含めて世界一であるが、
数の多さが決して“味覚の豊かさ”に繋がっておらず、
個々の食材が持っている素味を感じることが難しくなっている。

旬の味を大切にしていた時代の日本人は、
味覚のきわめて発達した民族であった。
自動車を乗り回し、冷暖房で快適なマンションに住んでいるからといって、
長屋住いの江戸時代の人たちより幸せになっているかというと、
きわめて疑問で、味の感知能力からすれば確実に不幸になっている。
江戸っ子は初物賞翫に血道をあげ、他人より先に旬の味を求めた。
つまり、季節への期待もさることながら、
そこには味覚の主張があり、生命力の強い表現があった。

私事になるが年に数回、洛西に住む知人を訪ねる。
彼は仕事の合間をみて自分の畑を耕し家族で食べる野菜や果物などを作り、
収穫時に友人達を呼んで畑の真ん中に自家製のテーブルと椅子を設え、
皆々が持ちよった食材やお酒を囲み、畑で収穫したばかりの食材を惜しげもなく使い、
まさに旬の味を満喫させてくれる。

あるとき、獲ったばかりの空豆を鞘から出し、湯がいてくれた。
ナント!10秒以内に茹で上がり、それ以上ゆでると軟らかくなり過ぎ
豆ほんらいの素味が損なわれた。今までの固定観念を覆す出来事だった。
そのほか同様に数え切れないほど、本物の旬菜風味を味わい、教わった。

食事が進むにつれて、私の体内は自然のエネルギーに満ち溢れ、
美味しい酒と料理に心の芯まで安息感に浸り、
薫風のなかで至福の時を過ごすのである。

投稿者 culin : 2006年08月23日 13:29