会議 ◆ 髙橋正人@ピンチヒッター ◆
本日、ピンチヒッターの菊水の髙橋です。
最近は京都の料理人たちの間でもIT化?が進み、
こうやってブログを書いたり、メールを使ってやりとりをするのはもちろん、
アカデミーの会議においてもペーパーレス化が進んでいます。
あらかじめ議案をメールで送り、当日はノートパソコン持参か、
個人でプリントアウトして持って来ると言うかたちです。
会議ではノートパソコンが並び、ロの字型に並べられたテーブルの真ん中には
電源ケーブルが蜘蛛の巣のようになります。
普段は包丁を持って白衣姿で調理場に立っている人達が
スーツ姿でパソコン並べて会議をしている、皆さんご想像出来るでしょうか?
会議に出席されている料理人以外の方からは
「料理人さんがこんなにパソコンを使いこなしているなんてすごいですね」
なんて声もいただきます。
でも、時代は進んでいます。
以前は経験や勘で行ってきた料理の仕事も科学的なデータをもとにした
新しいスタイルに変わりつつあり、さまざまな調理機器を使いこなす事も
料理人のスキルとして求められています。
同様に料理人としてだけでなく、現代社会の一員として
パソコンであったり、インターネットやメールを使いこなして行くという事も
また、必要とされていくのだと思います。
そう言ったなか、料理人は進歩しても料理を人の手で作るということだけは
大切にしたいと思います。
ちなみに本日は野菜(831)の日です。
毎年夏になると梅雨の長雨や水不足、台風の影響などで野菜が高騰しますね。
でも健康の為には野菜は欠かせません。
皆さんも色々と工夫して野菜を多く食べるように心がけましょう。
ではでは、次回は私の担当日に。
投稿者 culin : 20:49
驚くべき業(わざ) ◆ 杢兵衛 寺田慎太郎 ◆
① 7年ぐらい前に初めて大阪の東洋陶磁美術館に行った時の話です。
この美術館はその名の通り中国、韓国、日本等の東洋陶磁ばかりが展示されており、
その所蔵物の質の高さと量の多さには舌を巻くほどです。
ここで紹介したいのは17世紀の朝鮮時代の白磁の大きな壺です。
この日たまたま館内の展示物を無料で説明してくれるガイドツアーがあり、
その説明を聞きながら鑑賞していたのですが、
恐らくこの説明が無かったら大きな壺だなというぐらいの感想しか無かったでしょう。
けれどこの壺、今でも非常に印象深く心に残っています。
というのはかつてこの壺を盗もうと泥棒が運び出そうとした所、
これに気付いた警備員が必死になってこの泥棒を追いかけた際、
落っことしてしまい粉々に割れてしまったと言うのです。
ところが目の前にある壺はひび一つ無い完品そのもの。
つまり修復したというのですが、信じられないくらい精度の高い修復で
これはもう見事というより他ありません。
この壺、元々作家の志賀直哉氏の持ち物で
非常に素晴らしいものに違いないと思います。
けれど壺には申し訳ないのですが、私はこの修復の業の方に感服しました。
② 私は与謝蕪村の大ファンで、短冊でも消息でも何でもいいから
1つ蕪村が欲しいと前から思っているのですが、
2年程前にある古美術商がそれを知ってか面白い蕪村の絵を見せてくれました。
「寒山拾得図」で賛が入っています。落款は「謝寅」です。
この絵の何が面白いかというと「寒山拾得図」と言いながら
寒山、拾得は描かれてなく、寒山、拾得が日頃手に持っている
巻物と箒だけが描かれているのです。
この図柄に惚れて今でも欲しいと思っていますが、
実はこの絵にもとんでもないサプライズが隠されていました。
この絵を見せてくれた店員は同時に明治期に撮られた
この絵の写真を見せてくれたのですが、比較しますと何かが違うのです。
よくよく見ますと、写真の絵のほうがひと回り大きいのです。
大きいだけでなく賛と絵の間の隙間も写真の方が広く、
つまり蕪村はもっとゆったりとした空間に賛と絵を配置して
描いていた事が分かります。
どういう事かと言いますと、明治期か大正期かに
この絵を誰かが表装し直しているのですが、
紙本に描かれたこの絵まで直しているのです。
正直な所その方法は全然想像が及ばないのですが、
恐らく和紙の非常に細かくもつれ合った繊維を解き、
余計な部分を取り去り、再びくっつけているのでしょう。
気の遠くなるような作業です。
①の話と同様で絵を見ただけでは直しが入っているとは夢にも思えません。
まさに神業です。
蕪村はきっと怒るでしょうが、この業に敬服しました。
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投稿者 culin : 09:52
ただいま奮闘中 ◆ 監事 太田 守 ◆
自慢じゃありませんが私は料理が下手です。
えっ!?日本料理アカデミーって料理人の集まりじゃないの?
と思う方もいるでしょうが、少数ながら料理人でない人もいます。
今日はそんな数少ない料理人でない人の担当の日です。
料理は今まで何度も挑戦してきたのですが、
私が調理すると、美味しいはずの素材はなぜかとてつもなく不味くなり、
料理を終えた後のキッチンはまるで嵐が去った後のような荒れ具合になるので、
たまに料理を作ろうとすると妻にとてもイヤな顔をされてしまいます。
そんなわけで不器用でセンスがなく、
更に段取り下手という≪料理人三重苦≫を背負っている自分としては
料理を作るほうはあきらめ、もっぱら食べる事に専念しています。
さて、食べるといえば、その方法として日本の食文化でもある「お箸」があります。
お箸を上手に使い食事をする姿をみると美しいなぁとさえ思います。
恥を忍んで告白しますと、実はお箸を上手く持つこともできないのです。
もともと左利きであったのもあり、へんてこな持ち方のまま現在に至っています。
やはり、お箸が正しく持てないと会食の席で恥をかく場合も多いですし、
「箸使いを見ればその親がわかる」との言葉もあるように、
日本ではお箸の持ち方というのは重要視されていながら、
最近では私を含め正しくお箸を使うことが出来ない人が多いのも事実です。
そこで、このままではいけない!と一念発起して買いました矯正箸!!その名も「箸使い」!!!
指が当たるべき場所にくぼみがつけてあるだけで、ぱっと見は普通の木のお箸です。
他の矯正箸のように、いかにも「矯正中」みたいな感じないのが気に入りました。
なかなかの優れものだとは思うのですが、長年の癖というのは
なかなか抜けないもので、悪戦苦闘の毎日です。
上手く使えるようになったら次回のブログ担当日(3ヶ月先ですが)に報告させていただきます。
投稿者 culin : 10:03
ガンパオ ◆ 木乃婦 髙橋拓児 ◆
『ガンパオ』、これはアムロ・レイが乗っている
新型のモビルスーツではありません。
『乾鮑』と書いて「ガンパオ」と読みます。
つまり、中華の食材の干しあわびのことです。
以前、買っては見たものの扱いが難しく、
倉庫に眠らせていたものを久しぶりに戻して
調理してみることにしました。
その時の調理行程及び、私の行動をご紹介いたします。
1日目
10:00~17:00 干し鮑を水につける。
17:00~22:00 干した時の砂が付着しているので汚れを洗い落とした後、
水を替えながら、3回に分けて蒸し、臭みを抜く。
22:00~ 鶏がらスープ・葱・生姜を入れて弱火で煮始める。
店の厨房で賄いを食べ、そのまま厨房に宿泊。
2日目
~ 1:00 煮終わる。
1:00~ 5:00 鮑を取り出し、鶏がら・金華ハム・利尻昆布・日本酒古酒
鮑の煮汁(生の鮑を焚いただし)・薄口・みりん・日本酒で4時間煮込む。
一旦、家に戻り、風呂に入る。歯を磨く。
店に戻って、タイマーをかけて2時間ほど仮眠。
5:00~ 8:00 火を止めて、自然に冷ます。
8:00~12:00 水を足して、再度4時間煮込む。
12:00~15:00 火を止めて、自然に冷ます。
15:00~19:00 水を足して、再度4時間煮込む。出来上がり。
という風に非常に手間のかかる食材で、
1個25g位のもので15,000円位ですので、
中華料理屋さんで「鮑のオイスター煮込み」を注文すれば、
確かにあの値段って相応ですよね。
写真の左が乾鮑の調理前、右が調理後です。
かなり大きくなりました。
さて、試食!
「うっ!硬い・・・」悲しいことに失敗しました。
急いで作りましたから、おそらく戻し時間が短かったのでしょう。
でも、味はそこそこ美味しくなっていました。
失敗とはいえ、ガンパオを3個だめにしたとはいえ(
楽しい有意義な合宿でした。
「フカヒレ」を店で使おうと思った時もこんな感じでした。
とりあえずやってみる事が大事ですよね。
色々と頭の中でシュミレーションして実践する、料理ってこれの繰り返し!
いつかは、「ガンパオ」を乗りこなせる様なパイロットになります。違うか!?
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投稿者 culin : 13:43
胡麻豆腐 ◆ 銀水 山岸裕明 ◆
先日、比良山荘の伊藤氏と飲みました。
2時間程飲んだのですが、その内1時間は胡麻豆腐の話をしました。
さて、胡麻豆腐ですが、これもその店々で作り方の違いがあるものだと思います。
材料は、胡麻・水・くず粉・塩・・・水の代わりに昆布だしの人もおられるでしょう。
胡麻ペーストを作る時に胡麻を煎るところもあれば、
前の日から水につけてブレンダーで作るところもあるでしょう。
又、裏ごししてこすところもあれば布ごしするところもあるでしょう。
裏ごしは2回ごし?1回だけ?酒はいれますか?くず粉はどこ産のものですか?
練る時の火加減は強め?中火?弱火?
少し考えるだけで、これだけバリエーションがあります。
しかし、共通している事が1つあります。
それは、汗水たらして練って練って練り倒す!!!
これは、どこの店でも同じだと思います。
涼しい顔して「胡麻豆腐です。」とお客様にお出ししますが、
作っている時は汗が全身の毛穴から噴出し、手はだるくなり、
タオルを首に巻き汗が鍋に入らぬ様に吹き拭き・・・
まるで、水鳥の様にお客様には水の上の姿を見てもらい、
作る時には水かきのついた足で必死に水中をかいている。
まぁ、我々料理屋の仕事というのはある意味すべてこれに共通するのではないでしょうか。
「美味しい!」の一言を聞くためだけの仕事です。
皆さん、どこかで美味しい胡麻豆腐を食べたら「美味しい!」と言って上げてください。
それは、最高の誉め言葉ですから・・・
さぁ、今日も練り上げた後の麦茶を楽しみに胡麻豆腐を作ります。
投稿者 culin : 09:58
地の果て ◆ 相伝京の味 なかむら 中村元計 ◆
毎年子供たちの夏休みに家族旅行に出かけます。
なるべく子供たちに自然の雄大さ、美しさ、素晴らしさに触れさせたく、
それが可能なところを目的地に選んでいます。
と言うわけで今年は「地の果て」シリエトクへ。
そうです、「知床」へ行ってきました。
北海道へ行くのも初めての私にとって、「知床」は写真やテレビ
或いは「知床の岬にハマナスの咲く頃、思い出して~♪♪」と
歌でしかわからない未知なるところでした。
流氷によって侵食された海岸線は断崖絶壁となし、
数十キロになって続いているのです。
遊覧船から見る夏の太陽の照り付ける知床半島はまさに圧巻でした。
しかしながら季節によっては想像を絶する冷たく凍るような風が吹きつけ、
波が大きくうねり、或いは流氷が押し寄せるのかと想像すると、
自然の凄さ、或いは恐怖さえ感じさせてしまうようなところでありました。
そういう男性的な景色とは反対に、半島の突端は穏やかな丘陵地帯となって
草原のようになっているのがとても女性的で何とも不思議であり、
何かほっとしたような感覚を覚えました。
断崖絶壁のところどころに岩を割って流れ出たように見える滝、
又湧き出たお湯が流れ落ちる滝。今まで自分が見たことのない景色でありました。
このような所でさえ、海岸が浜になっている所々に小屋があります。
番屋と呼ばれるもので漁師さんたちが、昆布、スケソウタラ、鮭等の漁をする拠点だそうです。
おそらく私も時としてその昆布、タラ、鮭等を使っているのかと思えば、
五観の偈(ごかんのげ)の「一つには功の多少を計り、彼の来処を量る」
「二つには己が徳行の全欠を忖って、供に応ず」という文句が頭に浮かび、
料理人として何かある種の使命のような責任のようなものを感じました。
旅行中の楽しみの一つは食事です。
現地で情報を仕入れて羅臼の寿司屋さんへ行きました。
寿司屋では大将にお任せで家族皆同じものを握ってもらいました。
他の土地の寿司屋で何が出てくるかすごくワクワクしながら待つのはとても楽しいものです。
ネタの入った冷蔵庫を見ているとその中に見かけない海老を見つけました。
「あっ・・・、それってひょとしてぶどう海老(※1)ですか?」
大将曰く「そうですよ、これも握りますからね。これが一番大きいサイズなんですよ」
そういえば羅臼はぶどう海老が取れる漁場として有名であったことをすっかり忘れていました。
まさか食べれるとはこれっぽちも思ってもいませんでしたので、
「これはいい体験が出来るわ、羅臼まで来て正解やったな」と心の中で喜んでいました。
皮を剥いた身の色はさほどぶどう色をしているわけではありませんでした。
身は車海老より柔らかく、甘エビよりはしっかりしていますが、
口の中でとろけるような感じで、とても甘みがあり、車海老より濃厚な旨みがあり、
大変奥深い味わいがありました。
表現力のない私にはこれ位しか書けませんが、思わず顔が綻びました。
嫁や子供たちの顔も同じように満足げでとても嬉しそうな顔をして
「おいしー」と言っていたのが凄く印象に残っています。
その他にもぼたん海老、メンメ(キンキ)、さめ鰈の縁側等等、
知床の自然の恵みをたくさん味わせて頂ました。感謝―。
帰りに市場に立ち寄りいろいろ見ていますと、
先ほどのぶどう海老が並べられておりました。
思わず買おうと思いました。
が、よく考えてみると、1日数キロ程度しか獲れないような
知床が育んだ幻の海老とまで言われるような貴重な物を
わざわざ京都へ送って食べても「ホンマの値打ちがあるのかな?」
それより知床に来て、知床の自然のすごさ、美しさを見て、
感動して食べた事を大事にした方がより値打ちがあるのではないか?と思い、
ぶどう海老を買うのをやめました。その代わりと言っては何ですがホッケをたくさんかって帰りました。
今日のブログは少し前に仕事を終えて、
そのホッケを食べながら知床を思い出し、考えたものです。
※1 「ぶどう海老」...ブドウ色をしているので通称「ぶどう海老」と呼ばれていますが正式には
ヒゴロモエビと言うタラバエビ科の海老です。正式に「ブドウエビ」と言う名前の海老もいますが
別の種類の海老で生息地域も異なります。
※2 文中青字のリンク先は「ウィキペディア フリー百科事典」の各項目に繋がっています。
投稿者 culin : 10:54
ご飯 ◆ 魚三楼 荒木稔雄 ◆
ご飯の美味しい炊き方知ってはりますか。
私たちは、できる限り、炊き立てを出すことで「美味しかった。」と
お客様に言っていただけるよう炊いております。
しかしながら、本当に「美味しいのは」と良く考えております。
「ご飯が立つ」とよく言われますが、私はご飯が立つぐらいの固さでは
少し硬く感じますし、甘さが足りなく思えます。
しかしながら、世間では美味しい目安のひとつと考えられています。
関東の方は固めのご飯を好まれますし、関西の方はやわらかめのご飯を好まれます。
文化の違いが、ご飯の味を決めているように思われます。
関東の方は朝、ごはんを炊かれます。
そのご飯を握り飯にして、農作業や戦に出られたように聞いております。
また、関西の方は夕方ご飯を炊き、朝は昨日の残った冷ご飯で
お茶漬けを食べられたと聞いております。
農作業や戦に出るため、腹持ちの良いように少し固めのご飯を
食べられていたようです。
また、関東ローム層を通った水で炊くと、どうしても表面が硬く炊き上がるようです。
関西の場合、商人や公家の町が中心だったため、
力仕事をしないのでより消化のいいようにやわらかめに炊かれ、
また、水自体も軟水のため表面が溶け、やわらかめのご飯になるようです。
ご飯の美味しい炊き方は人それぞれ違うように感じます。
固めのご飯を良く噛んで、甘さを楽しむ食べ方、
柔らかめに炊き上げ、米自体の甘さを柔らかさの中に引き出す食べ方、
本当に、日々食べられている物だけに本当に難しく、
いろいろな美味しいご飯の炊き方があるのだと思います。
いま、ご飯について少し考え方を書きましたが、
ご飯だけではなく料理自体何が今、美味しく思われているのか、
美味しいのか、時代とともにどんどん味覚の変化が見受けられます。
現在の子供たちが大人になっても、「やっぱりご飯は美味しい」と言わせられる食生活を
これからも大事にしていきたく考えます。
投稿者 culin : 21:13
地蔵盆で再認識したこと ◆ 萬重 田村 圭吾 ◆
送り火も終わり、本来なら涼しくなり秋を感じさせるかのように、
赤トンボをちらほら見かける時期なのですが、
夜なおアブラゼミがミンミン鳴き、先日の甲子園の決勝戦のごとく
暑さが引かないのは今年の梅雨明けが遅かったしでしょうか?
子供の頃、五山の送り火が消えていくのを見ながら
「そろそろ夏休みの宿題しなあかんなあ。」と思いつつ
(習慣とは恐ろしいもので何故かこの年になってもそんな気分になります。)
甲子園の決勝戦を見てしましい、
「閉会式を見終わってさてそろそろ本気で宿題をしなやばい!!!」と思った時期に
「カン。カン。カン。おやつですよ。」という子供の鐘の音が。
そう22・23日は「地蔵盆」の日なんですね。
他府県の方々には少しなじみは無いかも知れませんが、
京都にはお町内お町内(だいたい一町内50から70軒ぐらいでしょうか)に
お地蔵さんがおられ、この二日間、子供の守り神として
常にお守りいただいているお地蔵さんをお祭りし、
町内総出で子供たちに今で言うところのイベントをする日です。
最近は少子化や町内の方々の関係上、
この二日間に近い土・日にされるところが多いようで、
町内によっては一日しかされないところも有りますが
今なお京都の庶民の行事として生き続いているのが嬉しいところです。
これも京都独特の「釜戸金」の考え方のおかげなのでしょうね。
釜戸金とは地域で何かするときは関係のある人たちだけでなく、
釜戸すなわち町内の所帯すべてがお金や労力を出し合って
ひとつのことを成し遂げようする考え方があるからです。
私は4年前に実家を離れ別のお町内に引っ越しました。
今年は都合がついたので朝から地蔵盆の準備を手伝ったのですが、
いつも静かな町内からどれだけの人が出てくるのかと言うぐらい、
お年寄りも高校生もお手伝いの人々が出てこられました。
お飾りするお家の格子をはずし(京の町屋は格子がはずれて簡単に言うと
道に面した表の間が、オープンスペースになります。あまり想像つきませんでしょうか?)、
お飾りを始めたのですが、町内の年配の男性の方々から若手に飾りを教えて頂いたり、
女性は提灯の飾りやほこらの掃除をしたりと、
みなでワイワイしながら1時間ほどで準備ができました。
私などこの町内では新参者ですが、その最中いろいろ声を掛けて頂いて
知らず知らずのうちにお町内の方々とお知り合いになっていきました。
よくよく考えてみると「地蔵盆に限らず京都はこうして近所づきあいができたり、
年配の方々からものを教わり、それを受け継いでゆくことが自然とできるシステムが
習慣的にできてるんやなあ。」と改めて感じ、
それの習慣が残るこの町に感謝の念でいっぱいになりました。
これに限らず良き習慣をわれわれも受け続けていけるように努力したいものです。
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投稿者 culin : 10:15
至福の時 ◆ 嵐山熊彦 栗栖基 ◆
近年、日本人の食生活は、自然から遠ざかるばかりである。
水と土と太陽エネルギーの恵みである、
旬の食材は一年を通し大手スーパーの食品売り場を賑やかせ、
真冬にスイカを食べるなど簡単な事である。
しかし、その味は少しも風味がなく、
かえって我々の食生活を味気ないものにしている。
現在、日本に氾濫している食べ物の種類は
輸入品も含めて世界一であるが、
数の多さが決して“味覚の豊かさ”に繋がっておらず、
個々の食材が持っている素味を感じることが難しくなっている。
旬の味を大切にしていた時代の日本人は、
味覚のきわめて発達した民族であった。
自動車を乗り回し、冷暖房で快適なマンションに住んでいるからといって、
長屋住いの江戸時代の人たちより幸せになっているかというと、
きわめて疑問で、味の感知能力からすれば確実に不幸になっている。
江戸っ子は初物賞翫に血道をあげ、他人より先に旬の味を求めた。
つまり、季節への期待もさることながら、
そこには味覚の主張があり、生命力の強い表現があった。
私事になるが年に数回、洛西に住む知人を訪ねる。
彼は仕事の合間をみて自分の畑を耕し家族で食べる野菜や果物などを作り、
収穫時に友人達を呼んで畑の真ん中に自家製のテーブルと椅子を設え、
皆々が持ちよった食材やお酒を囲み、畑で収穫したばかりの食材を惜しげもなく使い、
まさに旬の味を満喫させてくれる。
あるとき、獲ったばかりの空豆を鞘から出し、湯がいてくれた。
ナント!10秒以内に茹で上がり、それ以上ゆでると軟らかくなり過ぎ
豆ほんらいの素味が損なわれた。今までの固定観念を覆す出来事だった。
そのほか同様に数え切れないほど、本物の旬菜風味を味わい、教わった。
食事が進むにつれて、私の体内は自然のエネルギーに満ち溢れ、
美味しい酒と料理に心の芯まで安息感に浸り、
薫風のなかで至福の時を過ごすのである。
投稿者 culin : 13:29
夏ばて? ◆ 竹中 徹男 ◆
お盆も過ぎてそろそろ秋の気配も・・・・。
鈴虫もりんりんと涼しげな声を聞かせてくれています。
夏ばてというわけではないんでしょうが、最近、食の嗜好が変わってきました。
ちょっと重量オーバーもあったので、
夜の食事を控えて朝食たっぷり形に!
それも朝は炊きたての御飯に蜆のおつゆと
納豆に胡麻を混ぜてたっぷり。
冷や奴の上には桃山茗荷の千切りと
生姜を乗せて食べてます。
そんな食生活をしていると、普段から
あまり脂っこい物が食べたくなくなりました。
以前は夕食にトンカツ、ビール、どんぶりめし!
ってな食生活でしたので、180度変わってしましました。
不思議な事に体重が減っただけでなく、
何となく体の調子が良く、毎年に比べて夏ばての度合いが低いように思えます。
いつもより元気です。
皆さんもこんな日本人的な食事を見直されては如何でしょうか?
何より自分の体が喜んでいるのが実感出来ます!
そろそろ新米も出てきましたので、炊きたての御飯は「ごっつぉう」ですよ。
投稿者 culin : 11:55
北海道の酸素 ◆ 美山荘 中東 久人 ◆
美山荘 中東です。
お盆の間、北海道ウインザーホテルへ出張してまいりました。
今日は流石に世の中夏休みという事もあり、
千歳空港から関西地方に飛ぶ飛行機は満席で、
仕方なく羽田経由で帰ってきました。
流石、夏休み!
羽田経由も千歳→羽田も空席が
終日一席のみ空いていて、ぎりぎりセーフ。
羽田から伊丹についてはガラガラでした。
伊丹空港に着いてやはり一番に思う事は
気候の違いと酸素の量!同じ日本かと思ってしまいますよ、、。
飛行機で離陸しながら北海道の大地を見てみると
空中からでも緑の地平線が見えるんですからねぇ~、
そりゃ酸素の排出量が格段に違い、
あんなに広い土地に500万人の人口なんですって!
一人あたりの酸素確保率は 日本一でしょうね。
夏の北海道は本当に気持ちがいい。
と言いつつ、ウインザーホテルに終日いた私は
たえず25度設定の環境にいたのであまり実感はしてないのですけどね。
北海道という地と縁ができてから4年が過ぎましたが、
まだまだ知らない事ばかり。
これからもっと“自然の恵み”という事を、
ダイレクトに北海道から教えてもらいたいと思います。
いい発見がありましたら、このブログで紹介させていただきますね。
投稿者 culin : 17:05
今後の日本料理の調理場 ◆ 美濃吉 佐竹洋治 ◆
25歳の若かりし時(今でも充分若いですが)私自身、
「徒弟制度」というものがあるからこそ高品質な日本料理が維持され、
伝承していっているのだと思っておりました。
しかしながら、ある時期にうちの若い調理場の者が
次々と辞めていった時に私はたまりかね、
改めて「徒弟制度」というものを考え直しました。
確かに上下関係がはっきりし、先輩後輩の区別を明らかにすることによって
調理場内の規律を正す意味においては素晴らしく、他業界にはない制度だと思われます。
ただ一方で劣悪面も生じてきます。
例えば、調理場の1年生が3人いるとして、
そのうちの1人が要領が悪いものだとすれば、
本来ならば同期の3人が一緒に片付けをし、
同時刻に寮に帰るべきものが1人だけ残され
1人で全部の片づけをさせられるというシーンも出てきます。
同じことで朝の場合も1人だけ早く出勤して
調理場のセッティングを終えた時に他の同期の2人が出てきて
「おはよう。セッティング終わったか?」といった具合に。
こういう事態をどんくさいものが悪いんだという認識で放っておくと
1年後に1年生が入って来たときに2年生のものに
過剰に仕事を押し付けられ全員辞めてしまい、
今度は2年生の要領の悪いものが辞めてしまう。
これらをどうするべきか?と思案した結果
「個別カウセリング制度」というものを創りました。
これは具体的に述べると月2回、私と最低20分調理場一人一人のものと
マンツーマンで話あうものであり、当然テーマは徒弟制度についてです。
さらにカウセリング結果を月1回の幹部会に議題として提出し、社長の前で読み上げる。
こうしたことを実施した結果、最終的にはわが社の全店での
調理職の離職率は大幅に下がりました。
日本料理は依然、フレンチやイタリアン、そして8時間労働のホテルなどと比較すると
一番人気が無いといえます。
これは私は前述した劣悪な徒弟制度というものが
まだ残っているというのが最大の要因であると思われます。
それぞれの日本料理店が店の規模にあった人事政策を行い、
「日本料理の調理場は劣悪である」というイメージを排除すれば、
もっともっと日本料理志望者が増大し、
将来的には日本料理の発展に大きくつながると私は思います。
投稿者 culin : 08:43
文化の継承 ◆ 山ばな平八茶屋 園部晋吾 ◆
「へんべとり」。奥飛騨温泉郷のとある食事処で、
ふと目に留まった貼り紙にそんな言葉を見つけた。
何かの方言か? お店の人に尋ねると、この地方に伝わる獅子舞だそうだ。
平安時代から伝わるその獅子舞は、今は村の重要無形文化財となっている。
ちょうどこの日は村の夏祭り。
夜の8時半から「へんべとり」があると聞いて、急いで宿に向かい、
早めの夕食をすませ、獅子舞が行なわれる広場へと向かった。
広場にはすでに人が溢れ、車座に座った人たちがビールを片手に
今か今かとその獅子舞を待っていた。
水銀灯には夏の虫が群がり、絡み合う音と人の熱気で夜風が遮られていた。
笛や太鼓の音に合わせ、車座の一端から大きな獅子舞が現れた。
勇敢に舞うその獅子舞の周りで、3頭の小さな子獅子舞が舞う。
小学生だろうか?舞を舞うにはあまりにも未熟な子供たちが
一人ずつ小さな獅子をかぶり、真剣な面持ちで大獅子の真似をする。
「へんべ」とは、この地方で「へび」のことを指すそうだ。
獅子が果敢に毒蛇に立ち向かい、最後は毒蛇を捕らえて
飲み込んでしまうという珍しい舞だ。
舞いもクライマックスを迎え、大獅子が蛇を飲み込んだ後、
子獅子たちもようやく小さな蛇をくわえ、お囃子とともに舞は終わった。
拍手の余韻の中、一人の村人が話し始めた。
この獅子舞の謂れやこの地方に伝わる毒蛇伝説。
そして、幼いうちからその獅子舞に携わり、
未熟ながらも観客に見てもらうことでやりがいを感じていく子どもたちのこと。
この子供たちが大人になる頃、きっとすばらしい獅子舞が舞えるのではないかと思った。
完成するまでずっと懸命に舞台裏で練習を重ね、
完成したのち晴れの舞台に立たせるというのも1つ。
未完成のまま舞台へ上げて、舞台の上で観客から学んでいくというのも1つ。
獅子は自ら自分の子を谷底に落とすという。
それまでではないにせよ、小さい時から文化に携わらせ
未熟ながらも人前で自分たちの文化を披露していく。
やがて大人になり、次は、自分たちの子供に子獅子を舞わせる。
文化の継承は、受け渡す人と受け取る人、
そして、それを見守る人たちによって、引き継がれていくのではないだろうか?
少しずつ人が引き始め、涼しい夜風が広場を横切った。
投稿者 culin : 11:07
化野念仏寺の千灯供養 ◆ 嵐山辨慶 礒橋輝彦 ◆
今日は前回と同じで私が経営する嵐山の料亭旅館の近辺の風物詩をご案内いたします。
嵐山の近辺に観光散策の定番と言える「嵯峨野めぐり」がございます。
その嵯峨野めぐりの中に化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)というお寺がございます。
このお寺は石仏で知られ、浄土宗の寺。
およそ千年前、空海がここに五智山如来寺を開創し、
野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したことにはじまるという。
あだし野という、『徒然草』にも書かれているかつての葬送の地に建ち、
境内に集められたおびただしい数の石仏が、葬送地としての過去を彷彿とさせる。
本尊は阿弥陀如来で、湛慶(たんけい)の作。本堂は江戸時代に再興されたものです。
このお寺の年中行事で千灯供養というものがございます。
京都を題材にしたテレビドラマなどでご存知の方もおられると思いますが
毎年8月23・24日に開催される行事で境内にある約8000体の石塔、
石仏に灯明を捧げるこの行事は参拝者によって点火され
幻想的な世界を演出します夏の嵯峨野の風物詩です。
私も毎年、妻と参加させていただきますが
今年は双子の子供も一緒に行くので道中苦労することが予想され、
今から不安でいっぱいですがこの行事が終るといよいよ
秋の観光シーズンがやってくるなといつも季節を感じる行事です。
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投稿者 culin : 14:31
ナス ◆ 瓢亭 髙橋義弘 ◆
昨夜の大文字の送り火はご覧になりましたか?
少し角度が斜めになりますが、うちの店の裏からも
良く見えるので、家族も調理場もお客さんも、
交代で店を抜け出して拝みに行っておりました。
ご先祖様に感謝の気持ちでいっぱいです。
さて本題ですが、写真のナス。
この色とふくらみがとってもおいしそうです。
実はこれ、うちの庭でできました。
店で使っているナスは、車で小一時間ほどかけて
西山(大原野)の方まで朝取りをもらいに行くのですが、
その農家の方から3ヶ月ほど前に苗をいただきました。
特に手をかけていたわけではないのですが、
適当に水をやり、この日照りにさらしていたところ、
最近花が咲き、小さな実が見る見るうちに大きくなりました。
もちろん完全無農薬。今では長さ15cm程あります。
ナスは夏を象徴するお野菜で地域によって見た目にも
独特の形をしたものがありますが、それぞれに適した調理法があり
また調理法によってこんなに味わいが変化する食材も珍しいと思います。
生・蒸す・焼く・揚げる・煮る。フレンチ、イタリアン、中華でも人気。
私が好きなのは、冷たい糠漬け、焼きナス、アツアツの田楽!
そのジューシーさがたまりません。
子供のころは好き嫌いが多く、ナスも嫌いだったのに
今では好んでナスのメニューを選ぶくらい大好物です。
これだけ多様性があると、料理人にとってもやりがいのある食材。
色艶良く仕上げたり、火の通りを加減したり、結構難しいんですよね~。
大学時代、友達の家でそのお母さんのご飯をご馳走になりました。
そのときに炊いたナスが出てきました。
表面には包丁目が入っていて、中までしっかりと味がしゅんでいて
お箸で食べやすくしてありました。
まだ料理の道に進んでいなかった私は、
こんな心配りがとてもうれしくて、“ご馳走”感に浸っておりました。
手をかけたぶん、自然と食べる側にも伝わるんだなぁ~って。
さて、「煮るなり焼くなり好きにせい」と言わんばかりに背を向けたこのナス。
どうしよっかなぁ~~
思案のしどころです。
投稿者 culin : 16:32
被ってしまいました(>_<) ◆ 北村 晋一 ◆
今日は五山送り火なので、そのことについて書こうと思ったら、
先に書かれてしまいました(^_^;)
ですが、送り火の時間やよく見える場所について
書いてなかったので紹介しますね!
大文字……午後8時点火
妙…………午後8時10分点火
法…………午後8時10分点火
船形………午後8時15分点火
左大文字…午後8時15分点火
鳥居形……午後8時20分点火
点火時間は各山とも約30分間
各山送り火のよく見えるところ
大文字……賀茂川(鴨川)堤防{丸太町大橋~御薗橋}
妙…………北山通{ノートルダム女学院附近}
法…………高野川堤防{高野橋北}
船形………北山通{北山橋から北西}
左大文字…西大路通{西院~金閣寺}
鳥居形……松尾橋・広沢の池など
全山送り火の見えるところ
無料…将軍塚市公園展望台(但し妙法みえず)
船岡山公園頂上(但し鳥居形みえず)
有料…市内各ホテル屋上・将軍塚青蓮院大日堂庭園など
こんな感じです(^^)
前回書いたときは宵山だったので、
[せっかくの巡行日、お天気がよければいいのですが、、、。
「あ~した、天気に、なぁ~あれ!」]って書きましたが、
雨になってしまいました。
今晩こそは晴れますように!
台風が近づいてきてますが、降水確率20%なんで大丈夫でしょう!?
投稿者 academy : 00:25
五山の送り火 ◆ 菊水 髙橋 正人 ◆
アカデミーブログもスタートから1ヶ月が過ぎて昨日の吉田さんの書き込みで
ようやくブログが一巡しましてほっ、としている状況です。
この1ヶ月間は色々と大変でした (^^;
ブログ担当の方々それぞれに色々な想いや日々の生活の様子を
お寄せいただいて担当委員長としても感謝、感謝、の気持ちです。
さて、明日は京都の8月における最大の行事の一つ、「五山の送り火」です。
通称「大文字」とも呼ばれ、京都の三大祭りと合わせて京都の四大行事とされています。
東山・如意ヶ嶽の「大」、松ヶ崎の「妙」「法」、西賀茂・妙見山の「船形」、
西は大北山の「大(通称『左大文字』)」、北嵯峨は水尾の「鳥居形」の5つで
五山(妙法は1つとして数える)となります。
お盆に先祖の霊を送る精霊送りの行事ですがその起源には諸説あり、
弘法大師が始めたとか、足利義政が始めたとか、日蓮宗の僧・日像が
「妙」の字を始めたとか、色々とあるようです。
午後8時に東山の「大」を筆頭に西に向かっておよそ5~10分間隔で
順番に点灯して行きます。山に次々と赤い文字が浮かび上がる姿は
とても神秘的で厳かな雰囲気になります。
京都市内では観光客が息を飲んで見守ります。
今や背の高い建物が増えて、一箇所で五山の全てを見る事は
なかなか難しいようですが、それでも背の高いホテルなどでは
窓際に人だかりが出来ます。
僅か30分程の点灯時間と言う、京都の夏の夜の風物詩ですが
これを見に、多くの方が京都にみえます。そして地元の人々も。
送り火を見る人の想いはそれぞれ違うのでしょうが、
年に一度、この30分程の時間を京都で過ごしにいらっしゃいませんか?
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ちなみに今日、8月15日は「刺身の日」だそうです。
1448(文安5)年、刺身が初めて文書に登場しています。
室町時代後期の書記官・中原康冨の文安5年のこの日の日記に
「鯛なら鯛とわかるやうにその魚のひれを刺しておくので刺し身、
つまり「さしみなます」の名の起り」とあり、
これが初めて文書に登場する刺身に関する記録とされています。
(ブログ『今日は何の日』より)
投稿者 culin : 08:23
最高の食事 ◆ 修伯 吉田修久 ◆
私は、修行時代に親方から最高の客になることが
最高の主人になる近道だと教わったことがあります。
最高の客?・・・
いったいどのように食べ、振舞えば最高の客になれるのか?
自分の店を持ちここ4年間どのような方が最高のお客様なのか、
たくさんの人を見て考え、また、自分が食事に行ったときには、
などといつも心にありました。
今年の秋に行われる日本料理フェローシップで招聘される料理人とメートル、
パスカル・バルボとクリストフ・ロアの店、「アストランス」に行ったときの話しです。
アストランスはパッシー駅から階段をセーヌ川の方向に下り少し左に行って
エッフェル塔が見える高級住宅街にあります。
アミューズにプティポワのスープ、ヨーグルトとレモンの泡が出されて、
プティポワのスープは、ものすごく滑らかなスープに仕上げることで
甘みをしっかりと感じさせ、ヨーグルトとレモンがさっぱりと
喉越しをさらによく快感に感じさせました。
そのことをメートルのクリストフに話すと、やさしいそうな独特な目で
「第一段階は合格なので、次の料理を出しましょう」と冗談まじりに言いました。
クリストフはパスカルとは違って非常に落ち着いていて、
しかも背が高くがっちりとしていて物静かな雰囲気なので
一見は怖そう見えますが、話しをすると非常にやさしい目をしていて
一流のメートルらしい落ち着いた振る舞いで、
時折冗談で場を和ませながらサービスをしていました。
彼は、アストランスに来る日本人の方は非常に静かな方が多く、
楽しんで食事をしておられるのかが心配で、
どうすれば日本人の方々に楽しんでいただけるのか悩んでいて、
なぜなのかを私に尋ねてきました。
騒ぐとはいかないまでも、フランスでは、客同士、
また、ギャルソンやソムリエなどと会話を楽しみながら
3時間~4時間ぐらいかけて食事をすると聞きました。
フランスにも“最高の客“があっていろいろその振る舞い、
決まり、作法みたいなものがあるそうです。
日本の文化とフランスの文化の違いはあっても
食べ手と作り手の意思の疎通は必要で重要なんだと感じました。
最高の客になって最高の食事を味わってみたいものです。
その、一流のメートルが10月に来日するなんて今から本当に楽しみでなりません。
それに、フランス流“最高の客”も気になるところです。
投稿者 culin : 09:40
本日のぼやき (その1) ◆ 滋賀 比良山荘 伊藤剛治 ◆
毎日暑い日が続きますなぁ。
梅雨は、雨、雨、雨に泣かされて…。
それがドッコイ梅雨が明けたとたん、
連日の猛暑。ほんまに往生します。
そこで皆様、この涼しげな水の流れをご覧下さい。
ウチの店の前を流れる、自慢の谷川でございます。
江戸時代中期、飲料水と生活用水として、
そして、いざという時の防火用水として、
比良山からの伏流水を引き込んだのだそうです。
溢れんばかりに流れるこの水、飲めるんでっせー!!
これだけで、石油王になった気分や。ハッハッハッ!!
冗談はさておきまして、この谷川の水、
滋賀県が誇る一級河川、安曇川へと注ぎ
琵琶湖に流れ込みます。
しかし、この“飲める水”が到達した先の
琵琶湖の水質は残念な事に
皆様ご承知の通りであります。
しかしこのような現実は、これに限った事ではありません。
自然の破壊は、我々の身近な所だけでなく
地球規模で進んでいるようです。
私たち料理人は器の中の料理の素材が、
どこそこで獲れた魚が旨いの野菜が旨いのと、
そんな話はするけれど、
肝心のその素材が生まれ育って行くための
環境や条件、そんな話はめったにしない。
私は、将来を本当に憂いております。
そして反省致しております。
これから我々料理に携わる者達も、水、空気、山、川、海、すべてを含めた大自然と向き合い、
守るべきは守り、戻すべきは戻す。声を大にしたいものです。
投稿者 culin : 09:54
FOOD JAPANの試考 ◆ 梁山泊 橋本憲一 ◆
「FOOD JAPAN」の副委員長を務めさせて頂いている橋本です。
この機会に、わが国の食文化を思い起こしてみました。
「内食、中食、外食」の形態を問わず、
あらゆる食の営み・歴史は確実に豊かになってきました。
少なくとも、ついこの前まではそのように思われていました。
ところが、今日では豊かさからはほど遠い、
「飽食」と「飢餓」という矛盾した問題を抱えています。
食の根幹をなす食糧問題は環境問題を抜きにしては
解決の糸口は見えない状態です。
地球という星と人類以外の生き物たちと、
わたしたちはどのように付き合うのかという命題に、
料理人が真摯に向かい合わなければならない時代に入ったと思います。
食が心身の健康と深い関係にあることが、
残念なことに「現代病」という負の形で明らかになってきたのです。
おまけに、美容目的のダイエットは食を否定し、
ダイエット食は食から喜びを奪い去りました。
あれほど幸せだった食は数々の矛盾や否定を背負わされ、
不幸なものとさえ思われるようになってきた側面があります。
そう、食は現代社会の縮図になりました。
いま、『料理にたずさわるすべての人たちが力をあわせて、
新しい幸せな食の創出、楽しい食の奪還に乗り出そう』、
「FOOD JAPAN」をその出発点に位置づけたいと、個人的には思っています。
国境や料理のジャンルを越えて、全世界的規模で食を取り巻く諸問題を語り、
学び、考える契機になれば「FOOD JAPAN」は成功だと考えております。
もちろん、日本料理がどのような形で世界でお役に立てるかという模索の始まりでもあります。
日本料理アカデミー会員の皆様の一致団結したご協力をお願い申し上げます。
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投稿者 culin : 14:31
今、食育とは ◆ 懐石・宿 近又 鵜飼治二 ◆
8月8日、9日の両日、国立京都国際会館にて
教職員・教育研究関係者・保護者・ボランティアを対象に
『地域教育フォー-ラム・イン京都』が各種学校教育会主催で行なわれました。
これは13分科会に分かれて第1部は各種地域教育の特別講演が
分科会ごとに専門講師により行なわれ、
第2部は各分科会に携わっているコメンテーターにより
シンポジウムが行なわれました。
私は9日に開かれた第12分科会『地域で、家庭で花開く、食の心』と題して
『今、食育とは』というテーマでの分科会に招かれました。
基調講演は滋賀県立大学教授田中敬子先生。
シンポジストに京都府立大学助教授大谷貴美子先生や
新町小学校運営協議会会長藤原信生様、
その他各教育関係の先生方とともに私も食育に携わる料理人として参加しました。
1部講演のあと、各先生方の食育に携わるコメントが発表され、
食育にかかわる貴重なお話を聞くことができました。
そんな中、私も3年前から食育に携わり子供たちとのふれあいで
経験したことをお話させていただいたのですが、
この日は会場の方がすべて大人の方でしたので
この際と思い【日本料理アカデミー】の組織の誕生と
私が所属する国内事業部の目的を述べ、その活動のアピールをしておきました。
また、それとともに子供の親として、
又子供と接する大人としての心構えを私なりに伝えさせていただきました。
以下のことが今回の私の発表した最も言いたかったことの文面です。
よければ参考にしたください。
1)子供の親として、又、子供にかかわった責任として、真剣に子供たちと付き合ってほしい。
ならば、今の自分、これからの自分がどうあるべきかを今一度考えてほしい。
子供を意識してないときの自分の行動、発言に責任を持つべきである。
そうすることが自分自身の生活にやさしさと、思いやりのある規律正しい生活感を
持つことができる。
たえずかかわりのある人や生き物との正しい規律ある交流が、
子供たちに美しいふれ合いをもたらすのではないか。
【公衆道徳】、【公衆衛生】、【食品衛生】など大切なことである。
2)自分が今まで体験した中で何か得意なものがあれば、たとえ自信がなくとも、
体験談も含め、その分野について子供たちに話すことが、子供たちに生きることの
大切さを教えてやることができるのではと思う。
話すこと、教えることは難しい。でもそうすることが自分自身の勉強にもなり、
新たな成長にもなる。できるだけ子供と接してあげようではありませんか。
3)ミュージカル、劇団四季『夢から醒めた夢』を先日見てきました。
道化師のような役者が何度も、何度も『自分のことばっかり考えて!』といいます。
でもその道化師は気づくのです。主役の少女が自分のことはほっといて、人のことばかり考えて
生きていることに。
『そうじゃないんだ、そんな人ばっかりじゃないんだ。
いつも回りの人たちのことを考えて生きている人もいるんだ。』
このことがこのミュージカルの大きなテーマだったのです。
思い当たる人はそのことに早く気づくべきですね。
4)これまで食育授業を学校で行なったとき、我々調理人が接することで、これから社会で
生きていくことについてすでに考えようとする子供たちもいました。
制服を着た人が接することは、子供たちに何かを強く与えることができると思います。
この子供たちがたとえば大学生になったときに、この食育授業を助けてもらえればとも思います。
もう一度真剣に子供と付き合ってみることを考えてみてください。
投稿者 culin : 13:08
ニューヨーク訪問 ◆ 辻調理師専門学校 小山伸二 ◆
はじめまして。
私もこのアカデミー内では少数派の、非・京都人かつ非・料理人です。
よく、京都特有の場の風が読めずに困惑することがありますが、
この話題は、すでに大森さんが書かれているので、そちらを参照して下さい(笑)。
私は、2007年に予定しているニューヨーク食文化事業を担当しています。
そのプロジェクトの視察と現地でのミーティングなどをかねて、
7月下旬にニューヨークに出張に行ってきました。
このプロジェクトに関しては、いずれ書く機会があるかと思いますので
今日は、ちょっと横道にそれた話を。
ニューヨーク出張中、オフの時間を利用してほかのメンバーにはこっそりと(笑)、
マンハッタンのラーメン屋へ行ってみました。
一応これも、りっぱなニューヨークにおける日本食のフィールド・ワークということで(笑)。
さて、現地で合流したアメリカ在住の友人に連れられていったのは、
グリニッジ・ヴィレッジの一角にある、とあるお店へ。
なんだか、阿佐ヶ谷とか高円寺あたりにありそうな感じのラーメン店
(東京・中央線沿線の人にしか通じない? )。
聞くところによるとオーナー・シェフは日本の青年。
メニューに並んでいるのは、醤油ラーメン、味噌ラーメン、
塩ラーメン、ギョーザと、いたってオーソドックス。
さっそく、醤油ラーメンを注文。見た目は、まったく、普通のラーメン。
一口、二口、すすってみて、あれれ、って感じ。
なにかが、足りない。物足りない。麺よし。具も問題なし。
出汁は、おそらく、煮干ベースのさっぱり系。それにしても、スープの味が頼りない。
なぜなんだろう、って一緒に食べていたアメリカ在住の友人(日本人)に
疑問をぶつけたら、きっと、醤油のせいではないか、と。
スープの仕上げに使っている醤油の味が、
日本の醤油とどこか違っていて、味が「へなちょこ」なんだそうだ。
切れがないというのか。
その醤油のせいか、塩気が足りないというより味の輪郭が曖昧な、
いかにも外国で食べるラーメンって、感じになっているみたいです。
日本食が浸透しているように見えるニューヨークでも、
まだまだ、調味料など基本的なところで本場と同じものを出すのは
大変なんだ、ということを実感。
まして、本格的な日本料理の技術や文化をこのアメリカの地で紹介し、
理解してもらうのは、なかなかの大事業だなあ、と思いつつ、
ラーメンを、ずずずーっと、すすっていたのでした。
投稿者 culin : 15:56
土用丑の日とウナギ ◆ 三好 徹 ◆
今年の土用丑の日は何となく涼しい京都でした。
梅干しも土用越しが出来なかったとよく聞きます。
うちはウナギ屋ですので夏の涼しいのはちょとかんにんしてもらいたく思います。
とはいえすでに土用も明け、暦の上では立秋です。
まだまだ残暑厳しいですがみなさまお体ご自愛くださいませ。
さておき、今日は少し土用にもどってみなさまもご存じの
ウナギ屋の話をします。
夏の土用の時期は暑さが厳しく夏バテをしやすい時期ですから、
昔から「精の付くもの」を食べる習慣があり、
土用蜆(しじみ)、土用餅、土用卵などの言葉が今も残っています。
また精の付くものとしては「ウナギ」も土用ウナギという風に
結びついたのでしょうね。
今のように土用にウナギを食べる習慣が一般化したきっかけは
幕末の万能学者として有名な平賀源内が、
夏場にウナギが売れないので何とかしたいと近所のウナギ屋に相談され、
「本日丑の日」と書いた張り紙を張り出したところ、
大繁盛したことがきっかけだと言われています。
が、もう一つ文政の頃、江戸のウナギ屋が大名に蒲焼きの大量注文を頼まれ、
約束の日の数日前から焼きだしたが、いざ納める日になると
多くの蒲焼きがいたんでたそうです。
ただ、土用の丑の日に作った分に関しては
どうにもなっていなかったという事実もあるようです。
ウナギはご存じのとおりビタミンAがすごい豊富な食べ物で
口から物を食べる食物としては一番効率よく体に吸収できるそうです。
それから、うなぎの脂が胃に粘膜をはって菌を体にとりいれなくするという効果があります。
夏バテ解消や風邪をひかないためにいかかがですか。
投稿者 culin : 10:21
鴨川納涼床の歴史 ◆ 鶴清 田中信行 ◆
私はブログを書くのは初めてのことで
何を書いたらいいのか、検討もつきませんでした。
しかし、担当が回ってきて、皆さんのブログを見させていただいて、
私には皆さんにどういうことをお伝えできるかを考えると
京都の夏の風物詩である、鴨川納涼床の歴史を
ご紹介しようと思い、書き込みさせていただきます。
床の歴史は大変古く、営業形態にはなっていませんが
豊臣時代の頃に裕福な商人が夏に遠来の客をもてなすのに
五条河原付近の浅瀬に床几を置いたのが始まりだと言われています。
京都の年中行事を詳しくしるした延宝5年の「日次紀事」には、
6月7日の神事として祇園会のあとに
「四条河原の水陸、寸地をもらさず床を並べ席を設く」とあり、
また元治元年の花落名勝図会によれば、
同様に「6月7日の夜より18日の夜にかけて、
四条河原水陸寸地をもらさず床を並べ席を設けて良賎反楽す。
東西の茶屋茶店提灯を張り、行灯を掲げてあたかも白昼の如し。
これを河原の涼みという。案ずるにこれ遊戯の納涼にあらず。
諸人の名越しの夜をなさしめんとの神慮なるべし。
されば13日の夜に至っては、祇園の宵宮とてことに賑わしで云云」とあり、
往時の賑わいが偲ばれます。
さらに近年になり明治時代の床は7、8月設置されるのが定着して、
四条大橋を中心に、北は竹村屋橋(四条大橋より北へ200m程のところにあった橋)の
少し北から、南は団栗橋の南まで出されていました。
昭和9年9月室戸台風が淀川を北上、京都を直撃して大きな被害を受け、
その復旧も十分でなかった翌昭和10年6月には、
年中豪雨によって京都市を中心とした地域は大きな打撃を受けました。
この時の鴨川の補修工事によって、現在のみそそぎ川が出来て、
その上に納涼床を設けるようになりました。
昭和17年、第2次世界大戦による営業自粛、
灯火管制、遊興の禁止などのために禁じられ、洪水で流れたり、
金属供出のため終戦の20年ごろにはまったくなくなってしまいました。
戦後昭和25年に数軒が床の設置を申請。
戦後の反動で欄干を朱塗りにするもの、床の脚を舟形にするもの等、
鴨川の風致を破壊するようなものが出た為昭和27年、
京都府土木部から「鴨川の高床について」の通達が出されました。
現在は床は店舗に密着する形でみそそぎ川に設置されていますが、
本来は床と店舗は渡り廊下でつながっているのが本当の形です。
これが洪水で床が流れたとき、店舗に被害が出るのを防ぐためです。
今もなお昔の面影を残し、江戸時代の粋人のさざめきが
現代に生きる人の心を受け継がれ、
鴨川のせせらぎも文明の騒音にかき消されずにとうとうと流れ、
今では治水もいきわたり、水もきれいになって鮎が生息するまでになった都市河川鴨川。
休日には鮎を求めて行きかう釣り人で賑わっています。
西岸の料亭や旅館では、涼を求めて来店される人たちが昔を偲び賑わっています。
投稿者 culin : 13:31
日本料理の伝道師 ◆ 東京 日本橋ゆかり 野永 喜三夫 ◆
早めのお盆休みをもらい、8月の5、6、7、8日と
京都へ嫁さん、子供と第二の故郷へ、久々の里帰り。
嫁さんのお父さんがお前、何事も勉強だと7日の夜は
色々な所に連れていってもらっていたら21時突然のTELが!
「野永さんメール見ていますかーーーー?7日は野永さんのブログ当番ですよ!
連絡無いですが大丈夫ですよねーーー?」
『あ、あぁぁぁぁあ、すす、す、すいません!!!!!!!!!!。すっかり忘れていました。
すいません、い、い、今京都にいます、PCも東京です。すいませんと、、、、』
と、一気に酒も抜け、9日まで何も出来ずに関係者の皆様には、
大変ご迷惑をおかけしました。以後、気をつけます。
私は、東京 日本橋の料理屋の三代目として生まれ、
物心ついたときから、料理人になることをある程度自覚していました。
(幼稚園の卒園アルバムの寄せ書きに、「板前さんになる。」(=店を継ぐ)と書いたくらいです。
でも、この想いは多分皆さん(アカデミーの皆さん)も、同じ考えで今までやって来たと思います。
何故?ならば、
今までその存在を受け継いで来た、お店、料理、伝統、など
背負う物も大きいですが、それに立ち向かうやりがいなども大きいと思います。
代々の御先代が作り上げた各お店の名物品などもありますでしょうし・・・。
また、地域や文化の違いや個性的な物もありますが、
基本的に日本料理の仕事は伝統的であり、
世界から見ると私達は「日本料理の伝道師」であり、
世界中が注目する日本料理(料理人)であります。
それも「本物の日本料理とは何ぞや?」との意識を保持しながら、
世界に発信する使命で、役目でもあると思います。
当アカデミーの様な団体(組合、組織)の存在は、
素晴らしい発信基地だと思います。
私は東京在住の者ですが、当アカデミーに入会させて戴けた事を感謝申し上げます。
これからも、何らかの形でお手伝いさせて戴き、
お役に立てる様にがんばりたいと思いますので、どうぞ宜しく御願い致します。
PS: 皆様と再びお会い出来る事を楽しみに、私も日々精進したいと思います。
投稿者 culin : 23:59
夏は朝茶 ◆ 右源太・鳥居宏行 ◆
暑い日が続きますね。何を書こうか迷ったのですが、
先日、茶の師匠にお招き頂いた「朝茶(あさちゃ)」の事について書くことにします。
京都の夏は無茶苦茶暑いので、この時期には暑さを避けて
早朝の涼しい内に朝茶が催されます。
6時からの朝茶に備えて4時半に起きて、着物を着て5時過ぎに家を出ます。
師匠宅は鷹ヶ峰の山手にあって、早朝は特に爽やかです。
玄関先にはたっぷりと水が打たれています。
手がかりを開けると寄り付きの畳の上には籐むしろが敷いてあります。
障子は殆どが葭戸(よしど)に替えてあり、涼しげな夏仕様になっています。
建具を替えてむしろを敷くだけで、座敷の雰囲気は一変します。
昔の人の知恵は本当に素晴らしいですね。
蹲(つくばい)で手と口を清めて、茶室に入ります。
こちらの建具も葭戸に替えてあり、普段は見えない庭の緑が葭戸越しに美しく映えます。
照明が暗めに調節されているため、葭戸越しの庭の景色はまるで日本画を見るようです。
師匠の演出センスの良さには今更ながら驚きます。
客は10名で、全員が師匠の弟子です。
正客(しょうきゃく)は地方で茶道の先生をされている方。お詰めは料亭の主人です。
私はいつもの様に、末席の方に座らせていただきます。
師匠自ら座布団をお運び頂いたので、敷かせてもらいます。
師匠に座布団を運ばせるなんて、この世界だけの事でしょうね。
本当に恐縮します。
何年たっても正座は苦手なので、これで足の痛みを忘れて懐石を味わう事ができます。
御膳も師匠自らお運び頂き、座ったまま一歩前に出て受け取ります。
最初に、絶妙な蒸れ加減のご飯を一口頂きます。
美味い!そして、朝から飲む、キリリと冷えたお酒は最高!
献立について詳しく書くスペースが無いのが残念ですが、
師匠の料理は一言で言えば原価無制限直球勝負の懐石です。
なので、どんな料理屋も勝てません。勝負したら、料理屋は潰れてしまいます。
懐石を頂いたら席を改めて、いよいよ濃茶をいただきます。
濃茶を点てられる師匠の姿は、老いてますます侘び茶人を極めておられるように見えます。
師匠のお茶を頂く事は、弟子にとってはこの上ない喜びです。
約4時間の朝茶を終えて、余韻を味わいつつ玄関を出るともう日は高くなっていました。
ところで、なんで夏に夜咄(よばなし)の茶事をしないのか、不思議ではありましたが師匠によると、
露地で明かりをつけたら虫が大集合してきて、大変な事になったそうです。
やはり、「夏は朝茶」なのです。
※写真は右源太の茶室です。
1.夏仕様の葭戸に替えました。
2.夏の飾り。熱源となってしまう風炉釜は熱が外に漏れにくい形になっています。
投稿者 culin : 18:21
料理人として ◆ 京都吉兆 徳岡 邦夫 ◆
「徳岡さんは、食とそれに関わる活動や文化・風土に関する
いろいろな活動に参加していますが、関心のある部分は
どのような部分ですか?」とよく聞かれます。
その質問には、「食環境の健全化です。」とお答えいたします。
経済が破綻しても人は、何とか生きていけますが
食や自然環境が破綻すれば命の継続はないからです。
今日、特に日本人が意識を抱く優先順位が間違っているように思えるのです。
大切な食の源である自然環境保全や一次産業への意識の低さを
いろいろな立場の方々と意見交換し解決していきたいです。
一人で出来る事とは違う事が団体では出来ると考えています。
その活動がその環境において本当に正当であれば、
多くの人に必要とされるはずです。
そして、役に立つのですから幅広い層に広まりを見せるでしょう。
そういう広がりが素晴らしい事だと考えています。
日々環境は変化し続けています。
環境の変化によって適応していく事は、大切な事だと思っております。
その事は、いつの時代でも行われてきた事です。
ただ、 近年、特に日本ではその適応方法の価値に多面有る事を知ろうとせず
一面だけしか見ずに偏った価値判断をしてしまい、歪んだ経済優先型生産方法だけに
価値観が求められ進んでいる様に感じています。
調理場に居る私には、その事が食材の味を通して感じられました。
しかし 17年前には、何がおかしいのは分かりませんでした。
お客様に満足頂ける料理を作りたいと言う思いから料理法を研究したり、
仕入れ方法の見直しをしてみたりしましたが、思うような料理にはなりませんでした。
試行錯誤の末、行き着く所は生産地だという回答になったのです。
生産者の実体を見、知らされ愕然としました。
ただその中にも懸命に努力されている姿を見つけました。
より深く、いろいろな方の立場を考えるようになりました。
そして徐々に社会の歪みを感じるようになりました。
一方方向の進化、もしくは方程式的な物の考え方しかしなくなった様におもいます。
世の中ではいろいろな事が起こりいろいろな価値観が有ります。
その事をもう一度再確認する為には、フラットな立場でいろいろな方と
コミュニケーションする事が大切だと思います。
食に携わるものとして食を通して、そういう場を作る事が出来ると思います。
又、生産者と消費者の間に居る事よりその縁を取り持つ事が出来るのです。
その事は料理人にとって使命、義務だとも思います。
投稿者 culin : 12:57
「お気に」 ◆ 下口英樹 竹林 ◆
「ただいま、今日も暑いなぁ~ とりあえずビール♪♪」
最近、頂いた"お気に(いり)"のビールグラスに注ぎ込む。
「ぐびっ ぐびっ、プハァー、やっぱ夏はビールやなぁ」
ここ数日、やたらビールがうまいのは、やっぱ この暑さのせいか?
それとも"お気に"のビールグラスの方なのか?
嫌いな机に向かて、ブ.ブ.ブログ…を書かなければと言う現実逃避のせいなのか?
(ブログを書くのは苦ではないが、つ.つ.机に向かうのが、ど.ど.どうも苦手で↓↓)
人の感覚は面白い、今、飲んでいる"お気に"のグラスもそうだ、
口が切れそうなぐらいの薄手のグラスである。
このグラスで、すっきりした軽めのビールを飲むと
最初は、「よりすっきり」一層軽く感じ、のど越しもすごくいいが、
「もう一杯、またもう一杯」と続かず、何かが物足りず、違うものが飲みたくなる。
一方、濃くのある重めのビールを飲んでみると、ビールがさほど重く感じなくなり
いつも以上に「もう一杯、またもう一杯」と自然に続き、
結局、飽きが来ず最後には量もたくさん飲めてしまう。
グラスの薄さ一つでよりビールを軽く感じさせたり、
ビールの重みを忘れさせてくれるからだ。
では、逆に厚手のグラスや陶器のビアーカップで飲むと、これがまた不思議。
すっきり軽めのビールの方が、さほど軽々しく感じなく、
飽きが来ないし自然と量も進む。
重いビールの方は、最初は「グッ」と重厚感がありインパクトは強く印象に残るが
余計に重々しく、後には続かず「何か、違う物が飲みたくない?」と、心変わりになる。
これは、どんな物事にも言える、「陽と陰」バランスと感覚、
「陽と陽」では喧嘩する、「陰と陰」では寂しすぎる、
「陽と陰」がうまくかみ合えば、自然と永続きする。
しかし、「陽と陰」がうまくかみ合えば、良いと言うものでは無い、
時には「陽と陽」「陰と陰」同じ物同士が作り出す、爆発的な要素も大切だ
その時に応じて使い分けられると最高に良いものになるんじゃないかなぁ?
すべてが同じなら面白くないちゃうかなぁ
料理の献立も、器も、材料も、味付けも、色合い、季節や時間も
「陽と陰」を考えると、すごく面白く見えてくる、今日この頃だ!!
まぁ 何だかんだ言っても、やっぱり夏の夜空に浮かぶ花火を見ながら
湯がきたての枝豆をあてにして飲むビールには勝てまへんなぁ~
やっぱり、今年の花火大会は"お気に"グラスで「ぐびっ ぐびっ」行くかぁ↑↑
投稿者 culin : 10:28
京都の湯葉 ◆ 岡庄 岡 豊雄 ◆
湯葉の作り方
通常は生の大豆から作るのですが
ご家庭では大変なので今回は豆乳から作ってみましょう。
まず用意するものですが、豆乳500gぐらいと大きい鍋と小さい鍋です。
①大きい鍋でお湯を沸かし、小さい鍋で豆乳を湯煎してください。
②小さい鍋の表面に膜がはってきたらお箸で鍋の縁をそっとなで、
膜と鍋をはがしすくい上げます。2本箸を使うと、やり易いかもしれません。
③時間をかけて湯煎すれば厚い湯葉が出来ますし、
さっと上げればどろどろとした湯葉が作れます。
久しぶりに作ってみると、子供のころ牛乳を温めておき、
しばらくすると膜がはってきて無邪気に喜んでいたのを思い出しました。
湯葉の起源
湯葉の起源ですが遣唐使がもって帰ってきたと言う方、
更に以前より京のお坊様の間で密かに伝えられてきたと言う方、
様々な説がありますね。どちらにしてもかなり昔からあったようです。
室町時代では豆乳の上澄みをすくって出来る事から、
「上」「うは」と呼んでいたみたいですね。
それが変化して、「うば」となり「ゆば」になったと考えられています。
「うば」が「ゆば」と呼ばれるようになったのは18世紀で、
「うば」の漢字は「豆腐皮」もしくは「湯葉」であったそうです。
(語源由来辞典より)
京都の料理に欠かせないのが湯葉ですね。
世界文化遺産に指定されております「教王護国寺(東寺)」の近くに
私のお店はありまして私の店でも湯葉料理を作っております。
現在においては湯葉になにかしら細工をほどこしたり、
湯葉でなにかを包んだり、混ぜ込んだものを東寺湯葉・東寺巻きと言う様になりました。
生の湯葉をわさび醤油で食べるのも美味しいですが、
一工夫した湯葉料理も美味しいと思いますよ。
更に湯葉料理を研究していきたと考えております。
投稿者 culin : 08:42
こだわりの包丁を語る 第一弾 ◆ 下鴨福助 安念尚志 ◆
料理をするときに包丁は欠かせませんが今回は包丁の話をしようと思います。
(ちなみに私は言い方が悪いですが「包丁フェチ」です。)
よくどこの包丁が良いとか悪いとか聞きますが、良い包丁とはどんな包丁なのでしょう?
良い包丁とはよく切れて切れ味が長続きして長時間持っていても疲れなく、
なおかつ研ぎやすいというのが理想です。
しかしそういう包丁は残念ながらないのが現実です。
いろんな種類の包丁がありますがそれぞれ一長一短があります。
僕が一番重要視するのはやはり切れ味です。
鮪など赤身の魚の造りを引いたときによく切れる包丁で引くと角がきれいに立っています。
包丁で魚を切っただけで料理になるのは日本料理ぐらいであり、
日本料理がいかに切るという調理技術に重点を置いているかがわかると思います。
切れ味を追求するとやはり「鋼」の包丁が一番です。
鋼と一口に言ってもいろいろ種類がありますし、
製法も「本焼き」か「霞」というふうに二つに分かれます。
基本的に霞の方が扱いやすく価格も手頃です。
逆に本焼きは扱いにくく高価なものになりますが長く切れ味が保たれます。
鋼は磨けば光るので本焼きはかなりきれいです。
まあ道具がよくてもそれを使いこなす技術がなければ宝のもちぐされになってしまいます。
そういわれないように日々修行あるのみです。
写真の包丁は製法が水焼き本焼き、鋼の種類は白紙一号。詳細は次号ご期待ください!
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投稿者 culin : 09:00
フィレンツェに学ぶ京都流「伝統と創生」 ◆ 田中誠二 ◆
去る6月に海外出張の機会があり、フィレンツェ、アッシジ、
ペルージャ、ローマ等イタリア中北部の都市を歴訪しました。
その中でも、ワインや豊かな農産物で有名なトスカーナ州の州都であり、
京都市と40年の長きにわたり姉妹友好都市である「フィレンツェ」が
たいへん印象深く、強く私の心に残りました。
フィレンツェの歴史を振り返ると中世的な神中心のあり方に疑問を抱き、
皇帝派と教皇派の戦いを繰り返しながら都市が自治と自由な発想を勝ち取った中で、
文藝復興の運動であるルネッサンスの開花につなげて行ったと伺い、
この街の歴史と伝統が育んだ文化創生への飽くなき探究と挑戦の気象には、
心打たれるものがありました。
とりわけその中心となったメディチ家は、
ミケランジェロをはじめラファエロやボッティチェリ等イタリアのみならず、
欧州全体に強い影響を及ぼした芸術家を育て
ルネサンス発祥の地となった「花の都」フィレンツェの隆盛を築き、
この時代に完成度をさらに高めた伝統工芸や建築技術は、
この街を彩る多彩な文化・芸術の中に今も息づいています。
また、教皇内に閉ざされていた芸術を一般市民レベルに開放し、
この都市がもつ芸術・文化的価値をさらに高いレベルに昇華させた
この一族の功績は計り知れないと感じました。
京都に住み、京都の文化や伝統に少なからず恩恵を得ている私たちは、
京都の自然、文化、そして藝術を含めた豊かな蓄積に感謝の念を抱き、
もっと感心をもち、これらの保全と振興に積極的に関わる必要があると感じた次第です。
街の品格、優れた文化や歴史、そして美しい環境において、
共通点が多く見られる京都とフィレンツェを比較する中で、
文化であれ、商業であれ、
「伝統を守りつつ、大胆に時代の要請に呼応する前衛を打ち出しながら、
新たな伝統を作り上げ、伝統と革新のサイクルを循環させる姿勢が大切」
であることを感じた次第です。
これからも日本料理アカデミーの活動を通じて、
我が国固有の豊かな食文化を国内外に発信していきたいと思います。
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投稿者 culin : 10:12